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背中の権十

「これこれ、そこの村の御方」

「へえ、おらのことかね」

「いきなりこんなことを云うては気を悪くするじゃろうが――お前さまの背には、なにやらよくないものが憑いておるな」

「ありゃ、カラスの野郎がフンでも落としたかね」

「いやいや、そんなものではない。わしは空念という旅の僧で、まだ修行中の身ではあるが、お前さまの背中に張りつくように、青白い顔をした男が立っておるのがはっきりと見えるぞ」

「ああ、それか」

「それかって――驚かんのか」

「なに、こんなもなァ修行なんぞせんでも、この辺りの者はみんな知っとるで。村の悪ガキどもの間じゃあ、おらとうしろの野郎との間ァ潜り抜けて、度胸試しするのが流行っとるだ」

「そ、そうか。わしの法力が上がったかと思うたが……しかし、よほど深い恨みがあると見えるな。昼日中からはばかることもなく化けて出おって」

「なぁに、図々しいだけだ。他人のものも我のもンも見境つかねえ野郎だで」

「お前さまなにか、恨まれるような覚えはあるのか」

「ああ、それだったらひとつ、あるっちゃあるな」

「ほう、どのようなことじゃな」

「改まって聞かれるとこっ恥ずかしいけんど……へへ、おらがこの野郎、殺しただ」

「いやいやいや、恥ずかしいだのなんだのという話ではなかろう。な、なぜそのようなことを」

「うーん……まあ、そのへんははっきりしねえもんで。なにしろみんなでワーッと行ったでね」

「みんなというと、この村の者たちかな」

「へえ。とにかくまあ、この野郎ときたらそりゃあ悪い奴でね。働きもしねえでブラブラしてて、畑のもンは勝手に盗るわ、軒先に吊るしたもンは掠め取るわで、文句云やぁ反対に殴る蹴る。娘ッこには悪さァする、子供を見りゃあ追いかける、赤子がいりゃあ泣かせるで手がつけらんねえ。犬には吠えかかるし猫のヒゲは抜く、しまいにゃスズメも寄ってこねえで、カカシの権十て名がついたくれえだ」

「だからと云うて、殺してよいことはなかろう」

「そこがまあ、勢いちゅうやつだ。去年の祭りの晩の帰り道、若後家のお初さんの家から助けてーちゅう大声がして、こらぁ大変だとみんなでワッと押しかけたら、戸口から逃げ出してきたもンがおったで、そら、こいつじゃァと、そこらにあった割り木だのなんだのでポカポカポカッと――中からお初さんが明かりを持って出てきたんで、どんな奴が悪さしたンかいと、その明かりを受け取って照らして見ればカカシの権十。こらぁ悪い奴を相手にした、なにをされるかわからんと、みんなして顔を見合せたんじゃが、誰の手柄か割り木の当たりどころがよかったようで、そのまんま――やれやれちゅうて一同、胸ェなで下ろしたもんだ」

「それでは誰がやったのかわからんじゃろうが。なのになぜ、お前さまに取り憑いた」

「間が悪かっただねぇ。おらがちょうど、死んだかどうかと試しに割り木の先で突ついたときに、この野郎、最後に一度、目ェ開けやがってね……たまたまおらと目が合っちまっただ」

「それは災難――というかなんというか」

「まあ仕方ねえで、これで野郎の気が済むンならと、好きにさせているだ」

「いやいや、このまま放っておいて気が済むというものではないぞ。ちゃんと成仏させてやらねば、いつまでも憑いて回る。――弔いはしたんじゃろうな」

「ああ、庄屋さんに話ィして、これこれこういうわけでっちゅうたら、そらもう仕方がねえ、向こうも悪かったんだし、事故ちゅうことでわしが丸く収めてやるで、弔いはみんなしてやってやれちゅうて……しみったれなもんで銭は出さねえから、おらたちでなんとかして、坊さまも呼んでねんごろにやっただよ。それをまぁ、やることはやったちゅうに、この野郎ときたらなにが気に入らねえだか――ねえ」

「向こうにもいろいろ言い分はあるじゃろうが……しかし、供養はしても未だ成仏せぬのならば――他になにか、気の残るようなことはないかな」

「女房子はいねえし、親もいねえ。ま、居たって孝行なんぞする訳もねえがね。おふくろさんは権十産んですぐ死んで、残った親父にはガキの時分からさんざんこき使われ、親らしいことなんぞしてもらったためしがねえって云ってたくれえだ。おかげですっかりひねくれて――あとはそうじゃな、銭金はもちろん、家ン中にはなんにも残っちやいねえで、物に気が残るっちゅうことはねえじゃろ」

「うーむ、やはり恨みつらみか」

「野郎の面ァ見りゃわかりそうなもんだ。人のことォ、恨めしそうに睨んでやがって」

「しかし、このままではお前さま、本当に取り殺されるかもしれんぞ」

「ああ、そりゃあ大丈夫だ――おら、ガキのころから化け物やら幽霊やら、一切信じねえ質だで」

「信じる信じないの話ではあるまい。ここまではっきりと見えておるからには、よほど強い怨念をお前さまに向けておるはずじゃが」

「さあ、どうかね。そんだけ怨念が強けりゃあ、おらにも見えそうなもんだがな」

「うん? 今、なんと云うた」

「だから、そんだけ恨んでりゃあ、おらに見えてもええじゃろうちゅうて――」

「お前さま、見えて……おらぬのか?」

「村の衆はみな、おらの背中に権十が居るちゅうて、おらの名前ェが甚六だから、前の甚六うしろの権十なんぞと二人羽織みてえに云うとるが――実を云や、おら、見たことねえだ」

「し、しかし、恨めしそうな顔をして――とか云っておったではないか」

「へへ、みんなが見えてておらだけ見えねえちゅうのも癪だで、ちょっと話ィ合わせてみただ。いや、おらもな、いっぺん見てみてえもんだと、権十の隙ィついていきなり振り返ってみたり、池の水に映してみたりしただが、野郎、うめえこと隠れとるのか、ちっとも姿ァ見せねえ。穴熊みてえな野郎だ」

「いやはや、これだけはっきりしておるのにお前さまひとりが見えぬとは――それはそれで人並みはずれた力とも云えるが……では恐ろしくはないのか? 取り憑かれて身体が弱ってきたりとか、夜うなされるとか――」

「ぜーんぜん。飯はうめえし、寝床に入りゃあ朝までぐっすりだ」

「うーむ――それかも知れんな」

「なにがだ?」

「お前さまが怖がらぬから、それで気が残るのではないかな。こやつ、化けて出たものの相手は怖がらぬし、引っ込みがつかなくなっておるのじゃろう」

「へえ、そんなもんかね」

「お前さまが怖がってやることで、浮かばれるかも知れんぞ」

「おらが怖がると権十の野郎、いなくなるかね。そんじゃひとつ――おお、怖いこわい、おお、怖いこわい……消えたか?」

「子供をあやすような、そんな怖がり方ではなんにもならん。本心より恐れ、もう二度と関わりたくないと、心の底より思わなければ浮かばれまい」

「そう云われたって、おら別に、どうってこたぁねえだよ」

「厄介なものが厄介な相手に取り憑いたものじゃな。お前さまは平気でもまわりの者には迷惑だろうし、なにより成仏できぬこの男も可哀相だ。なんとかしてやりたいが、今のわしの法力では――」

「そう気を落とさねえで。まだ修行中の身だっちゅうでねえか。これからもっと精進を重ねてけば――」

「お前さまに云われてもあまりありがたくはないが……しかしこのまま見過ごすことも出来ぬ。いずれまたこの地に戻り、必ずやわしがこの亡者を成仏させて見せよう」

 勝手に覚悟を決めて修行に励み、それから一年ほど経ったある日、空念は再び村にやってきて、

「一年の修行の後、わしが一月の護摩行を経て書き記した怨霊退散の護符じゃ。これをお前さまの背中に貼れば、たちどころに権十の霊も退散するであろう」

「怨霊退散の護符ぅ……そんなもん貼ってもなんもなんねえだよ」

「なぜだ」

「権十の奴ァ字が読めねえだ」

「いやいや、護符というのは読める読めないではないのだ。と、とにかくお前さまの背中に貼ってやるからその野良着を脱いで――なんだ、肩から腰まで膏薬だらけではないか。もしや権十の恨みで――」

「そうでねえ。こないだ大きな木の根っこを引き抜いた時、背中がばりばりっちゅうて、えらく痛んだもんで、女房に貼ってもらっただ。お札より効くぞ」

「女房? お前さま、妻をめとったのか――大丈夫なのか……」

「くっつき合いじゃねえよ。ちゃんとお庄屋が間に入ってもらった女房だ。心配しねえでも――」

「いや、そうではなく、背中の権十が恐ろしくはないのかと――もしかして妻女となったものも、お前さま同様見えないのか」

「見えるだよ。もとは隣村の娘で、権十の噂ァ聞いて、わざわざ山ァ越えて見に来たぐれえだ。幽霊だの化け物の噂だのが三度の飯より好きっちゆう変わり者ンだで。ま、そこが可愛いちゃあ可愛い。へへ」

「そうか……おたがい納得ずくならわしが口を挟むことではないが……おお、それよりこの護符じゃが、どう貼ったものか。膏薬の上からでは張替えるときに剥がれてしまうし……」

「女房が貼ってくれた膏薬だ、うめえこと避けてくれろ」

「せっかく作った初めての護符。出来れば真っ直ぐ貼りたかったが――こことここの隙間になんとか……うーむ、だいぶ斜めになったが致し方ない」

「で、どうだ。権十の奴は消えたか」

「いや、まだ……難しい顔をして護符を睨んでおるが……しきりに首を捻っておって……ああ、違う違う、そうではない。縦にこう読むのじゃ。よいか、これが怨という字でこれが霊、つまりお前さまのことで、それが退散となるのだから、すぐにここから立ち去って――あ、いま鼻で笑いおったな。わしが入魂の護符を鼻で……ああ、また元の恨みがましい顔に戻った……」

「怨霊に護符を読み聞かせるちゅうのもあんまり聞かん話じゃが……まあまあ、これに懲りんで、もっと修行に励むこっちゃな。いつでも権十が相手をするで」

 空念は甚六にも鼻で笑われたような気がして、それからまた一年、厳しい修行を積み、こんどは怨霊退散と彫った木札を持って、村へ乗り込んできた。しかしいつもの畑に姿は見えず、はて、と思って近くの小屋を覗くと甚六がひとり、赤ん坊を抱いて座っている。

「邪魔をいたすぞ。わしだ、空念じゃ」

「ああ、旅の坊さんか……おめえもどうせ、権十に会いにきたんじゃろ」

「まあ、あやつを成仏させるのがわしの役目と思うておるから、そうとも云えるが」

「へっ、どいつもこいつも」

「どうした、なにがあった。いつも呑気そうにしておったお前さまが、やけに絡むではないか――その赤子はお前さまの御子かな」

「ああ、おらの子じゃ」

「ひょっとして夜泣きがきつうて眠れんとか、女房殿の乳の出が悪うて泣き止まんとかで――」

「女房なら里へ帰しただ」

「里へ? 一年前はずいぶんと睦まじいようじゃったが……こうして赤子まで出来たというに、なにがあった――いやわしが口を出すことでもないが……」

「女房の奴、他の男に色目を使っただ」

「お前さま以外の男に……この村の者かな」

「この家の者ンだ」

「この家の? もしや……」

「ああ、権十の野郎だ。女房の奴、しょっちゅうおらの方見てにこにこしたり、恥ずかしそうにちらちら見たりしとったが、ありゃあどうも、おらではなくて権十に色目を使っていただな」

「それはお前さまの考えすぎではないか」

「いいや、あいつは幽霊や化け物ンが好きだから、おらより権十と居たくて一緒になったに違ぇねえ」

「しかしこの赤子はお前さまと女房殿の御子に間違いなかろう」

「当たり前じゃ、おらの子に違ェねえ!」

 大声に驚いたか、不意に赤子が目を覚まして泣き出した。甚六はなんとかあやそうと、揺すったり背中をさすったりといろいろ試したが泣き止まない。それがふと、赤子は甚六の肩越しにじっと目をやったかと思うと、キャキャッと声をあげて笑った。

「ああ、またじゃ。また権十を見て笑っとる。女房も子供もみんなおらじゃなく権十ばかり見とる。おらだけが権十の姿が見えないと思っとったが、そうではなくて、おらだけが誰からも見えないようになって――」

「そんなことはない、気のせいじゃ。これまではお前さま一人で、見えぬ権十など気にも留めなかったろうが、女房といい赤子といい、お前さまが心の底から大事と思う者ができたからこそ、その視線が自分ではなく権十に向けられているのではと不安になり、却ってそんなことを考えてしまうのじゃ」

「だけンど赤子は……赤子は権十を見て笑ぉとる……恨みがましい面ァ見て笑うだなんて、この子はどうなっちまうだ――おら、権十がおっかねえ」

 甚六は赤子をギュッと抱きしめると震えだした。戸口に立ったままだった空念は、最前から後ろ姿の権十がなにやら変わった動きをしているのを訝しみ、前に廻って覗き込んで――

「おお――安心しろ、甚六。権十は恨みがましい顔などしておらんぞ」

「へっ……?」

「権十め、いないいないばあをして赤子をあやしておる。恨みがましい顔どころか、ひょっとこの真似やら舌を出しておどけた顔で……」

「ご、権十がか――」

「うむ。一緒に暮らす内に情が湧いたのであろう。こんな無法者にも人間らしい気持ちが残っておったか……うん? 権十の姿が薄れてきたような……そうか、お前さまが心底権十を恐ろしいと思うたから、それで満足して――」

 権十は顔の両脇で手のひらを広げ、べろべろと舌を出したまま消えていく。赤子はキャッキャと笑い、権十は笑ったのか哀しいのか、最後に不器用に口元を歪ませると、いないいない……もう、いないいない……

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