喜六家清八こと山口識行

1982年10月30日から東海道の宿場町(新居)の片隅で、「普通に笑って過ごせる」地域…

喜六家清八こと山口識行

1982年10月30日から東海道の宿場町(新居)の片隅で、「普通に笑って過ごせる」地域寄席「本果寺寄席」を企画、継続して開催しております。私は、静大落語愛好者の会OB、主催者の特権で前座を務めております。約51年前から落語・演芸関係の書籍・音源・映像の収集中です。

最近の記事

  • 固定された記事

喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その十一

本果寺寄席の10年と瀧川鯉昇師匠 Part.1 私は、東海道の宿場町「新居」の小さな会場で、1882年10月30日から、普通に「笑って過ごせる」地域寄席を企画し、継続して開催してきました。予定では、2024年11月26日には、瀧川鯉昇師匠の会を100回記念会として開催する予定です。初回から26回目まで、10年間一緒に動いてくれたスタッフのうち、4人の方は亡くなってしまいました。当然ですが、初回から昨年の第97回まで一緒に参加してくれた常連の方々からの「もう伺えません」連絡も増

    • 復刻版「贋作・ひとりごと」No.1

      イントロダクション  私は、1976年4月から2001年11月まで、遠州文化連盟のスタッフの一員でした。遠州文化連盟(遠文連‥えんぶんれん)とは、1967年4月、当時の日経連(日本経営者団体連盟)の地方組織、遠州経営者協会が母体となって設立された音協活動団体でした。当初は、旧・浜松市民会館をメイン会場として、月例会としてコンサート鑑賞企画、文化体育活動企画を加入企業に提供する目的であったようです。事務局は、当時の浜松商工会議所の5階にありました。西武百貨店・浜松店の隣でした

      • 喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その二十三 私家版「小噺・ジョーク集」

        イントロダクション  2024年4月3日、その二十一として私家版「上方落語小品集」を投稿させていただきました。この内容は、1978年10月20日に手書きで作成した冊子からの復刻版でした。私の記憶の中では、1965年頃から当時のNHK総合、NHK教育、民放局の角座アワー、吉本新喜劇、「ハイ!土曜日です」、関西ラジオ深夜放送での若き時代の桂三枝(現・桂文枝)、桂小米(故・桂枝雀)などを通じて、当時のお笑いを観て聴いて育ちました。1970年頃からは、テレビのスピーカーの前にマイク

        • 復刻版「貴族の巣ごもり」 清八の「女性対男性」その7~その9

          貴族の巣ごもり 清八の「女性対男性」その7 「上海バンスキング」の話から評論家の話になりました。 「いくら私でも、松坂慶子がミス・キャストなことぐらいわかるわョ」  映画を観終わってから、女友達が言ったのです。  あの一世を風靡した自由劇場の「上海バンスキング」が、映画資本と名前だけの映画俳優によって、どのような駄作にされているのかを、この目で観るために、二人で観ることにしたのでした。 「存在感が全然違うんじゃないですか。あれだけのスクリーンにアップされた顔が、吉田日出子の

        • 固定された記事

        喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その十一

          復刻版「貴族の巣ごもり」 清八の「女性対男性」その5、その6

          復刻版「貴族の巣ごもり」 清八の「女性対男性」その5  高山祭の話からプロモーションの話になりました。 「10月10日って、お休みなんでしょう?私もなんだけど‥」  突然、女友達が言いだして、秋の高山祭に出かけることになったのです。  普通なら宿は取れないし、仮にあったとしても、お祭り料金になっていたりして、無理なのです。ところが、高山から車で一時間の所に飛騨萩原という町があって、友達が民宿を経営しているのです。 「それじゃ、『赤かぶ』に泊まりましょうか」 「あの、清八さん

          復刻版「貴族の巣ごもり」 清八の「女性対男性」その5、その6

          復刻版「貴族の巣ごもり」 清八の「女性対男性」その3、その4

          貴族の巣ごもり 清八の「女性対男性」その3  かけ蕎麦から素スパゲティの話になりました。 「駅の立ち喰い蕎麦って、いま、いくらなのかしら?」  突然、女友達が聞いてきたのです。  正直言って、とまどってしまったのです。マイカーの生活をするようになって七年くらいにはなるし、列車で旅行してときも、立ち寄ったことがなかったからです。 「さぁー、かけ蕎麦で、200円くらいじゃないですか」  と、一応は無難な金額を言ってしまったのです。 「ふ~ん、そうするとそんなに高くないわけネ」

          復刻版「貴族の巣ごもり」 清八の「女性対男性」その3、その4

          復刻版「貴族の巣ごもり」 清八の「女性対男性」その1、その2

          イントロダクション  私は、1979年5月から1982年3月まで、当時の浜松市内の月刊タウン誌「あっ!ぷる」の編集を手伝ったり、「我楽苦多通信」というコラムを担当しておりました。83年の何月頃だったのか忘れましたが、84年から新しい月刊タウン誌が発行されるという情報が入ってきました。それが、「遠州地方ではじめての若い女性のためのクリエイティブ・メディア誕生!」というキャッチコピーでした。HPもSNSも無かった時代でも、さすがにこれは恥ずかしかったですね。  月刊「サムスィン

          復刻版「貴族の巣ごもり」 清八の「女性対男性」その1、その2

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その二十二 創作落語「雨やどり」

          イントロダクション  私は、53年前、17歳の頃から浜松市内の古書店巡りをするようになり、落語・演芸関係の書籍を少しずつ購入、収集してきました。もちろん新刊本も定期購入本、限定本も購入し続けております。ネット上での古書購入も楽しみの一つとなりました。2024年3月末時点で約4500冊保管してあります。  1977年4月、一年間の就職浪人の後、当時の浜名郡新居町役場に奉職となりました。この年、役場内にあった和文タイプを無断使用して、自分で考えた創作のマクラや落語を記録していま

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その二十二 創作落語「雨やどり」

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい  その二十一 私家版「上方落語小品集」

           1978年10月20日、私が24歳の頃ですが、私家版として当時ラジオ放送から録音したり、落語速記本の古書、そして自作の小噺などをまとめていた冊子を保管してありました。まだ、市販のワープロもPCも存在していない時代でした。手書きで作成しました。今となってみれば、お恥ずかしい内容ですが、復刻版として投稿させていただきます。 「寒がり」  12月になると、どういうもんか、火事が多いんですな。一年中で一番火事が多いんですってね。そらまぁ、12月になるとどこの家も火の車が回るから

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい  その二十一 私家版「上方落語小品集」

          第99回本果寺寄席は、5月26日(日)17時開演です。ご予約は、3月31日からお受けしています。

          「八代目 柳亭小燕枝(りゅうてい こえんし)の会」  新居・寄席あつめの会の主催者、喜六家清八こと山口識行です。  当会は、1982年10月30日、二ツ目時代の春風亭愛橋(現・瀧川鯉昇師匠)の勉強会としてスタートしました。  東海道の宿場町「新居」の片隅で、普通に「笑って過ごせる」地域寄席として企画、継続しております。  これまでの来演者は45名、延べ327席の「噺」を聴いていただけました。 今回は、99回目、100回目に向けてのカウントダウン企画です。 ・と き 20

          第99回本果寺寄席は、5月26日(日)17時開演です。ご予約は、3月31日からお受けしています。

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その二十

          林 洋子さんと「クランボンの会」  1986年3月11日、当時の天竜市二俣町の「玖延寺」で林洋子さんによるシタール弾き語りによる宮沢賢治の世界「いのちの物語 雁の童子」が上演されました。当時、私の民芸の師匠であった浜松市中区有楽街「工芸ギャラリー・キッド」の加藤さんのお店に置かれていた一枚のチラシで初めて知りました。  4月頃、この林洋子さんのプロフィールと天竜公演の内容を教えていただきました。連絡先を教えていただき手紙を送ったところ、5月に入って連絡が取れ、条件とスケジ

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その二十

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その十九

          劇団テクノポリス、東京キッドブラザーズ、そして北村想  1980年頃に、当時の浜松市青年婦人会館のサークル活動の一つとして、結成されたのが「劇団テクノポリス」でした。私は、当時、浜松市内の月刊ミニコミ誌「あっ!ぷる」に「我楽多通信」というコラムを掲載していました。その内容が浜松市内の演劇関係者の目に留まり、何度か話をする機会が出来ました。それで、この劇団の存在を知り、何度か観に行っていました。  また、私は1976年から、浜松市内の音楽鑑賞団体であった遠州文化連盟(遠文連

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その十九

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その十八

          「新居・寄席あつめの会」の設立経緯と趣旨  その十一で、1984年9月25日開催の「野口すみえ一座」招聘から公演までを投稿致しました。この公演が、静岡県湖西市新居町という東海道の宿場町の片隅で、私が「新居・寄席あつめの会」というイベント活動を始めて6本目の企画でした。7本目の企画の前に、当時のスタッフ各位に対して、私の思いを書いた資料が残っていました。若気の至り?と恥ずかしい内容ですが、当時28、29歳でこんなことを考えていて口に出していた記録です。そのまま掲載します。

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その十八

          浜松市内のカフェで、「永楽屋手拭い展」

           浜松市中央区高塚町にあるカフェ「Cafe Bratt」さんで、わたしの手拭いコレクションから、京都・永楽屋さんの手拭い12本を展示してます。 会期 3月1日(金)から3月31日(月) 会場 Cafe Bratt 浜松市中央区高塚町4541-21 営業日 土・日・月 営業時間 11:00から16:00 駐車場 5台分    TEL 053-440-9545 展示手拭い   「よーこがはりますなぁ」   

          浜松市内のカフェで、「永楽屋手拭い展」

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その十七

          本果寺寄席の10年と瀧川鯉昇師匠 Part.4  第13回目の本果寺寄席は、1988年5月21日(土)の開催でした。この時のご案内ハガキには、次のように書きました。  異常気象の冬が終わりまして、新緑の季節になりました。本果寺寄席のご案内です。今回は珍しく、談志師匠の立川流一門から立川談之助さんに出演していただきます。実験落語派として、ウルトラマンとかエイトマンのネタでテレビ出演していましたから、ご存じの方も多いと思います。当落語会としては少し冒険ですが、若い噺家を応援して

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その十七

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その十六

          独断と偏見の1980年 Part.3定期購読編 Part.1とPart.2で、1980年一年間に観たり、聴いたり、読んだりしてきた覚書から投稿しました。この80年は、韓国・光州事件、モスクワオリンピック不参加、イラン・イラク戦争勃発、ロナルド・レーガン大統領当選、ジョン・レノン銃殺事件、静岡駅前地下街爆発事故、かなり記憶に残っている一年でした。そこで、この一年の文化状況データを保管してきました。  当時、定期購読していた月刊誌、季刊誌もありましたので、こちらも投稿させていただ

          喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その十六