又吉正直

那覇市首里生まれ。獣医学博士。映画、落語、ボクシング、将棋、創作料理に埋没して、半世紀…

又吉正直

那覇市首里生まれ。獣医学博士。映画、落語、ボクシング、将棋、創作料理に埋没して、半世紀をゆるゆると経過中。映画や文芸に登場する人と動物たちの「業」と「妄想」を観察、探求する日々。著書に『お苦しみはこれからだ』ボーダーインク社。創作落語は「元牛」、「異邦人たちの秋」など18編。

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牛肉を愛した偉人たち ⑱・アーネスト・ヘミングウェイ

 初めて英語の小説を読んだのは高校一年の頃で、Ernest Hemingwayの『The Old Man and the Sea』。もちろんいきなり原書を読んだのではなく、福田恆存の『老人と海』(新潮文庫)が面白かったので、チャレンジしてみた。当然のことながら一ページに多くの(いや、おびただしい数の)知らない単語が出てくるので、研究社の英和辞典を引きまくった。特にこの物語はタイトルのとおり海の上の出来事がほとんどなので、海事の専門用語が半端なく出てくるし、舞台がキューバなので

    • 牛肉を愛した偉人たち ⑰・黒澤明

       黒澤明と言えば、まず『羅生門』を挙げなければならない。1951年、第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、翌年第24回アカデミー賞で名誉賞(現在の国際長編映画賞)を受賞した。ヴェネツィアで上映されたのは8月23日。おりしも席上英国の元首相W・チャーチルも避暑の途次この会に現れ、激賞したとのことである。これまで国際的にほとんど知られていなかった日本映画の存在を世界に知らしめることになった。  黒澤明は1910年(明治43年)に現在の東京都品川区の東大井で中学校職員の4男4女

      • 牛肉を愛した偉人たち ⑯・フランツ・シューベルト

         手元に『シューベルトの手当て』という一冊の新刊本がある。クレール・オペール著、鳥取絹子訳、アルテスパブリッシング社。著者は1966年パリ生まれ、チェロ奏者、アートセラピスト、作家。本の帯によるとオペールは自閉症の若者、認知症の高齢者、終末期の患者たちに寄り添い、チェロを奏でつづける。音楽がもたらした奇跡の物語。  彼女の演奏によって、患者の痛みは10~50%軽減し、不安解消の効果は90%近く、看護師の100%が好影響を受けたと回答する。緩和ケア担当医師は「10分間のシューベ

        • 牛肉を愛した偉人たち ⑮・荒畑寒村

          荒畑寒村(1987年~1981年)、本名は荒畑勝三。神奈川県横浜市で遊郭の仕出し屋に生まれる。堺利彦、幸徳秋水の影響から社会主義者を志す。入獄出獄を繰り返す中、小説、評論を執筆した。戦後、日本社会党より衆議院に当選。主義主張の一貫した生涯は、日本社会主義運動の良心の軌跡とされる。 旨かった監獄料理  ここで『わが家の夕めし』アサヒグラフ編、朝日文庫(絶版)から荒畑寒村へのインタビュー記事(昭和54年1月19日)を紹介しよう。   今まで食べたもので何が旨かったか、です

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          牛肉を愛した偉人たち ⑭・アルフレッド・ヒッチコック

           今、私の手元には一冊の古書がある。タイトルは『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(晶文社)定価2,900円。奥付を見ると1981年12月25日発行とある。この本は当時、私が就職して購入した最も高い本であった。ちなみに趣味の本ではなく専門書に限定すると『牛病学 初版』(近代出版)1980年発行。定価25,000円。当時の基本給が10万円そこそこだった事から月収の4分の1を費やしたことになる(とほほほ!)。  『牛病学』はともかくとして、『映画術』は爾来(じらい)約半世紀近く

          牛肉を愛した偉人たち ⑭・アルフレッド・ヒッチコック

          牛肉を愛した偉人たち ⑳・ 北里柴三郎(下)

           ノーベル生理・医学賞受賞をのがす  1889年に破傷風菌の純培養に成功した翌年、柴三郎は同じコッホ門下のエミール・フォン・ベーリングと共著で、ジフテリアと破傷風の抗血清療法を発表した。  アルフレッド・ノーベルの遺言によって死後5年経った1901年、ベーリングは「血清療法、とくにそのジフテリアへの適用に関する研究に対して」の業績で、第1回ノーベル生理・医学賞を受賞する。  当時、選考は3段階に分けられた。まず、国際的な推薦システムで候補者名を募り、次にノーベル委員会で検討を

          牛肉を愛した偉人たち ⑳・ 北里柴三郎(下)

          牛肉を愛した偉人たち ⑲・ 北里柴三郎(上)

           2024年7月3日、20年振りに新しい紙幣が発行される予定である。日本銀行のホームページから“生まれ変わる日本銀行券”と題して広報されているのでその概要を見てみよう。今回肖像として使用される人物は渋沢栄一(一万円札)、津田梅子(五千円札)、北里柴三郎(千円札)である。今回の主人公である北里柴三郎の採用理由は以下となっている。□世界で初めて破傷風の純粋培養に成功し、破傷風血清療法を確立。□ペスト菌を発見。□私立伝染病研究所、私立北里研究所を創立し、後進の育成にも尽力とある。

          牛肉を愛した偉人たち ⑲・ 北里柴三郎(上)

          牛肉を愛した偉人たち ⑬・高倉健

           初めて高倉健を映画で観たのをはっきりと覚えている。それは昭和40年(1965年)の『宮本武蔵 巌流島の決斗』(内田吐夢監督)である。私は那覇市首里にあった「有楽座」という映画館の斜向かいで生まれたので,映画館が遊び場で映画が遊び仲間であった。この作品では主役の宮本武蔵を中村錦之助が演じ,高倉健は宿敵の佐々木小次郎役であった。健さん(以下そう呼ばせていただく)は生涯に205本の映画に出演している。今,手元にある『追悼 高倉健』(週刊朝日臨時増刊号,2014年)を読むと, 健さ

          牛肉を愛した偉人たち ⑬・高倉健

          牛肉を愛した偉人たち ⑫・サンドイッチ伯爵

           食べ物の名前には人名を冠したものがある。この連載の其の弐で紹介したアレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ストロガノフ伯爵のビーフストロガノフ。其の六のジョアキーノ・ロッシーニが愛したフィレ肉のロッシーニ風。其の八のブリア=サヴァランと称するフランス,ノルマンディー原産のチーズなどがある。しかし今回紹介するサンドイッチは創始説話の中でも群を抜く知名度である。  第4代サンドイッチ伯爵の本名はジョン・モンタギュー(1718年~1792年)。おそらくよほどの事情通でないかぎりモンタギ

          牛肉を愛した偉人たち ⑫・サンドイッチ伯爵

          牛肉を愛した偉人たち ⑪・小津安二郎

           小津安二郎は1903年(明治36年)に東京市江東区深川に五人兄弟の次男として出生した。  日本の映画監督、脚本家。サイレント映画時代から戦後までの約35年にわたるキャリアの中で、原節子主演の『晩春』、『麦秋』、『東京物語』、『秋刀魚の味』など54本に作品を監督した。  生家の小津新七家は伊勢松阪出身の伊勢商人である。小津が当時の尋常小学校に入学した時、子供は田舎で教育したほうがよいという父の教育方針と当時住民に被害を及ぼしていた深川のセメント粉塵公害による環境悪化のため、一

          牛肉を愛した偉人たち ⑪・小津安二郎

          牛肉を愛した偉人たち ⑩・ウィンストン・チャーチル

           今回は英国政界一の嫌われ者と揶揄された大御所チャーチル(1874年~1965年)に移る。サー・ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチルは文字通り貴族の出自で父親は公爵。陸軍士官学校を卒業し、軍人、従軍記者の経験もあり、第61代と63代の首相を務めた。チャーチルが勇名を馳せたのは、ナチスドイツ軍の猛攻撃にさらされ壊滅寸前だった英国がダンケルクの戦いの成功により国民全体が勇気を鼓舞されたことが契機だった。第2次世界大戦の初期、チャーチルが首相に就任する前日の1940年5月

          牛肉を愛した偉人たち ⑩・ウィンストン・チャーチル

          牛肉を愛した偉人たち ⑨・内田百閒

          内田百閒は1889年(明治22年)、岡山市に裕福な造り酒屋の一人息子として生まれる。別号百鬼園。第六高等学校(現在の岡山大学)を経て、東京帝国大学独文科卒。二十一歳の在学中に漱石門下の一員となり、芥川龍之介、鈴木三重吉らと親交を結ぶ。   祖母や母に溺愛されて育った。丑年生まれだったので、牛の玩具をたくさん買ってもらったが、そのうち、「本物の牛を買ってくれ」と言いだし、とうとう牛を買ってもらった。座敷に近い庭に牛小屋を作って、十数キロ離れた農家から黒い牡牛をひいてきた。わがま

          牛肉を愛した偉人たち ⑨・内田百閒

          牛肉を愛した偉人たち ⑧・ブリア=サヴァラン

           「君が何を食べているか言ってみたまえ。君が何者であるか言い当ててみせよう」  「新しい料理の発見は人類にとって天体の発見以上のものである」  「動物は腹を満たし、人間は食べる。知性ある人間だけがその食べ方を知る」  「だれかを食事に招くということは、その人が自分の家にいる間じゅうその幸福を引き受けるということである」  「料理人にはなれるが、焼肉師は生まれつきである」    あまりにも有名なこれらの箴言(アフォリズム)はジャン=アンテリム・ブリア=サヴァラン(1755~18

          牛肉を愛した偉人たち ⑧・ブリア=サヴァラン

          牛肉を愛した偉人たち ⑦・正岡子規

           前回は贅の限りをつくしたジョアキーノ・ロッシーニの絢爛豪華な人生を紹介したが,今回は時代を再び明治に移して,正岡子規を取り上げる。子規は1867年(慶応3年)~1902年(明治35年)。伊予(愛媛県)松山生まれ、本名正岡常規。夏目漱石とは同年齢で帝国大学の学生時代からの無二の親友。新聞「日本」を主舞台に、俳論、俳句、随筆を発表する。 青年期に漱石と牛鍋をつついた仲でもあった子規の詠んだ牛肉がらみの代表句には以下がある。   松茸や京は牛煮る相手にも(明治25)   牛鍋

          牛肉を愛した偉人たち ⑦・正岡子規

          牛肉を愛した偉人たち ⑥・ジョアキーノ・ロッシーニ

           『料理王国』という月刊誌がある。1994年の創刊以来一貫して文化としての「食」を見つめ、料理人が真に求める情報をいち早く伝えることをコンセプトにコンテンツを作り続けてきている。『料理王国』の2016年の12月号は特集が「牛肉の一部始終」で斯界の名人の火入れ、その極意を伝えている。この中でトップシェフが語る【牛肉料理の履歴書】で吉野建氏(*当時レストラン タテルヨシノ銀座パートナーシェフ)が取り上げられている。   吉野氏は1952年、鹿児島県生まれ。1997年パリ8区に念願

          牛肉を愛した偉人たち ⑥・ジョアキーノ・ロッシーニ

          牛肉を愛した偉人たち ⑤・夏目漱石

           夏目漱石(1867~1916年)は帝国大学(現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めたあと、文部省給費留学生としてイギリスへ留学。2月号で紹介した森鷗外とは明治後期から大正初期にかけて斯界を代表する双璧である。鷗外がドイツのベルリンを中心に4都市で精力的に学び、かつ恋愛にも励んだのと違い、漱石のロンドン移住は孤独と苦悩に満ちた約2年(769日)だったらしく、一時は日本国内で漱石発狂説がまことしやかに囁かれた。漱石自身も後年、

          牛肉を愛した偉人たち ⑤・夏目漱石