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君知るや名肴ゲテモノ
日本獣医師会の学術・教育・研究委員(12名)が6月上旬、東京の青山で開催された。前日本大学総長の酒井健夫氏が委員長で、筆者は九州ブロックの代表委員を務めている。
折角なので前泊して、独自のテーマを設定し、スタディを開始した。題して「野生鳥獣肉の安全性確保に関する研究」である。なお、本研究は日本獣医師会への政治資金は転用されておらず、すべてが私財を投じての「うぁーばぐとぅ」であることを申し添えて
A・ヒッチコック、都知事ヲ叱責ス
深夜、アマチュアの霊媒師でもある私の元へ、アルフレッド・ヒッチコックが『裏窓』を叩いた。
以下はロンドンの鶏肉商の息子として出生し、『鳥』で世界を驚嘆させたサスペンスの神様との交信録である。
M 奇しくも『引き裂かれたカーテン』越しで巨匠と遭遇するとは。『サイコ』を観て以来、崇敬の念を抱いておりました。
H 『レベッカ』(おべっか)はいい。早速本題に入ろう。
M 日本では桝添都知事が『断
『ニーチェの馬』の飼い主
「1989年1月3日。哲学者ニーチェはトリノの広場で鞭打たれる馬に出会うと、駆け寄り、その首を抱いて涙した。そのまま精神は崩壊し、彼は最期の10年間を看取られながら没したという。馬のその後は誰も知らない」。ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受けたハンガリー映画『ニーチェの馬』(タル・ベーラ監督)は、この逸話にインスパイアされて生まれたという。
映画の冒頭のシーンでは、走る馬を自由自在にカメラが動いて
「蛇含草」そして創薬
上方落語に「蛇含草」というシュールでいわゆる見せる噺がある。この江戸版が同工異曲の「そば清」
山中で蟒蛇が人を呑む。鶏や兎と違い、人ともなると苦しくて七転八倒する。やがて谷底の赤い草をなめるとペソッと腹がへこむ。蟒蛇の消化剤だ。それを見ていた旅の者、草を持ち帰り、大食いの賭に挑戦する。もうこれ以上は食えないというところで廊下に隠れて蛇含草をなめると、それは「人間」を溶かす妙薬であった。サゲは不
トラと相伴した1時間
商売柄、干支の動物は神獣である龍を除いて病理解剖や採血、はたまたペットにした経験があるが、トラだけは縁がなかった。
しかし、図らずとも実現することになった。
ある2月の昼下がり、わたしは久茂地の蕎麦屋・美濃作のカウンターで会津若松の銘酒「名倉山」を飲りながら、海老天を頬張りつつ嵐山光三郎の『文人暴食』を読んでいた。
しばらくすると、関西弁の巨軀の男が隣端に座った。舎弟とおぼしき連れは小上が
ハラボジ…そして黄牛
沖縄本島で観測史上初のみぞれが降った。こういう日こそ寒さが売りの映像に限ると独りうそぶいた。
『牛の鈴音』(イ・チュンニョル監督)は、慶尚北海の奉化郡を舞台に、「大地を耕し、子を養ったすべての牛と父親に捧ぐ」とある。しかし冒頭からハルモニ(イ婆さん)がハラボジ(チェ爺さん)に対し、悪態罵倒、罵詈雑言を浴びせるシーンが延々と続く。
「何の因果でこんな男に嫁いだのか。16歳で100キロの道をやってき
牛肉より旨いらしい……
松の内にミケランジェロ・アントニオーニ監督の『さすらい』を観た。「愛の不毛」にさまよう中年男が題材のこの作品は世の該当者連の自己憐憫(ウチアタイ)が半端ない。名称の故郷、北イタリアのポー河流域で展開するあるシーンが意表を突く。主人公の雇い主は南米で一旗あげた成金だが、従業員が捕まえた獲物を食べながら、ひとくさり珍味談義が始まる。
「ハリネズミは堅いな。カバはまるでバターのように柔らかかったが。あ
⑩ わが××は緑なりき
数年前に「ちょいワルオヤジ」という言葉が流行った。一瞬、オキナワ中のオヤジがすべてそれに該当するような感もする。が、創案者の『LEON』初代編集長の岸田一郎氏によれば、年代は三十代後半から五十歳を少し上回り、年収は千五百万円から三千万円程度で、高額商品を抵抗なく消費する贅沢趣味を持つ。さらに二、三カ国語に堪能で淑女と熟女らと洒脱な会話を縦横に応接できる付帯条件などもあり、本県においては皆無である
もっとみる⑨ 君よ憤怒の皮を剥け
S子の白魚のような右指がYの自身に優しくあてがわれた。黒く光沢を帯びた皮膚には何層もの隆起した筋肉が全裸の外側からくっきりとわかる。あぁ、やがてあの獣さながらの屹立したものが出現れてくると想うとS子は微かな震顫と眩い渇望を隠せなかった。
「カット!駄目、もう一度」
ディレクターズチェアから立ち上がり、『細雪』(1983年)の四女古手川祐子に演技指導する市川崑監督よろしく、わたしはニューフェイス