理系の皆様 死ぬなら今

 えー皆様、空気感染する伝染病が蔓延していて密になれない上にジメジメと蒸し暑い中、オンライン寄席にアクセスいただき誠にありがとうございます。私の落語なんぞは覚えていかなくても結構なんでございますが、私の顔と名前だけは覚えて帰って下さいよ。ええ、来年選挙に立候補しますんで。筋肉亭兄貴、筋肉亭兄貴に清き一票をどうぞよろしくお願い致します。
 ここはとある病院の一室。清潔そうな白いベッドに横になって本を読んでいるのは、五人囃子のような白い肌に坊ちゃん刈りにした黒髪がよく似合う大変可愛らしい男の子でございます。
「浩孝、調子はどうだ? ゼリーとかアイスクリームとか何か食べたい物はあるか?」
「調子は何か良くない。夕食も半分残した位だから。今食べたい物は無いよお父さん。僕は本があれば欲しい物は無いんだ」
「浩孝は小さい頃から本ばっかり読んでいる賢い子だったな。今読んでいる本は何なんだ?」
「仏教の本。人は死んだらどこに行くのかと思って」
「そんな事は考えるもんじゃ無い。浩孝はきっと良くなるよ。そうだ、元気になったら何をしたいんだ?」
「したい事はあるけどとても言えないよ。ねえ、お父さんが社長をしている矢島合成化学株式会社は色んな化学製品を作っているんだよね?」
「そうだが、それがどうかしたのか?」
「お願いがあるんだ。もし僕が死んだら、頭陀袋(ずだぶくろ)に六文銭と一緒に、お父さんの会社で作っている超強力瞬間接着剤と、シリコンスプレーを入れて欲しいんだ」
「何だって? どうしてそんな物が入り用なんだ?」
「お願い、おとう……ゲホッ! ゲホッ!」
「浩孝! しっかりしろ! 今ナースコールで看護士さんを呼ぶからな! 頼む、早く来てくれよぉ!」
「それ……よりも……ゲホッ! 頭陀袋に……超強力瞬間接着剤とシリコンスプレーを……ゲホッ! ゲホッ!」
「解った解った。そんな事はあるはず無いんだが覚えておくよ」
 そんなお父さんの願いもむなしく、しばらくして浩孝君は持病が悪化して死んでしまいました。可愛い息子の最後のお願いだったので、お父さん意味は解りませんが子供の願いを叶えて葬式を出してやりました。

 あの世に行った浩孝君は閻魔大王の裁きで賽の河原に送られちまいました。まだ小さいのに可哀想ですなぁ。賽の河原では石を定められた高さまで積み上げちまえば成仏できるんです。
 ですが、積み上がりそうになると必ず地獄の獄卒が来て崩してしまうので、親より先に死んだ子供はいつまでたっても成仏できないんですなぁ。
「へっへっへっ、ずいぶんと可愛い新入りじゃねえか。さあ、その辺に転がっている石を決められた高さまで積むんだ。積めたら成仏して極楽に行けるんだぞ」
「へぇ、これが地獄の獄卒かぁ。本で読んだとおりだよ。さて、お父さんは忘れず頭陀袋に、超強力瞬間接着剤とシリコンスプレーを入れておいてくれたみたいだね。どうせまともにやっても成仏できないんだ。ならせいぜい今の状況を楽しむとしようか。一つ積んでは父のため 二つ積んでは母のため 三つ積んでは……」
 まだ来たばかりで元気がありますからなぁ。浩孝君、さっさと決められた高さまであとちょっとの所まで石を積み上げちまいました。
「お? 新入り、なかなか早く積み上げたな。だが惜しかったな、そおれ!」
「あ、この石塔はまだ触らない方が身のためですよ」
「この小僧、何言ってやがんだ? これが仕事なんだからやるに決まっているだろうが! どりゃあぁ!」
 獄卒が足を振り下ろして、浩孝君の積み上げた石を蹴り崩そうとしたんですが、ペチン! と音がしただけで石塔はビクともいたしません。
 その上、獄卒の足が浩孝君の石塔にくっついちまったんですな。あわてた獄卒が、石塔に手をかけて足を引っぺがそうとしたんですが、今度はその手までくっついちまいました。
「あーあ、だから言ったのに。積んだ石を崩されないように超強力瞬間接着剤で接着しながら積んだんですよ。表面にもたっぷり超強力接着剤を塗っておいといたからしばらくそのままでいて下さいね。で、あと一つ石を積めばと……これで成仏と極楽行きが約束されたと」
 浩孝君賢いですなぁ。石を超強力瞬間接着剤でくっつけながら積んじまえば、いくら鬼が崩そうとしたって崩せるもんじゃございませんからなぁ。
「おーい、誰か助けてくれ! 亡者が俺の手と足を石塔にくっつけちまったんだ!」
「何だと? けしからん奴だな。とっ捕まえて百叩きにしてやる!」
「そんな事されてたまるか。さっさと逃げよう」
「いたぞー! あのガキだ! 捕まえ……うわぁ!」
 浩孝君、今度は賽の河原にシリコンスプレーを吹きかけたんですなぁ。これじゃ足下の石がツルツル滑って、獄卒が追いかけられませんや。
「やっとたどり着いた。ここが閻魔大王が亡者を裁く閻魔庁だな。さて、やるとしようか」
 浩孝君、まずは閻魔庁の廊下の右半分に、シリコンスプレーをバーッと吹きかけ、残りの左半分には超強力瞬間接着剤をぶちまけました。
 次に獄卒の控え室に忍び込むと、置いてあった金棒の柄に、超強力瞬間接着剤とシリコンスプレーを交互に塗りつけ、吹きかけるのが終わった所で
「おーい、こっちだよー! これが本当の鬼さんこちらだな」
「いたぞー! あいつだ! 捕まえ……うわあぁ!」
「助けてくれー! 罠にかかったゴキブリみたいに廊下から身体が離れねえんだよ!」
「くそっ! 金棒の柄がヌルヌル滑って、掴めやしない!」
「こっちは逆だよ! 握ったら金棒の柄に手がくっついちまって放せねえんだ!」
 今や閻魔庁は大混乱です。歩こうにも廊下はツルツル滑るしベタベタくっつくし、まともに前に進めません。
 その上浩孝君は閻魔大王が亡者の裁きに使う浄破璃の鏡(じょうはりのかがみ)に超強力瞬間接着剤をぶっかけて、その辺にあった布やらゴミやらをベタベタくっつけちまったもんですから亡者の裁きが完全に止まっちまいました。
 浩孝君がようやく取り押さえられたのは、持ち込んだ超強力瞬間接着剤とシリコンスプレーが品切れになったからですわ。
「矢島浩孝とやら、ワシが閻魔大王だ。何の目的でこんな事をしたんだ?」
「親より先に死んだ子供はそれだけで十分罪深いから、永遠に成仏できなくても良いという、理不尽極まりない地獄の判決の抜け穴を賽の河原の子供たちに教えてやりたかった……というのは真っ赤な大嘘。目的なんか無いよ? 一度でいいから思いっきりイタズラがしてみたかっただけなんだ。病室で寝ている時は全然出来なかったし、せっかく大金をかけて病気を治そうとしてくれる両親に治ったらイタズラするとは言えなかったんだよ」
「全くとんでもない子供だな。報告によると賽の河原の石塔は規定の高さまで積み上げてあると言うし、お前のような奴はとっとと極楽に行ってしまえ」
「閻魔大王様、それでいいのですか?」
「お前たち獄卒の気持ちも解るが、閻魔庁と言うのはだな生前の罪を裁く所であって、死後に犯した罪を裁く場所では無いのだ」
 閻魔庁もれっきとしたお役所ですからなぁ。どんなに腹が立っても管轄外の業務は出来ないように決められているのですわ。
 それから閻魔大王は理系の亡者から超強力瞬間接着剤のはがし液の成分と、作り方を聞き出して地獄でアセトンを獄卒に合成させました。
「なるほど。木を蒸し焼きにして出てきた木酢液(もくさくえき)と言う汁で、貝殻を煮込むとアセトンとやらが出来るのか」
 金棒の柄や廊下に塗られたシリコンをはがすのに使える無水エタノールは、閻魔大王や獄卒が呑む酒を蒸留する事で抽出できました。
「これからは、科学や化学の進歩で地獄の責め苦が無力化される時代になる。今回の一件は前触れにすぎん。これから地獄にくる理系の亡者は責め苦を免除して、科学の発達でどう責め苦を無力化できるのかという方法と、科学、化学技術を使った新しい責め苦の方法を聞き出して対抗策を練ると同時に、今のうちに新しい地獄を作っておこう」
 あの世で理系出身亡者の需要が高まっているので、理系出身者は今なら地獄に堕ちても罰はありません。
 理系の皆さん、死ぬなら今です。

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