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お連れの分

(前回「背中の権十」の原型の噺です)

「おう、居るか? 居るのか、おいーー」

「ああ、こりゃ兄ィ」

「なにが兄ィだ。ここンとこ面ァ見せねえからどうしたかと思って来てみりゃあ、部屋の隅で膝抱えてやがる。なんだ、病気か? 身体の具合でも良くねえのか?」

「いやぁ、身体はなんともねえンで」

「じゃあなんだ、女にでも振られてグズグズしてやんのか」

「振られるほどの馴染みの女なんぞいやしませんよ」

「だったらどうして面ァ見せねえんだよ。もう暮方だってのに、家ン中閉じこもったきり明かりもつけねえで」

「それが……ちょいと、その……おっかねえんですよ、外へ出ンのが」

「おっかねえ? ああ、不義理な借金でもあって、面ァ合わせたくねえ奴がいるのか」

「なぁに、借金なんぞ屁でもねえ」

「わからねえな。日頃、怖いもンなんぞなにもねえって威張ってるおめえが、いってえ何が怖くって出られねえってんだよ」

「ありゃあ十日ほど前の、小雨の篠突く晩のことでしたかね。飲んで遅くなった帰り道、ちょうど寺町の辺りに差し掛かると、なにやら急に背筋がブルブルっとーー」

「な、なんだよーーなんか出たのか」

「いや、出そうになったんですよ、小便が。それでね、寺の土塀が崩れてンのを幸い、墓地ン中入って心ゆくまで用を足して、やれやれってんでひょいっと見ると、てっきり木の根方に引っかけてると思ってたのが、傾きかけた古い墓で、なんでこんなとこにあるのかとーー」

「墓地ン中だ。当たり前じゃねえか」

「あんだけ傾いてるとこ見ると、一人ふたりじゃねえね、小便引っかけたのは」

「くだらねえこと云ってんじゃねえや。それでどうしたんだよ」

「別にどうってこともねえで、またふらふら歩きだしてーーそしたら夜鷹蕎麦が出てたんでね、ちょいと手繰っていこうと思って、親父、一杯くんなって。んでこっちが食ってるとね、へぇお待ちって、もう一杯出すんですよ。なに寝ぼけてやがる、俺ァ一杯しか頼んでねえやッてえと、これはお連れの分で、なんてとぼけたことをぬかすからね、どこに目ェつけてんだ、俺一人しか居ねえじゃねえかってーーそしたら親父の野郎、キョロキョロ辺りを見やがってね、あれ、あの青白い顔をした痩せたお方は、なんてーー」

「よ、よせよ、おいーーお、俺ァ出入りだ喧嘩だなんてッたら真っ先に飛び出していくけどよ、そっちの方は、俺ァ苦手なんだよ」

「ははぁ、この野郎、なんだかんだ云って二杯喰わそうって魂胆だな、その手は喰わねえーーけど、腹ァ減ってたんで蕎麦はもう一杯喰っちゃった。銭ィ払って家の近くまで戻ってきたら、今度は近所の馴染みの野良の奴が、いつもなら尻尾振るのを、こっち見たとたん、ワンワンワンワンって歯ァ剥き出して吠えたてやがってね。なんだい畜生ってよく見たら、あっしじゃなくて、あっしの後ろに向かって吠えてン」

「お、俺、ちょっと用事を思い出したからーー」

「おとなしくしろィ!」

「はいッーー」

「ってね、野良の野郎に云ってやったんですよ。ところがちっとも聞きやしねえ。近所迷惑にもなるし、しようがねえから石ィ投げて追ッ払ってね、そのまま家へ帰って寝ちゃった。そしたら夜中ンなって苦しくって苦しくってーー」

「で、出たのか、やっぱりーー」

「出たもなにも、寝しなに蕎麦を二杯もやったもんだから、腹が張ってしようがねえ。便所に三度も起きましてねーーその意味では三度出た」

「いいよ、そんな話は」

「朝ンなったらゆンべの雨も上がって馬鹿にいい天気だったもんで、こんな日に仕事をしたらお天道様に申し訳ねえって、近所のお不動様の縁日へ行きましてね。お参りすませて、ちょいと茶店へ腰掛けてたら、隣の客の喰ってる団子がやけに美味そうに見えたんで、親父、こっちにもって声かけてーーそしたら二ッ皿持ってきやがる。ひとつは俺ンだが、もうひとつは……こっちの客のかなァってーーどうもはっきりしねえとこに置くんですよ。ねえ、縁台に客が二ァ人座ってりゃ、その間にこう線を引きましょ。この線からこっちに置いてくれりゃあ、もうこっちの陣地ですから俺のもんとわかるのに、真ん中辺りに置きやがる。団子三つの内、二ッつは向こうの陣地に入ってるようでいて、だけど串の持つとこはこっちィ向いてて……国境の争いってのはこうやって起こるンでしょうね」

「いいから、それでどうなったんだよ」

「横目でちょいと気にしながら団子一皿喰って、親父、勘定ここへ置くぜって、ついと行きかかったとこへ、お客さま、お連れの分がってーー」

「ま、またかよ」

「お連れの分て、冗談じゃねえ。俺ァ団子一皿しか喰ってねえよって、ひょいと見ると、たった今、腰を上げるまでそこにあったはずの団子がなくなって る。あれ、おかしいなって思ってると、ガキが二、三人、ワーッと駆け出してったから、ああ、俺がちょいと目ェ離した隙に、近所の悪ガキどもにでも喰われちまったんだろうとーーまあ、しようがねえ、職人が団子一皿で揉めるのもみっともねえんで、残りの銭放り投げて行こうとしたら、もし、そこな御仁とーー」

「ふんふん、どうした」

「えー、本日はここまで。続きはまた明晩ーー」

「ここまで話して勿体つけるなよ。さっさと話せ」

「誰かと思えば道端に出てた人相見で、天眼鏡を顔の前に、目ン玉でっかくしたり小さくしたりしながら、お主なにやら良くないものが憑いておるようじゃ。拙者が見てしんぜよう、なァんて偉そうに髭ェ捻くり回してね。なに云ってやがる、俺に見えねえもんがお前に見えるってのか。だったらあすこの寺の屋根ンとこで鳩が喰ってる豆は何粒だか云ってみろィーー」

「遠目が利くわけじゃあねえや。向こうが云ってンのはーー」

「三粒だって」

「へ?」

「うぐいす豆と金時豆と、もうひとつはお多福豆だなってーー冗談云うねえ、鳩がそんなもン喰うかッったら、じゃあお主は見えるのか、とーーそう云われりゃこっちァ見えねえもの。云い返せねえや。あれ、ひょっとしてお多福豆喰ってんのかな、って首捻ってたら、おわかりかな、世の中、見えるから有る、見えないから無いだの違うだのと、そう簡単なものではない。拙者にはお主の後ろに居るものの姿が見えるのじゃ、なぁんて……こっちもうっかりその気になってね、なにが居るってんだってえと、天眼鏡で人の顔ォジロジロ眺めやがって、お主、なにか罰当たりな真似をしたであろう。先祖の供養を欠かしておるとか、神社の鳥居に粗相をしたとか、寺でなにやら悪さをしたとかーーってえから、いや、ッて」

「いやってーーおめえ、よくそこで首を横に振れるな。前の晩だろ、墓に小便引っかけたのは」

「へへ、一晩寝ると大概のことは忘れる。いや、それでね、とにかくなにか、お主が罰当たりなことをしたから良くないものが憑いておるのだ。ちゃんと供養するとかお参りするとかしなければ、憑き物は落ちぬぞってーー」

「偉え先生じゃねえか。見る人が見れば、おめえが罰当たりな野郎だってことはお見通しなんだよ」

「ところが後が良くねえや。おわかりになればよろしい。さあ、見料をこれへって」

「見料払うのは当たり前じゃねえ」

「払いましたよ。払ったら野郎、それではついでにお連れの方も見てしんぜようってーー冗談じゃねえ、俺ァてっきり、そのお連れの奴のことォ長々と喋ってたんだと思ってたのに、まるで見当違いじゃねえか。頭ァきたからそいつの天眼鏡と首っ玉押さえつけて、お天道様向けて、目ん玉ジューッと」

「乱暴な野郎だな。だけどよ、おめえが罰当たりなことォしたのは確かなんだから、おめえが粗相した墓へ行ってちゃんときれいに洗ってよ、線香あげて酒の一杯も供えて、手を合わせてみねえな。それでスーッと憑き物が落ちるかも知れねえじゃねえか」

「へえ、それで落ちますかね」

「わからねえが他に手があるでなしーーな、悪いこと云わねえから、いっぺんやってみろ。いつまでもそんなのにつきまとわれて、おっかなくて外にも出られないんじゃ堪んねえだろ」

「ふーん、それじゃあこれから早速ーー」

「おい、今からか? もうじき日が暮れて、向こうに着く頃には真っ暗だぜ」

「なに、提灯借りてきますから」

「そういうことを云ってんじゃねえや。おめえ、どこ行くのかわかってんのかよ。寺だぞ墓地だぞ墓場だぞ。吉原と違って暗くなってからのこのこ行くとこじゃねえや。そんなとこへーーお、おい、俺ァダメだよ、俺当てにしてんだったら行かないよ。俺ァそういうの苦手だって云ったろ」

「別に当てになんぞしちゃいませんよ」

「だったらおめえ、真っ暗な中、一人で墓場へ行こうってのか。出るぞ、出るぞ、なんか出るーーいや、もう出てンのか。そんな幽霊だかなんだかわからねえのを背中に背負ってってみろ、下手すりゃおめえ、とり殺されてよォーー」

「兄ィが泣くこたァねえでしょ」

「だっておめえも怖がってたじゃねえか。青白くって痩せた野郎に取り憑かれて、それがおっかなくて外にも出られねえってーー」

「いやぁ、そんなもん、どうせ見えねえんだからおっかなくもなんともねえ」

「なんともねえ? じゃあおめえ、なにが怖くて外へ出られねえんだ」

「ああ、どこへ行っても勘定二人分取られるのがおっかねえ」

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