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24年秋季 山括弧塾について(事務局からのお知らせ)※追記あり

2か月前

『形而上学 この私が今ここにあること』『序論』Epigraph

原草稿『形而上学 この私が今ここにあること』文字列あるいは反転図形――不断の<反転/振動>という動的な構造化の運動

独在論にささる哲学的批判は?ー〈Φ〉は独在論へ切り込めるのかー

¥300

原草稿『形而上学 この私が今ここにあること』 この<私>の<今-(hyphen)ここ>――無内包かつ不可分な<今>と<ここ>

哲学の快楽──「詩を読むことの快楽」を補う

『形而上学』本論「序文」第一次リライト版

24年秋季 山括弧塾(入不二基義先生追加講義)について(事務局からのお知らせ)

1か月前

プラトン『テアイテトス』の問題圏――<私>と「現実性の力」へ

『形而上学 この私が今ここにあること』アリストテレス『形而上学』第3巻第5章――「点や線や面」「いま」のアポリア 第一次リライト版 

拙稿『形而上学』は、永井 均氏の助言に従って「中高生ぐらい(まあまあ頭はよいけど知識はまったく何もない)を読者に想定して」(永井氏の言葉)リライトしていくことになります。かなり大変な仕事になりますが、これかはやって来る艱難の時代を前向きにサバイブしてやり遂げようと思います。

「外」とは何か?分析哲学入門(パトナム、ブランダム、入不二基義)

6か月前

時間は実在するのか

『形而上学 この私が今ここにあること』『序論』Prelude

原草稿『形而上学 この私が今ここにあること』 端的な現実の<私>の特別さと<X>――<私/X>へ

予備校文化の振り返りとその未来

4か月前

ペルソナ的世界【6】

5か月前

選べない状況に「30円引きの値引きシール」が「外部」をもたらし「潜在性の場」に引き込んだという考察ー「天然知能」と「円環モデル」よりー

5か月前

拙稿『形而上学』のサブタイトルを「この私が今ここにあること」に改訂しました。『序論』「Epigraph」の第二次リライト版(たぶん最終稿に近い)執筆作業を先ほど完了したところです。

入不二基義『現実性の問題』「マイナス内包」を巡って

ペルソナ的世界【7】

5か月前

拙稿『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』「上巻」の執筆作業は概ね完了した。なお、最終的な叙述構造は6/23のnote記事にアップしている。

20240114_『格闘家アントニオ猪木』と「壁抜けしつつ留まる猪木」、二つの卓越した猪木論

9か月前

拙稿『形而上学 〈私〉は0と1の〈狭間〉で不断に振動している』「上巻」である程度以上の分量で主題的に論じている哲学者を絞り込めば、カント、永井 均、入不二基義、アリストテレス、道元、デカルト、大森荘蔵、クリプキ、清水将吾になる。

『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』 「序文」最新Version

『新紀要』来年春号掲載に向けて、12月25日に『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』『序論』改訂版を谷口一平氏に送信予定。400字で80枚。

獲物の分け前~「アントニオ猪木とは何だったのか」

『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』 ①第1章

『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』④第4章

『形而上学』 序文 & 『序論』Epigraph & Prelude & Prologue & リライト版(適宜更新) & 叙述構造

『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』③第3章

『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』②第2章

Archives 入不二基義氏の「<>についての減算的解釈」を巡って 「概念化・重ね合わせ」への問い

¥200

Tweet Archives 入不二基義氏「マイナス内包」についてのコメント

「有」はそれ自体が「無」である。 もしくは 「有」は「無」とは全く関係がない。 といえる。 という哲学の考察結果が非常に好きだ。

2年前

Archives 潜在無限色を巡る入不二基義氏との対話 <潜在性>と<現実性>の接点へと向かって

¥200

Archives マンマのさんま氏による「< >についての減算的解釈」by 入不二基義に関するツイート+関連リンク集

¥200

入不二基義『現実性の問題』「現に」という現実性

入不二基義『現実性の問題』「現に」という現実性の、記述可能性、認識可能性、存在可能性

入不二基義『現実性の問題』の所感

数学 物理学と哲学 「ゼロ除算=ゼロで割る割り算」を巡って

¥200

入不二基義『現実性の問題』第一章の円環モデル

「永井均先生古希記念ワークショップ:私・今・現実」の感想

入不二基義「懐疑論・検証主義・独我論から独現論へ」を読む

「私」がいっぱい(パート1.5)【21】

入不二基義「非時間的な時間 第三の〈今〉」を読む

入不二基義氏と永井均氏の哲学の一つの同時解釈

「私」がいっぱい(パート1.5)【7】

「私」がいっぱい(パート1.5)【13】

「私」がいっぱい(パート1.5)【12】