質問(24/1/11講義)
晃太郎:
超越論哲学の示す認識を単なる心理的事実としてしか理解できなければ「ヒュームの経験論哲学と本質的には変わらない」とされていますが、一方で因果関係をわれわれの心の習慣にすぎないとみなしたヒュームの議論を「もっともな議論」であるとも書いています。
にもかかわらず超越論哲学を心理学化して理解することをここで戒めているのは、その読解があくまでカントに即していないからにすぎない(つまり、心理学的に、あるいは「二重に」読む方向もありうる)、ということでしょうか?
私がそう思ったの