人気の記事一覧

異形者たちの天下第3話-10

3か月前

大根ステー木下藤吉郎

EriさんのX[旧Twitter]情報(有名人はオール詐欺師)No.122

天文6年(1537)2月6日は豊臣秀吉が尾張中村の百姓の家に生まれた日。幼少期は明確ではなく太閤記では幼名を日吉丸とするが創作と考えられている。実父が没し継父と折り合いが悪く各地を転々としたとも。木下藤吉郎と称し遠江国の松下之綱に仕えた後に尾張国に戻り信長に小者として仕えた。

墨俣一夜城

1年前

■台本■*649コベラバアットナイト〜神戸を歌い倒す🤣神戸に縁深い著名人16■赤影の歌・仮面の忍者赤影に見られる敵役(かたきやく)の芝居と拵え😉🤚

¥100

今日はBSで「どうする家康」を早めに見ました。ネタバレでも何でもないので本放送前につぶやきますが、私が今まで感じていた違和感って、今回まで秀吉登場してなかったからでした(^_^;)

サイコパススマイル

【感想】NHK大河ドラマ『どうする家康』第4回「清須でどうする!」

「一日休養、一日教養」土日は休むこと

【歴史夜話#1】墨俣一夜城と竹中半兵衛

1年前

天正14年(1586)5月22日は通称・蜂須賀小六こと蜂須賀正勝が病死した日。信長が美濃攻めする無名な頃から秀吉に仕えた。秀吉が家臣の中で双璧をなす黒田官兵衛の息子に小六の娘を嫁がせ結束を固めたという。譜代家臣のいない秀吉の織田家での立身出世と天下人への階段を登ることを支えた。

徳川家康さま☘️をたどる#26☘️金ヶ崎の退き口

¥100

天文6年(1537)2月6日は豊臣秀吉が尾張中村の百姓の家に生まれた日。実父が没し継父と折り合いが悪く各地を転々とした。木下藤吉郎と称し遠江国の松下之綱に仕えた後に信長に小者として仕えた。秀吉の活躍は太閤記などで盛られたとして天下人は事実。結果を出したから盛られるわけですよね。

南国土佐を後にして〜一豊の人生part2〜

¥100
1年前

連載日本史117 織豊政権(2)

【短編】知らぬ顔の半兵衛

シン・映画日記『嘘八百 なにわ夢の陣』

永禄9年(1566)9月24日は秀吉が信長の美濃侵攻拠点として墨俣に城を築いた日。今でいうプレハブ工法で組み川で運び組立てる木下藤吉郎の墨俣一夜城。太閤記の創作と言われます。秀吉の出世は戦場での槍働きで信長の目に止まったとは思えないです。自分の得意な分野で闘っていきたいものです。

永禄4年(1561)8月3日は清須城下で木下藤吉郎(秀吉)とおね(ねね)が結婚した日。二人に子はなかったが秀吉家臣にとって母のような存在。おねを気遣い秀吉をハゲネズミという信長の手紙が印象深い。おねなくして秀吉の出世は考えられないとさえ思う。パートナーの有り難さをよく考えねば。

任天堂スイッチ「太閤立志伝V」。模擬軍事演習のシミュレーションパートで、藤吉郎軍が勝てない。難しい。ネットで調べてもわからぬ。えーい、どうすればよいのじゃ!

任天堂スイッチ「太閤立志伝V」。前田利家のパラメーターを見たら「武術」のレベルが非常に高いではないか。これでは練習試合で負けるはずだ。で、調べて、「武術」が苦手な武将と練習試合を。おぉ、勝てるぞ!これで経験値を少しずつアップさせていこう。で「ねね」と祝言をあげました。うふふ、Hね

こんなに売れるとは思っていなかった、任天堂スイッチ版「太閤立志伝V」。どこのネットショップも売り切れ。こうなると遊びたくなるのが人間の性。ヨドバシでとりあえず取り寄せ。昔、横浜の日吉に住んでいた時、歩いて10分の所に「光栄本社」が有り、5分歩くとシブサワコウの「信長御殿」があった

任天堂スイッチ「太閤立志伝V」カブキモノ前田慶次に困っている。「お茶をやらないか!」と遊びに行くと、やたら「お手合いを願いたい」と練習試合をやりたがる。で、まったく手加減しない。勝ったことがない。もっと忖度しろよ。あぁ、カブキモノだから、バカだからそういう人生の機微がわからんのね

任天堂スイッチ版「太閤立志伝V」。なんだか、チビチビとした経験値稼ぎしか出来ないゲームだなぁ。。。と腐っているところへ、織田軍を守る大仕事が舞い込む。旧友の蜂須賀小六の協力で作戦成功。信長さまからも褒められたぞ。「ねね」!今夜は寝かさないぞ!うふふ、Hね。

任天堂スイッチ「太閤立志伝V」。織田信長軍は「ブラック企業」である。織田信長のやり方は「パワハラ」「モラハラ」。「鉄砲を300丁買ってこい」というので苦闘して、やっと「200丁」買えたので持っていくと「この能無し猿めが!で、おつりは?」あ、自分の金庫だ「うつけ!全額没収!」涙

任天堂スイッチ「太閤立志伝V」。本当にどいつもこいつも「木下藤吉郎」に冷たい。唯一、人間として扱ってくれるのは「前田利家」だけである。しかし、武道の訓練では前田氏はまったく手加減してくれない。槍でボコボコに。で、「うむ。お主、顔色が悪いぞ!」あんたにボコられたからでしょうに!

(ぷちネタ218)冷たい体温計をあらかじめ懐で温めておいた木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)

+4

【百年ニュース】1921(大正10)3月31日(木) 映画『木下藤吉郎』封切り。主演は 5代目澤村四郎五郎。澤村は当時目玉の松ちゃんこと尾上松之助と人気を二分した俳優。双方とも熱狂的ファンが「松之助党」と「四郎五郎党」と名乗り,映画雑誌の投書欄で贔屓の投書合戦を繰り広げた。1932(昭和7)没,享年54。

竹中半兵衛に学ぶゴールの見据え方ー介護のエンタメスマちゃんTV

御用地遺跡 土偶 3:地図上の水源

戦国時代カレンダー 今日は何の日? 【2月1日~6日】

豊臣秀吉って元は犬居天野氏の被官だったりしない?【研究ノート:天野氏】

信長と藤吉郎にまつわるよもやま話

永禄9年(1566)9月24日は秀吉が信長の美濃侵攻拠点として墨俣に城を築いた日。蜂須賀小六らの助けを借りた木下藤吉郎が今でいうプレハブ工法で木材を組み上流から川で運び組立てて墨俣一夜城を造るという話。太閤記や武功夜話に登場する創作といわれるが要衝の地であり砦は存在していた。

永禄4年(1561)8月3日は清須城下で木下藤吉郎(秀吉)とおね(ねね)が結婚した日。おねは杉原定利の次女で浅野長勝の養女となっていた。足軽どうしの家のため婚礼は簡素に行われたという。二人に子はなかったがおねは自分たちの親類縁者を養子や家臣として育て上げ秀吉を支える存在だった。

歴史・人物伝~信長飛躍編⑫上洛の関門となる近江を制する

人の本質とは?