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【短編】知らぬ顔の半兵衛

「竹中半兵衛が 僅わずか16人の手勢で稲葉山を乗っ取ったとか。」

荒屋あばらやに息切らして戻ってきた小六からそれを聴いて、藤吉郎は「ほぉ。それで龍興は?」と、さして驚きもせず、ごろりとして足を組み天井のみを見続けた。

小六は「それが乗っ取った城を主君の龍興に返して、自分は菩提山に引きもったと言うのだから、わからん。前代未聞じゃ。」と膝を叩いて続けた。

藤吉郎は眉をぴくと動かしたが、まぁ何となく噂に名高い半兵衛ならやりかねないだろうと思った。半兵衛はとてつもなく頭が良いと聴く。寡をもって烏合の衆を制するなど容易いこと。
きっと美濃に収まるような器ではない。若い龍興では手に余るであろう。

「なぁ、小一郎。」藤吉郎はむっくり起きて、無精髭ぶしょうひげを撫でながら、そばで脛を引っ掻く弟に向かって言った。

「村井様が言うておった。何でも半兵衛は『今孔明』じゃ、『軍師』じゃ、よう分からんが、半兵衛は算盤そろばんができる奴ということじゃな。奴が龍興の元を離れて引っ込んだのは吉報じゃが、これも我ら織田をあざむく考えあってのことかもしれん。今のうち奴を除いておかなければならないかも知れんの?」

小一郎はいきなりの問いにしばらく逡巡したが、はっとして「半兵衛が引き篭もりの『今孔明』ならいにしえに倣って、味方に引き入れたらどうでしょう?」と返した。

「……?どういうことじゃ?わしがやるのかえ?こういうのは我らが勝手にできるものではないぞ。半兵衛は離れたとはいえ、もとは斎藤の縁者じゃろ。それに比べてわしゃ織田の新参者。端くれの端くれじゃ。身分違いで相手にもされんじゃろ。」藤吉郎は手をひらひらとした。

此度こたびの稲葉山の乗っ取りの裏には半兵衛のしゅうとの安藤守就の手引きもあったとか。たとえ両人が斉藤の家の縁者であっても、龍興はもはや上がり目がない。安藤のほか美濃三人衆とか呼ばれてい道三様恩顧の稲葉良通や氏家卜全も暇を出されたとか。もう斉藤は擾々じょうじょうたる有様じゃぁ。利あり、と思えばこちらに寝返るやもしれんぞ。」と斉藤の内情に詳しい小六が言った。

「そうじゃ、兄上。連中は龍興に一泡吹かせたかったのじゃろう。斉藤も行く末知れたものじゃ。その昔孔明は劉皇叔こうしゅくに三度説得されて軍師になったとか、ならなかったとか。落ち目の斉藤、見切った半兵衛。これは良い機会ではないですか。」小一郎も乗地のりぢだ。

「妙案ではないですか。頭の回る者は一人でも多い方が良いですからねっ。」端で聴いていた小太郎も、ここぞとばかり輪に加わり、ちらっと小六を見た。

「てめぇ!何が言いたいんだ!あぁ?」小六が小太郎を野太い声で威嚇した。

(そうは言うが、半兵衛に会うのは簡単ではないぞ……。)
藤吉郎は以前仲間の又左またざ(のちの前田利家)から聞いた話を思い出した。

かつて信長は帰蝶きちょう(お濃)から同郷の小利巧者、半兵衛の噂を聴いており、それほどの者ならば誘っておこうと考えた。

信長は小姓だった又左を菩提山に向かわせたのだが、半兵衛との面会はなかなか叶わなかった。

「前田様、申し訳ございませぬ。今朝発ちまして、戻られないかと……。」
「今日はあいにく腹が渋るらしく、お引き取りを……。」座敷で待っていると決まって千里ちさとと呼ばれる半兵衛の娘が出てきて、甲斐なく帰る日が続いた。

あまりにも会えないため切歯扼腕せっしやくわんした又左は、この半兵衛の娘をなんとかして、親父に引き合わせてもらおうと考えた。
千里は田舎住まいにしてはなかなか器量良しで、話上手。仄かに桃の香りがするような楚々とした娘であった。

「まぁ、又左衛門様は織田様の侍大将なのですのね。ご立派ですこと。」
「まぁほうじゃな。ほれ、この傷を見てくだされ、これは桶狭間での……云々。」

千里との他愛もない世間話も中々楽しいではないか、と又左は思った。

通い詰めること数日、今日も又左が調子よく自慢話をしていると、千里の眼が潤んできた。

(ははぁ、この娘さてはわしに惚れているな。)

「織田様はいつ美濃に攻めて来られるのですか?私、怖いですわ。どちらから攻めて来られるのかしら。たくさん兵士が来るのでしょう?」.千里は潤んだ目で不安げに又左に尋ねた。

「いやいや、安心召されい。ここは通らん。斉藤に気取られんよう来月東方から分かれて山間を進軍するでの。」又左は千里を安堵させようと、でれっとして優しい言葉をかけた。

結局、半兵衛には会えず仕舞いだったが、又左には千里に対して恋慕の情が芽生えていた。

しかし手持ち金も尽き、美濃攻めの日が近づいてきたため、後ろ髪引かれつつ又左は尾張に帰ることした。

河原2

ほどなく美濃攻めがはじまった。織田の先発隊はおよそ五百。又左もその中にいた。

木曽川を渡河し、山間の隘路あいろに差し掛かったその時、先発隊の丁度真ん中あたり、両側の大木が突如メリメリと音をたてて倒れ、隊は前後に分断された。

あっと思った瞬間、両側の丘の上から何某なにがしからか斉射され浮足立った前半分は前進するも、逆茂木さかもぎに阻まれた地点でまた斉射にあった。逃げ延びた兵士もさらにその先で斉射を浴びて散り散りとなった。

一方、後ろ半分は雪崩を打って後退したものの、眼前の木曽川に退路を断たれ、此方こちらもあえなく斉射の餌食となり壊滅した。

又左も、自慢の槍遣いを一度も披露することなく、降りしきる矢の雨の中をただ惨めに逃げ惑い、ほうほうの体で尾張に帰った。
逃げ延びた兵は百に満たず、織田方は何某なにがしか分からぬ相手に緒戦で大敗北を喫した。

後に聴くところによると、これは「十面埋伏じゅうめんまいふくの計」という、半兵衛が得意とする戦術であったらしく、半兵衛が率いた手勢はわずか五十。それを十手に分けて潜ませ、分断した敵を各個撃破する寡兵戦術であった。

これを聴いて一番肝を冷やしたのは又左である。あの娘、千里に一杯食わされたのだ。半兵衛は居留守でもって千里を使い、又左から美濃侵攻の情報を聴き出していたのだ。

「半兵衛め!千里め!『知らぬ顔』を決め込みおって!」
又左は顔から火が出る思いであった。出来ることならあの日に戻り、調子に乗って娘にベラベラと喋る自分の襟首を掴んでぶん殴ってやりたいと思った。

出鼻を挫かれた織田方はしばらくの間、調略・外交に専念せざるを得なかったという。

「……という訳じゃ。」
藤吉郎は菩提山に向かう道中で連れの小六(のちの蜂須賀正勝)と小太郎(のちの前野長康)に、前田又左衛門から以前聴いた話をした。

人は城、人は石垣、人は堀。
かつて難攻不落と言われた稲葉山城も、半兵衛が去り、重鎮であった美濃三人衆が見限ったあとは脆かった。人無くば籠城も出来ず、斉藤龍興の逃亡をもって美濃は平定された。

織田が調略した安藤をはじめ、稲葉、氏家の美濃三人衆は信長旗下に名を連ねることとなり、斉藤家旧臣も徐々に織田方に取り込まれていった。

藤吉郎たちも本格的に半兵衛調略をはじめたものの、菩提山に来るのは今日で七回目。何だかんだと理由をつけられ、半兵衛には未だ会えていない。

見くびられているのか、それとも警戒されているのか。やはりもう少し手土産が必要なのだろうか。藤吉郎は逡巡した。

「藤吉郎様が劉皇叔なら、さしずめ私が関雲長で、小六殿が張益徳ですな。」
「あぁ?小太郎。なんだそれ。どっちが強えんだ?」
「さぁ…どちらでしょうねぇ。」

二人のどうでも良いやり取りを藤吉郎はしばらく放っておいた。

「ときに藤吉郎、何だって今まで又左殿の一件を言ってくれなかったんだ?」小六は怪訝な顔をした。

「小一郎(弟)は口が軽いじゃろ。まつ殿や他の者の耳に入ったら又左の立つ瀬がないじゃろう。」
この日は家事で多忙な小一郎の代わりに小太郎が藤吉郎の共をしていた。

「しかし、三顧の礼どころかもう七度目ぞ。此方こちらは十分礼を尽くしている。さすがに半兵衛の方が非礼ではないか。今回はお館様(信長)からも書状を預かっている。今度こそ面会が叶わなかったら我らが百叩きぞ。」小六の言葉に藤吉郎は背筋が凍った。

「え?あれ?その話、何かおかしくないですか?」急に小太郎が言い出した。
「半兵衛は確か年の頃は二十歳過ぎだと噂で聞きましたぞ。しかも安藤様の娘を娶ってからそんなに経っていないはずです。又左様が夢中になるほど年頃の娘がおるのは合点がいきませんな。」

「それは確かか、小太郎。美濃三人衆も、こと半兵衛の話になると口をつぐむのじゃ。」
藤吉郎は頭の中がモヤモヤした。
そう言われれば又左の話も合点のいかないことだらけだが、織田方の誰も、半兵衛と会ったことがない。

もしかしたら手練れの老将かも知れない。噂どおり年端も行かぬ若造かも知れない。それとも乱破素破らっぱすっぱの類なのか……。

もしかして今も此方こちらを見ているのか?

(一体誰なんだ?半兵衛。誰もが見たことのない「知らぬ顔の半兵衛」……)

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菩提山の門番に信長の書状を渡して「ひと握り」させ、座敷で待っていると、あっさり奥へと通された。何が書いてあるか分からないが、さすがに今や稲葉山の主、織田弾正忠の書状となれば無下にはできまい。

遂にきたか!いよいよ半兵衛とご対面だ。藤吉郎は高鳴る鼓動を抑えつつ待っていると、すっと襖が開いた。

「何度もご足労いただき痛み入ります。今までお会いしなかった無礼をお許しください。」と館の主人は静かに頭を垂れた。

「あなたが……半兵衛……殿……。」
藤吉郎は絶句した。

仄かに、桃の香りが吹き抜けた。

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