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大根ステー木下藤吉郎

痛快な出世物語として長らく日本人に親しまれてきた「太閤記」
その主役たる秀吉が信長に仕え始めた頃に名乗っていた名前は木下藤吉郎。これまで語られてきた秀吉に関する話や一般的にはあまり知られていない話をあれこれと妄想しながら、大根を料理した記録。


材料

大根  20センチ
バター 20グラム
昆布  10センチ
醤油  大匙3
味醂  大匙2

天下人になった後、秀吉は故郷である尾張中村の年貢を免除。代わりにそこで取れた大根を納めるようにと通達していました。
今回、大根を料理していて、そのことを思い出したのが妄想のきっかけ。
故郷の懐かしい味を楽しんでいた太閤殿下でしたが、ある年、中村の百姓達は例年以上の大根やそれ以外の野菜も多く献上。感謝の意味を込めたのでした。
ところが、このことに秀吉は激怒。
年貢を免除してやったのをいいことに、不相応に富を蓄積しているとして、年貢免除の措置は取り消しとなりました。
厳しいというより異常。


大根を四等分して十文字の切り込みを両面に入れる。

一般的に秀吉は百姓出身と言われていますが、それならば、百姓の苦労も知っている筈。それなのに、この厳しい処置はどうしたことか。若く出世の階段を三段跳び位に駆け上っていた頃の秀吉ならば、笑って不問にしそうなことも天下人になってからは、許せず糾弾という事例が増えた気がします。
そもそも百姓ではなかった?
秀吉はサンカだったという説があります。
サンカとは山に住み、狩猟や採取生活を営み、独自の技術で竹細工や木工品を作り、時々、農村に降りてきて米や野菜と交換という生活をしていた人々。


圧力鍋に大根と昆布を入れて煮る。

農村を基盤としていた日本の社会では、定住せずに漂泊する生活を送る人々は差別される傾向。旅芸人や乞食、行商等。
勿論、サンカも定住しないので被差別民。
秀吉が中村に出入りしていたサンカだったとしたら、自身の出自を隠して、中村出身としてもらう見返りに年貢を免除していた?ところが誰かがそれを暴露?怒りに任せてその特権剥奪?妄想が広がる。


加圧後、竹串が通るようになればよし。

宣教師ルイス・フロイスが秀吉にまつわる奇妙な話を書き残しています。
天正十五年(1587)秀吉は自分の血縁に当たる姉妹がいると聞き、彼女達を呼び寄せる。
「自分の血縁として認めて、相応の待遇をしよう」という口上。
姉妹は別段、それを望んでいなかったが、強引な誘いに負けたのか、上洛。
最初は気乗りしなかった姉妹もそこまで来ると、幸運が舞い込むかと期待に胸を膨らませる。ところが都に入った途端に拘束されて、処刑。
フロイスによると、秀吉は自らの卑しい出自を隠すために、昔の自分を知る姉妹を殺害したという。
キリシタンを快く思わず、禁教に踏み切る秀吉ですから、宣教師としてはよい印象がある筈もないので、話が盛られている可能性もありますが、もしかしたら核心を突いている?


フライパンぶバターを溶かして、茹で上がった大根を焼く。火は通っているので焼き加減はお好みで。

木下藤吉郎と名乗っていた秀吉ですが、信長に仕えている内に羽柴という新たな苗字を名乗り始める。
これは丹羽長秀と柴田勝家という織田家の重臣から一文字づつ貰って作った苗字と言われています。
丹羽長秀は秀吉との関係は悪くなかったのですが、柴田勝家は秀吉を嫌っていた様子。嫌いな人物が自分の名前から一文字取るなど、激怒して絶対に許さない気がします。武士にとって名前は大事。
実は「はしば」という苗字の由来ですが異説あり。
漢字は後付けで、本当の意味は「端柴」ではないかという説。
山に落ちている枝が端柴。これらを拾って薪として農産物と交換して生計を立てていた?ここでも山が出てくる。やはりサンカか?


お好みに焼いたら、味醂と醤油投入。煮絡めていく。因みに私はレアっぽい焼き。

本能寺の変が起こった後、秀吉は毛利家と和睦を結ぶと、信じられない速さで上方に駆け戻り、信長の弔い合戦。
これも山の尾根道を知っていたからではないかと妄想。
出身地の尾張とは離れていても、サンカ同士の繋がりから中国地方の山道も教えてもらっていた?
日本の地形は山がち。少ない平地を走るよりも、尾根道を知っていれば、その方が速い?


大根ステー木下藤吉郎

やはり圧力鍋で煮ると柔らかく煮上がる。一緒に煮た昆布の出汁がしっかりと大根に染み込んでいる。
十文字の切り込みから、箸でスッと切れる柔らかさ。
醤油と味醂の甘じょっぱい汁がよく合う。味はバターで決まりますというCMがありましたが、バターの濃厚さが味に深みを与える。

そもそも木下藤吉郎という名前も本来の名前ではなし。
結婚したねねの実家の苗字。「太閤記」のような読み物では、ねねに岡惚れした秀吉が口説いたようになっていますが、実際は色恋よりも打算の婚姻ではないか。武家に婿入りすることで、被差別民から差別する側の武士への転身を図った?

最後に一つ、これも宣教師が遺している記録ですが、秀吉の右手には指が六本あったとか。
現代では多指症という一種の畸形と思われます。
秀吉の肖像画の中には手がやけに小さく描かれているものもあり、もしかしたらありそうな話かと思われます。
知っているつもりでも、知られていない、或いは隠されている面もある秀吉を妄想しながら、大根ステー木下藤吉郎をご馳走様でした。

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