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南海の名城・高知城〜二ノ丸編〜

こんにちは!hm384352です♪ 今回は高知城の中の二ノ丸についてです。 二ノ丸は藩の役所である表御殿、藩主の居室である御居間、側室・御殿女中の生活の場である奥御殿・長局などの建物が配置されていました。 それではどのような歴史を辿ってきたのでしょうか? 続きを見て高知城二ノ丸について詳しくなっていきましょう!

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    • 南海の名城・高知城〜追手門編〜

      こんにちは!hm384352です。 今回は高知城の追手門についてです。 国指定重要文化財で現存十ニ城天守、日本百名城にもなっている高知城の追手門はどのような門なのでしょうか。 追手門は石垣の上に渡櫓を載せた櫓門で、城の大手(正面)に相応しい堂々たる構えを持ちます。 江戸初期、追手門は「大手御門」と呼ばれていましたが、延享4年(1747年)から「追手御門」と呼ばれるようになりました。 慶長年間に創建後、寛文3年(1663年)に崩壊しましたが、翌年に再建されます。その際には

      • 南海の名城・高知城〜part2〜

        こんにちは♪hm384352です。 今回は前回予告した通り、高知城の石垣についてです。 前回の記事で雨の多い土佐において雨仕舞いの役割を持ちかつ敵からの防御の役割も担っていた石樋を紹介しましたが、今回はその石樋を取り付けた石垣についてです。 それでは高知城の石垣を見ていきましょう。 続きを見てより高知城に詳しくなっていきましょう!

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        • 南海の名城・高知城〜part1〜

          こんばんは♪hm384352です! 今回からは高知城について1つずつ紹介していきたいと思います。 関ヶ原の戦いの勝利に貢献し徳川家康から土佐国(現高知県)を拝領し、56歳にしてついに一国一城の主となった山内一豊。 一豊は関ヶ原の戦いの翌年に入国を果たすと、鏡川と江ノ口川(えのくちがわ)に挟まれた大高坂山(おおたかさかやま:現在の高知県高知市)に築城を開始します。 一豊の治世では高知城は完成せず、2年かけて土佐藩2代藩主の山内忠義(ただよし)の治世でようやく完成します。

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        南海の名城・高知城〜二ノ丸編〜

          南国土佐を後にして〜一豊の人生part5〜

          こんにちは♪hm384352です! 今回は山内一豊の生涯の最後です。土佐に入った一豊でしたが、その後わずか5年後にこの世を去ることになります。 前回の振り返りをしつつ、一豊の最期を見ていきましょう。 慶長5年(1600年)に起こった関ヶ原の戦いで、かつて一豊と同じく豊臣秀吉についていた石田三成に豊臣側につくよう手紙で催促されても、それを断り東軍(徳川家康側)についた山内一豊。 関ヶ原の戦いの勝利に貢献した一豊は、徳川家康から土佐国(現高知県)を拝領し、56歳にしてついに

          南国土佐を後にして〜一豊の人生part5〜

          南国土佐を後にして〜一豊の人生part4〜

          こんばんは!hm384352です♪ 今回も山内一豊の歴史を振り返っていきましょう! まず、豊臣秀吉の直属の家臣として動いていた時を少し振り返ります。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉は関東で勢力を誇っていた後北条家を討つことを目的に、小田原征伐を行ないます。この時一豊は秀吉の甥であった豊臣秀次を総大将とする軍勢に加わり、後北条氏が本拠とする小田原城(現神奈川県小田原市)の支城、山中城(現静岡県三島市)を落城させることに成功させ、ほどなくして小田原城も陥落し、秀吉が実質的

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          南国土佐を後にして〜一豊の人生part4〜

          南国土佐を後にして〜一豊の人生part3〜

          こんにちは♪hm384352です。 前回の続き、今回は山内一豊が羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)直属として仕えた時代を見ていきたいと思います。 その前に前回の振り返りを。 織田信長に仕えた時、織田軍が朝倉義景を追討した刀根坂(とねざか)の戦いで山内一豊は相手方の殿であった三段﨑勘右衛門から深傷を負いながらも味方の助けもかりながら、首級を挙げ信長から木下藤吉郎に与えられた近江国(現滋賀県)の唐国(からくに:現在の滋賀県長浜市)に400石を与えられ、ここに出世の一歩を踏み出しました。

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          南国土佐を後にして〜一豊の人生part3〜

          南国土佐を後にして〜一豊の人生part2〜

          こんにちは♪hm384352です! 今回は山内一豊が織田信長についていた時の人生を一緒に見ていきたいと思います。 その前に前回の振り返り。 若干15歳前後であった山内一豊は父山内盛豊と兄を仕えていた岩倉織田家と織田信長との内紛に巻き込まれて殺されます。 一家の長となった一豊は縁戚に当たる前野長康のところに身を寄せていましたが、前野長康の所を訪ねてきた牧野政倫に気に入られ牧野家に仕えることとなりました。。。 さぁここから一豊は天下人3人から厚い信頼を得て大出世を果たして

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          南国土佐を後にして〜一豊の人生part2〜

          南国土佐を後にして〜一豊の人生part1〜

          こんばんは♪hm384352です。 それでは今回から山内一豊について語っていきたいと思います! 山内一豊がどう言う人物か、どんな人生だったのか皆さんは知っていますか? 山内一豊と言えば、司馬遼太郎の名著「功名が辻」の主人公として知られる戦国武将です。 妻の「千代」による内助の功などにより大出世を果たし、土佐国(高知県)の大名へと出世を遂げました。 そんな山内一豊、史料によると口数が少なく穏和な性格だったそうです。 ですが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という天下人からとて

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          南国土佐を後にして〜一豊の人生part1〜

          南国土佐を後にして〜高知城の歴史〜

          こんばんは♪hm384352です! 今回は前回記事の最後に予告していました高知城についてお話していきます!! 皆さんの中では高知城は江戸時代にこの場所に建てられたお城という認識があると思います。 しかし、この高知城が建てられた山には南北朝時代からお城が建てられていました。 あまり知られていないであろう高知城以前の歴史。 今回は高知城築城以前から現在に至るまでの歴史をお話していきます。 この続きを読んでいくと深く高知城を知ることが出来ると思うので、一緒に歴史を振り返って

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          南国土佐を後にして〜高知城の歴史〜

          南国土佐をあとにして〜part2!

          こんばんは!hm384352です。 今日も3連休一人旅で行った高知についてです! 今回は日曜市を語っていきたいと思います。 高知に今回も含めて3回行きましたが、日曜市に行ったのは今回が初めてでした。 日曜市で想像していたのは野菜を売っているお店が数軒あるだけかなーと思っていました。 泊まっていたホテルから数分、高知城方面に歩いて行くと、、、何とびっくり!およそ全長1kmに渡って、お店がビシーっと軒を連ねていました!! なんでも、高知の高知のお城下追手筋で開かれている日

          南国土佐をあとにして〜part2!

          南国土佐をあとにして〜part1

          こんにちは!hm384352です! この前の3連休に高知に行ってきましたので数回にわけて感想をお話していきたいと思います! 今日は高知城歴史博物館です! 高知城歴史博物館は高知城の追手門すぐそばにあります。 3階が展示室となっていて、2階はカフェと閲覧室、1階がチケットとミュージアムショップ・情報コーナー等となっています。 1階から3階へと上がると正面に高知城天守が見えます!!高知城へ登る時間が無い!って方はここから眺めるのもいいかもしれません。 さぁ3階の展示室です

          南国土佐をあとにして〜part1

          家康、秀吉にどう立ち向かう?結末へ!

          こんにちは!hm384352です! 前回の記事で小牧・長久手の戦いの背景をお話しました。 羽柴秀吉と戦う大義名分を得た家康は越中の佐々成政、紀伊の雑賀・根来衆、関東の北条氏政、四国の長宗我部元親等に要請し「秀吉包囲網」を形成します。 包囲網を形成している天正12年(1584年)3月13日、それは家康が清洲城へと到着した日でした。織田家の譜代大名で清須会議では家康に味方したものの、その後の去就が注目されていた池田恒興でしたが、突然秀吉側へと寝返り犬山城を占拠してしまいます。

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          家康、秀吉にどう立ち向かう?結末へ!

          家康、秀吉にどう立ち向かう?

          こんにちは!hm384352です♪ 今回も大河ドラマどうする家康にちなんで徳川家康が関わった戦いをお話していきます。 今回の戦いの舞台は現在の愛知県小牧・長久手です。 小牧と言えば、織田信長が山城で初めて築いたものですが、今回お話する戦いの織田・徳川軍の陣城としてしか市民に認知されていなかった小牧山城があります。 今日はこの戦いに至る背景をお話していきます。登場人物は織田信長の後天下を握る2人、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)、徳川家康です。そして信長の次男、織田信雄(のぶかつ

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          家康、武田軍との戦い!

          こんにちは!hm384352です。 それでは前回の記事で紹介した高天神城を舞台に繰り広げられた高天神城の戦いについてです。 この戦いの時、家康は織田信長と同盟関係にありましたが、事実上は織田家の家臣の様な存在でした。そして、家康はこの戦いで信長に援軍要請を出していますが信長が直接合戦に手を出したわけではありません。 それでは合戦の始まりから見ていきましょう。 合戦の始まりは天正2年(1574年)2月のことです。織田領内であった東美濃にある18の城を全て奪い、近江・京への進

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          家康、武田軍との戦い!

          徳川と武田が争った城とは?

          こんにちは♪hm384352です! 今回は信長の城郭・城下町では無く徳川家康関連についてお話していきます! 皆さんは現在放送されている大河ドラマ「どうする家康」ご覧になっていますか? 主演が嵐の松本潤さんでその脇を堅める俳優陣も豪華ですね! この大河ドラマは家康があらゆる「どうする?」って場面を悩みながらも成長していくお話です。 今日はそんな家康が信長の同盟関係であった頃にあった戦い、それは高天神城の戦いです。この戦いは徳川氏と武田氏の争いに徳川氏からの援軍要請を受けた織

          徳川と武田が争った城とは?