家康、武田軍との戦い!
こんにちは!hm384352です。
それでは前回の記事で紹介した高天神城を舞台に繰り広げられた高天神城の戦いについてです。
この戦いの時、家康は織田信長と同盟関係にありましたが、事実上は織田家の家臣の様な存在でした。そして、家康はこの戦いで信長に援軍要請を出していますが信長が直接合戦に手を出したわけではありません。
それでは合戦の始まりから見ていきましょう。
合戦の始まりは天正2年(1574年)2月のことです。織田領内であった東美濃にある18の城を全て奪い、近江・京への進行ルートを確保しつつあった甲斐の武田勝頼は、次に徳川領内にある高天神城への侵攻を開始します。
元々、高天神城は遠江の守護であった今川氏の支城でしたが、桶狭間の戦い以降は今川氏の衰退によりこの時に高天神城の城主であった小笠原氏興(うじおき)は徳川方に付いており、高天神城も徳川方のものとなっており、徳川氏にとって遠江支配の重要拠点でもありました。
今川氏衰退後、武田信玄が駿河を平定していましたが、信玄が病死してしまい後を継いだ勝頼は三河や遠江方面へと手を伸ばしており、その度に徳川方と小競り合いを続けていました。
そして勝頼は東美濃を制し信長と同盟関係にあり小国の武将にすぎなかった徳川を攻めることで信長への圧力を強めたいと考え、その拠点として高天神城はどうしても欲しい重要拠点でありました。そこで天正2年5月12日、約2万5千の兵を率いて勝頼は高天神城に侵攻したのです!
さぁ戦いがついに始まりました!
一体どうなっていくのでしょうか?続きを読んで一緒に結果を見ていきましょう!
ここから先は
914字
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?