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誰かが決めた世界一の価値とは?

音楽の世界は競争社会だ。

オーディションやコンクールなどでふるいにかけられてその時の1位を決める。

もちろん、審査員も人間なので公平の名の下に私情が入ることも少なくはないだろう。

日本のとある国民的アイドルがかつて歌っていた、1番じゃなくても誰かの特別なオンリーワンになればいいんだという類のフレーズがあるが、それだけでは腑に落ちない小学生時代を送っていた。

中学生になってからコンクールやオーディションを受け始めたが、1位の賞状やトロフィーがうちに来ることはなかった。

もちろん他人に評価されたことで芽生える選民思想には危険なものもある。でも自信がある人が羨ましかった。私は賞なんかより自信が欲しかったのかもしれない。

高校生の時、音楽祭とマスタークラスが地元で開催されることになった。テープ審査に応募したら運良く審査が通り、音楽界の大御所の先生のレッスンを受講することができた。

周りは都市部で活躍されるプロの演奏家のお兄さんやお姉さんばかり。高校の授業を早退して懇親会に制服姿で参加した垢抜けない私を、皆さんは快く迎えてくれた。

『キミはヴァイオリンを何歳まで弾くつもり?』

しばらくすると懇親会が音楽家の飲み会になってきた。今となっては喋り倒す私も、当時はまだ世の中も何も知らない、純情な高校生だった。場違い感がハンパない。テーブルの隅っこでブッフェで取ったカレーを黙々と食べていると、同じくカレーを持ってこちらにやってきた人がいた。顔を見上げると音楽祭の監督であり、明日から私に指導をしてくださる巨匠がいた。

事前に調べた情報から「優しいおじいちゃん」と聞いていたが、まさにそういう感じで、話しているとオーラに圧倒されながらも私の心は打ち解けていった。

そこで、私の悩みをぶつけてみた。

「先生、私は1位を取ったことがありません。」

先生はニコッと笑って質問を続けた

『キミ今いくつ?』

「17歳です」

『キミは何歳までヴァイオリンを弾きたい?』

「・・・死ぬ直前まで弾いていたいです。」

『僕の知ってる1位を取った人は、みんな音楽をやめた。大切なのは1位をとることじゃなくて、いつまで長く続けられるかだよ。』

私よりもずっと長く生きて音楽に身を捧げて、巨匠と呼ばれる功績を持った人からの言葉は、1位に固執する人生経験の浅い当時の私にはあまり理解できなかった。

ただ、とてつもない説得力があったので、長生きしよう、長生きして少しでも長く美しいものに触れられる人生にしようと決心したのはここが始まりだった。

だから今生徒に教えるときも、老若男女、プロアマ問わず「自己流ではなく正しい練習をして、どんなに年を取っても長く楽しめるように」と教えている。

今もぶっちゃけ何かコンクールを見つけると自分を試したくなる。でも30歳目前になって気づいたこと、やっぱり1位を取った人は少なからず音楽をやめていること、1位を取った人が必ずしも私の憧れる音楽を奏でていないことだった。

10年前に戻ってやっと理解できました、って伝えたい。もちろん先生は今も元気にご健在だが、今更伝えるのは小っ恥ずかしい気もする。

「世界一美しい」ほどアテにならないものはない


芸術の都と呼ばれるウィーンに住むと、たくさんの観光客とすれ違う。「世界一美しい○○」と謳われるものものが多く存在し、教科書にも載っているような歴史的建造物もたくさんあった。

ただ、いざ行ってみると、「え?これが世界一?」と肩透かしに合うものばかり。美しいけどこれは世界一じゃないはず、、、とちょっと落胆しながら機嫌を直すために食べたアイスを食べながら寄り道した公園に寝転ぶ。

その時間が私にとって世界一美しいものに見えた。


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