【アニメ2作品の感想】すずめの戸締まり、薬屋のひとりごと
前回に引き続き、原作未読の初見アニメを2作品鑑賞したので感想を綴っていきます。ネタバレがあるので未視聴の方はブラウザバックを推奨します。それでは、行きましょう。
「すずめの戸締まり」(33点、2022年)
本作品は東日本大震災がきっかけで生まれた新海誠作品らしいのですが、どう感想を書いていいものかと頭を抱えました。なぜなら、この物語は世界の真実を知らなかったうっかり主人公・鈴芽と地震事前防止請負人・宗像による「貴方と私のセカイ系」だったからです。
とある廃墟ですずめは地震が起こらないように抑えてくれていた杭みたいなものを興味本位で引っこ抜いてしまいます。杭は日本語を操る不気味な小動物(杭野郎)へと姿を変え、すずめを煽りながらすばしっこく逃げていきます。この一件があってからというもの、全国各地で地震に見舞われる危険性が増えると宗像から世界観の説明を受けたすずめは、自分のせいで世界がエライことになっている…… と自責の念に押しつぶされるのではないかと心配して見ていました。
ところが、当のすずめ嬢は宗像に執心なご様子で、ここで色々と察してしまいました。「なんやこの恐ろしい女は…… いくら自分に特殊能力がないから仕方ない言うても、さすがにこれはないんとちゃうか?この世界と天秤にかけて宗像を取ったわけやから、見てるこっち側の気持ちはもう救われへんってことやんか。救う気持ちがあらへんねんやったら、もうあんたら後2人で勝手によろしくやっといてくれたらえぇやんか、はっきり言うて」と序盤で集中力が切れてしまいました。
案の定、残りの尺は杭野郎とすずめ・宗像ペアによるおノロケ鬼ごっこを様々な形で見せられただけでした。とりわけ酷いと思ったのは、2人以外の登場人物や場所、土地、モノが2人の関係性を作るために消費される存在になり下がっていたことです。2人をくっつけるための役目が終わるやいなや、壊されたり、ほったらかしにされたり、迷惑を被ったり、不幸になったり…… 当然のごとくその後の描写はなされず、そんなこと知ったこっちゃないっていう感じでした。「せっかく作った世界観やのに、なんでそこんところ雑なんや?サブキャラを使い捨てるような扱いしまくっといて、その犠牲の上で成り立っとる主人公2人の幸せを見せてきて『さぁ、祝福しましょう』ってことか?できるわけないやろバカタレ」と感じました。
総合して「2人さえ良かったら別に何でもえぇやん?」っていう作りが個人的に受け入れられなかったので、点数としては映像美の30点に宗像じじいの覇気3点をオマケして33点になりました。
「薬屋のひとりごと」(78点、2023年)
どことなく「本好きの下剋上」を想起させるような作品でした。"女版なろう系"と書くと大分語弊がありますが、この際カッコ仮としておきましょう。男版なろう系は与えられた能力やパワーを誇示して「俺強ぇええ!!」をするのがお決まりのパターンですが、女版なろう系(仮)では卓越した理知と人情の機微が原作者から与えられる傾向があります。
チート級の能力があることを見せびらかせば、利用しようと企むヤツがすり寄ってきたり、反感を買ったり、命を狙われたりと、面倒ごとに巻き込まれるのは分かり切っています。なので、男版なろう系主人公みたいな下品な能力のひけらかしはしません。
ただ、高い能力を与えられた代償と言うべきか、主人公・猫猫は毒見以外に命の危険に晒されるシーンがこれと言ってなく、派手なアクションシーンもなく、終始安全な場所で推理を行う探偵のように描かれていました。タイトルにある「ひとりごと」のレベルを遥かに超えています。猫猫は人攫いにあう冒頭を除くとキャラとして過保護な状態がずっと続くため、自身がピンチに陥ってそれを切り抜け、徐々に感情移入していく機会に恵まれなかったことをとても残念に思います。
女版なろう系(仮)などとカテゴライズした理由は、能力で問題解決をするばかりで、主人公自身の(命レベルのガチな)危機が全然訪れないっていう特徴が男版なろう系と共通していたからです。何でもいいんですが、例えば肉体的な弱さをつくように暗殺者に狙われて、持ち前の頭脳を活かして返り討ちにするようなパンチのあるエピソードを中盤あたりに放り込んでくれれば満足度は80点オーバーになっていたと思います。が、全ては原作者の御心のままですので仕方のないことと割り切りましょう。2025年には2期があるので、期待を込めて78点ということにしておきましょうか。あと一押しで見返したくなる良作になりそうな "悪くない作品" だと思います。
どうしてアニメの感想なんか書いてるの?
自分が低評価した作品は納得できなかった部分についてはなるべく書くようにしています。退屈で完走すらできず、否定するにも値しない作品は感想そのものを書きません。でも、良いなと感じた作品は受けた衝撃や湧いてくる気持ちをなるべく新鮮な状態のうちに残したくなります。何といいますか、どこでもいいから吐き出さずにはいられないのです。必然的に感想は長くなりますし、考察も深くなるわけです。
そういう理由があるので、自分は感想文を誰かに読んでほしいとは思っていませんし、「共感したよ」コメントも、「不愉快に感じたぞ」コメントも要らないんです。今までのアニメ感想文のヴュー数を比べてみると、高評価を与えた記事が低評価を与えた記事よりも必ず上にあります。おそらく、人は自分が好きな作品に対して、他人の肯定的な感想を求める傾向があるんでしょうね。
ところで、他人の評価を気にしたり、アニメ作品に点数をつける評価サイトを巡回するよりも、その作品のより確かなネット上での熱狂度合を計る指標が一つあります。それは二次創作作品の多さです。Xやイラスト・小説投稿サイト、youtubeをはじめとする動画サイトなどを見れば分かりますけれど、良作は勝手に誰かの目にとまって、作品の余白部分が二次創作として昇華、拡散され、それが次々と連鎖していきます。
100点満点に近いような作品ともなると一時的にどの媒体のトレンドをも席捲してしまうほどの現象が起こります。俗に「脳を(こんがり)焼かれる」と形容されますけれど、それほどまでに圧倒されるような作品に自分はできるだけ出合いたいなぁと思っておりますよ。
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