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奢らないこと

「お客様は神様です」という言葉があります。

そして、その言葉についての賛否両論もあります。

まず思うことは、これはサービスを提供する側が口にする言葉ということ。

相手が神様かどうかを判断するのは敬う側であり、「私は神様」などというお客様がいらしたら、大体そういう人は結構な問題のある性質の方であり、最終的にサービス提供する側としては「この人はお客様ではない」という判断のもと対応をしていくこととなるでしょう。

ただ、私たちが生計を立てることが出来ているのは、間違いなくお客様がいらっしゃるという事実からです。

もっと言うと、「あなたのところを使ってあげてもいいよ」とお客様が私たちのサービスを選んでくださった結果として商売が成り立っています。

ここの順番を間違えてしまうといけません。

私たちがお客様を選ぶのではなく、お客様が私たちを選んでくださっています。

「商売する側にだって客を選ぶ権利はあるんだ」と主張する人もいらっしゃるかもしれませんが、前述したように「選びたくないと思えるような相手」というのはそもそもお客様ではないのです。

ですから、少なくともサービス提供する側としてお客様という範疇に含める対象なのであれば、向き合うスタンスとしては常に「選んでいただいている」という事実を認識しておく必要があります。

繰り返しになりますが、私たちが良いサービスを提供しているから、お客様が選んでくださっているのではないのです。

お客様が選んでくださっているから、私たちは良いサービスを提供できる機会がいただけているというだけです。

鶏が先か卵が先かの話と似ているかもしれませんが、使ってくださる相手がいるからこそ、良いサービスを提供することができたり、良い商品を生産し販売することができたりするという意味合いでは、私たちよりも「お客様の方が先」なのだと考えています。

需要がなければ供給はない、ということですよね。

これは当社の方針書にも書かれている文言のひとつですが、会社という組織とそこにいる従業員の存在を保証しているのは、お客様との関係性でしかありません。

長くサービスや商品を使ってくださっているからといって、その上に胡坐をかくような商売をしていると、これまで培ってきた信頼関係などあっという間に霧散します。

その会社や製品がこの世から無くなったらお客様はどうされるか。

いきなりのことであれば多少は困るでしょうが、他に代替品となる商品や代替となるサービスが市場にあるのであれば、結果それほど困ることはないはずです。

どんなに便利で使い馴染んでいるものであったとしても、それは同様です。

例えばスマートフォン。

今現在サービスを使っているキャリア会社が無くなってしまったとしても、多くの人はすぐに他の候補を見つけることが可能なはずです。

それが私たちとお客様の関係性です。

薄い氷の上を渡っているような関係性です。

氷の厚みを強化したければ、日々向き合う相手の期待に応えて、信用をより高めていく他はありません。

向き合う中で一番大切なのは、常に謙虚な姿勢であることだと思っています。

「お客様との関係性に対しての謙虚さ」を無くしてはなりません。

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