好きの反対は嫌いではなく無関心。では感謝の反対は…??
しゅんしゅしゅんです。
「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」だという考え方がありますよね。
好意も嫌悪もその人のことを考えている(=関心を寄せている)ことには違いがない。嫌いだからこそ喧嘩したり、指摘したりする。そこには改善につながる「行動」がある。
一方、無関心の場合はなにひとつ「行動」がないので、波乱は起きないが改善もない。
マザーテレサの名言かと思ってましたが、彼女は「わたしたちの敵は無関心です」といったのであって、「好きの反対は無関心」といったわけではないそうな。正確にはユダヤ人作家がいったそうな。誰が言い始めたかは、どうでもいいのですが。
まあ、周りの人に関心をもって、愛をもって働きかけをしようということですね。
辞書的には「好き」の反意語は、確実に「嫌い」ですが。意識を変えて行動を起こすための考え方ですね。個人的にはステキだと思ってます。
社会人1年目の頃、13年前くらい。僕は求人広告の営業をやってました。新規顧客の獲得のための飛び込み営業。エレベーターでオフィスビルの最上階にあがって上からかたっぱしに挨拶していくことを「ビル倒し」と称しながら。
自分の担当エリア内の会社にアポ無しで飛び込みまくって「こんにちわー!新しくこの地区の担当者になりましたー!人の採用にお困りではないですかー!」って。言いまくっていた。
この地区の担当者って…お役所じゃないんだから。地区にはうちの会社の担当がいるはずだという前提をすっとばしたすごい挨拶だと、今思うと苦笑ですね。
この飛び込み営業の経験で得た僕のスキルの一つは胆力。
わりと怪しいドアでもノックして満面の笑顔で挨拶するという胆力。開けた瞬間にそこにいる人の人相、オフィスが醸し出す雰囲気、置いてあるものからやばいかどうかを嗅ぎ取って、やばいなら「間違えましたー!失礼します!」とすぐにドアを閉めて逃げるスキルもみについたかも。
一見さんお断りの、超隠れ家的で、人を拒んでいるオーラを醸し出しまくっているバーのドアを、17時ちょうどのまだオープンしているかどうかすら怪しい時間帯に、なんの躊躇もなくノックしました。この前。
実際、一見さんお断りのお店だったが、早い時間帯でまだ誰もいないからと快く受け入れてくれた。バーのオーナーも一緒にいた友人も、よくノックしたなあと言った。
ああ、飛び込み営業の得たスキルは、こんなとこにも活きてくるのかもしれないと思った。
話、それてきましたね。
そんな飛び込み営業時代。毎日、会社に戻ってきては教育担当の先輩と振り返りのミーティングをする。毎日振り返りをして翌日の行動計画を組む。素晴らしいですね。教育担当の先輩の力の入れよう。まさに高速なPDCA。
そんな中、「この会社は見込みないっすね。求人広告なんて出しても人なんてこないんだからと長い間説教されたんで」って僕が言った時に、教育担当の先輩は「いやいや。そのお客さんは見込みがある。文句がいいたいということは興味があるということだ。まだ信じているからこそ、見捨てていないからこそ、文句がいいたいんだ。好きの反対は嫌いではなく、無関心だからな。もう一度、信頼してもらえるように継続的に接触していこう」なんて。
「かっけーな、こいつ」と思ったのが13年前。
前置きが長いですね。感謝の反対は何かという話題でした。
言葉には、すべからく反対の言葉がある。言葉を理解する時に、その言葉の概念を定義する時に、「何ではないか」を考えると本質がつかめることが多い。
感謝の反対は何か?
嫉妬?非礼?不遜?不平?不満?愚痴?意外にしっくりとした答えが考えつかない。辞書をひいてみると「怨嗟」だという。やはりしっくりこない。
そして、こんな考え方がある。
感謝の反対は「当たり前」
なるほどなるほど。そうだな。どんな時に感謝の言葉が出てこないか。たしかにある事象が自分にとって当たり前だと、ともすれば傲慢な認知をした瞬間に、ありがとうという言葉は出てこない。
ネットで「感謝 反対」で検索すると、「感謝の反対は当たり前である」という考えかたは「好きの反対は無関心である」ほどではないですが、それなりに有名な話の模様。
「感謝の反対は当たり前は論理的に破綻している!」「無批判にその考え方を受け容れるのは思考停止だ!」なんて論調のサイトもありましたが、そんなことも僕はどうでもよくて。
自分から発せられる感謝の言葉をもっと増やすにはどうしたらいいかの問いを起点にすると、「感謝の反対は当たり前」は「好きの反対は無関心」同様にステキだと思う。
この事象は本当に当たり前のことなのか?有難いことではないのか?
ふと立ち止まってそう考えると、周りの人がやってくれていることのひとつひとつに感謝の気持ちが生まれてくる。特に仕事場。
型化され運用にのってしまった仕事を担ってくれている部署やその部署で働いている人って会社では日の目を浴びにくい。一方、新規の企画を考える部署には挑戦や失敗のドラマがあり、華やかさがある。
会社は規模が大きくなればなるほど、とてつもない仕組みの中で回っている。その仕組みの安定運用を担っている人達が多く存在する。
今、僕はひとつの事業の企画から運用までを担っている部署を管理している。部署の中には運用者もたくさんいる。運用者としてのキャリアをどう描いていくのか、日々どのようなチャレンジで成長を感じてもらうのか、そんなことを考えなくてはいけない。
でもその前に、日々当たり前のようにこなしてくれている仕事によって当たり前のように毎週毎週まわっているこの事業が、昔は当たり前ではなかったことに思いをはせ、感謝の気持ちを忘れないことは大前提必要だと思った次第である。
「インサイト」~いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力という本を読み始めた。
自己啓発のテーマの一丁目一番地ともいえる、僕の好き系なテーマの本だ。この本の本筋とは関係ないのだが、この本の中に出てきたのが「感謝の反対はあたりまえ」という考え方でした。
ちなみに自己認識の反対語は自己欺瞞とのこと。
うん、楽しみな本だ。
では。
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