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ダンマの呼び声

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宇宙について考えたい
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スピリチュアルを語るリスク

スピリチュアルを語るリスク

聖地のフィールドワークや瞑想などを研究実践しているので仕方ないのだが、神秘体験や超自然的について人から尋ねられることが増えてきた。講演でもそうだし、個人的に聞かれることも多く、返答に困ることもある。いつも感じるのだが、スピリチュアルについては伝え方がとても難しい。普段は迂闊に"不思議な現象"については語らないようにしている。

特に聞く準備が整っていない人や、理性的に物事を考えるのが難しい人には語

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ある桜から教わった話

ある桜から教わった話

それは何の前触れもなく突然訪れた。
これまでも日本だけでなく世界中の聖地を調査していたので、不思議なことは何度もあった。だが今回は明らかに偶然ではないのだろうと確信している。宇宙まで突き抜ける青空が広がる暖かい春の昼下がりに、僕はその桜に呼びかけられたのだ。

仏陀の誕生日にあたるその日、僕は昼過ぎまで吉野で存分に千本桜を堪能して、近くにある龍鎮の滝へと車で向かっていた。その道中で路傍に立てられた

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永遠へのまなざし

永遠へのまなざし

 中世から近代へと移り変わりの中で提出された問い___。つまり「世界は善なるものか、それとも悪なるものか」という問いを進めると次に何が立ち現れるのか。世界が善なるものであれば問題なし。しかし悪なるものであれば、そこには「救い」が必要になる。
 その救いとは、神の絶対的秩序が地上へ実現することであり、「永遠なるもの」を手に入れるということである。この世界が永遠の秩序を獲得したのであれば、それは悪から

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近代でのまなざしの大転換

近代でのまなざしの大転換

 ヨーロッパが中世から近代を迎えようとする頃、人々が世界に向けるまなざし、つまり世界観に大きな転換点が訪れた。最も大きな衝撃を与えたのは16世紀にコペルニクスの唱えた地動説であったのは言うまでもない。しかし、世界にとってより切実な問題であったのは、創造主である神はこの世を善なるものとして生み落としたのか、それとも悪なるものとして生み落としたのかという問いであった。 
 この世が善なるものであれば問

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神聖幾何学の系譜01:ピタゴラスの遺産

神聖幾何学の系譜01:ピタゴラスの遺産

 神秘学というのは学問であるのか。英語ではオカルティズム、つまり俗にいう「オカルト」と言われるものだ。学問は一般的にオカルトを嫌うし相手にしない。だから日本語訳で神秘“学”とすると少々違和感があるかもしれない。しかし学問とオカルトの境界線というのは実はかなり曖昧なものである。神聖幾何学を考える上で、神秘学の系譜として並行して探っていかねばならないと考えている。
 神秘学、つまりオカルティズムとは、

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意思を手放す

 自分の人生に起こることを観察することにしてから、随分と楽になった。
それまでは意思を持って、自分の人生をコントロールしていこうとしていたので、うまくいかない時に苦しむことが多かったのだが、その意思を手放すことの方が実はうまくいくことが多い。
 そもそも、この世で起こっていることを全て意思の元にコントロールしようというのは、近代合理主義の奢りだ。我々は本当は何もコントロールすることなどできない。そ

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蛾の輪廻

蛾の輪廻

 一匹の蛾が家の中に入ってきた。当て所なく飛び回る蛾を見て少し不憫に思った。このまま外に出て行くことが出来なければ、こいつはおそらく3日も経たないうちにこの家で亡くなるだろう。いやたとえ外に出て行ったとしても、寿命がそれほど長いわけではないに違いない。
 人の寿命は80年もあるのに、それと比べて虫の寿命はなんと短いのだろうか。ぼくらがずっと生きている間に、何世代も生まれては消えるということを繰り返

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