神聖幾何学の系譜01:ピタゴラスの遺産
神秘学というのは学問であるのか。英語ではオカルティズム、つまり俗にいう「オカルト」と言われるものだ。学問は一般的にオカルトを嫌うし相手にしない。だから日本語訳で神秘“学”とすると少々違和感があるかもしれない。しかし学問とオカルトの境界線というのは実はかなり曖昧なものである。神聖幾何学を考える上で、神秘学の系譜として並行して探っていかねばならないと考えている。
神秘学、つまりオカルティズムとは、本来は占星術、錬金術、魔術など綿々と受け継がれる秘された実践と知識の体系を指す。それは古代よりずっと引き継がれてきた。古代の神秘学の系譜を語るのに最もふさわしいのは、個人的にはピタゴラスではないかと思う。紀元前6世紀ごろのギリシアの哲学者である。
ピタゴラスといえば、直角三角形をなす3辺の内、2辺の長さを知ることができれば、残りの1辺の長さを知ることができる「三平方の定理」で有名な数学者としてのイメージがあるかもしれない。しかし実際にはピタゴラスが追い求めていたものこそ“宇宙の神秘”であった。
ピタゴラスは現在のトルコ沿岸にあるイオニア地方のサモス島で、宝石細工師の息子として生まれたという。当時のサモス島といえば、古代ギリシャ文化圏の東辺に位置し、文化の境界線に位置する面白い地理にあった。近くの町には著名な数学者のタレスも居たように、様々な文化の交錯が豊かな知性を育んでいた。
いくつかの伝記によると、ピタゴラスは若くから古代オリエント世界の各地を旅し様々な地で様々なことを学んだという。エジプトで幾何学を学び秘儀に参加し、フェニキアでは算術と比率を学び、カルディア人からは天文学を学んだ。北はイギリスから東はインドまで旅し、ゾロアスター教の司祭のもとでも教えを請うたとも言われている。
そうやって各地を20年ほど放浪したピタゴラスは、当時のあらゆる数学知識のすべてを身につけた後、イタリアのクロトン、現在の南イタリアのロクリスで学派を立ち上げる。それがピタゴラス学派と呼ばれるコミュニティである。ピタゴラスはその巧みな弁舌で人々に語りかけ、学派は数学・音楽・哲学の研究を重んじる集団として数百人の信者を集めるようになった。
しかし実際には学派というよりも“教団”と呼んだ方が良いような秘密主義で共産制の組織だったという。この組織に入るのは厳しいテストを受け、財産を共有せなばならなかったという。また内部情報を外部に漏らすことを厳しい戒律で禁じていたため、時にはその違反者には船から海に突き落として死で償わせることも行なっていた。そのため組織内部の研究記録や、ピタゴラス本人の著作物は後世に伝わることはなかった。
ピタゴラス学派は、古代からギリシャにあったオルフェウス教の影響を受けている。オルフェウス教は魂と肉体の二元論、転生、輪廻からの最終解脱などを基本的な教義とする密儀宗教であるが、ピタゴラス学派も輪廻転生の概念を重視していた。
そんなピタゴラス学派には二つの系統があったという。一つは数学の研究を重視した系統。もう一つは宗教や密議を重視した系統である。ピタゴラスはこの両者を結びつけて考えていた。ピタゴラスはあらゆる事象には数が内在していると信じていた。宇宙のすべては数の法則に従い、数字と計算によって解明できるという思想。その数学は和音の構成から惑星の軌道まで、日常生活から宇宙の法則まで、多くの現象を支配しているとピタゴラスは考えていた。つまり数学を追求することが、宇宙を追求することであり、ここに数学という学問と宗教が一つになる根拠があった。だからピタゴラス学派は古代ギリシャでは数学の研究機関であり、なおかつ宗教組織であったのだ。
ピタゴラス学派では三平方の定理以外にも様々な数学の定理を発見したが、数の調和や整合性を崇拝していた。そしてゾロアスター教のように二元論を基礎とし、特に10を完全な数として考えた。だから学派の紋章は10個の点を三角形に配置したテトラクテュスと呼ばれるものであった。
このピタゴラス学派は結局、この組織を後援していた政治家が政治闘争に巻き込まれて失脚し、衰退していくことになる。しかしその後、この学派の数学や輪廻転生についての思想はプラトンの幾何学の考え方や、アリストテレスにも引き継がれていく。
このピタゴラスの思想が、西洋社会における神秘学と呼ばれるものへと紡がれていく。その後に出てくるオカルティズムの多くはピタゴラスの遺産を受け継いでいるのである。そしてその遺産は無論、数学や哲学をはじめとする学問にも影響を及ぼすことになる。神秘を探ることは宗教と学問の両方から探求されるのだが、古代世界では元は一つなのである。
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