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つぶやき

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行き場をなくした愛を春に揺蕩う花粉のように振り撒くことが最近の趣味です。

正論を聞くのは疲れた

正論を言うのも疲れた

正論なんて結局は多数派が作り出した借り物の価値観で、自分が本当に歩みたい生き方と違うじゃないか、


そう感じ始めた頃から、あなたの芸術と哲学がスタート或いはリスタートする。

しがらみの世界をぶっ壊して、生命を愛でよう。

桜が美しいのは桜が真実だからです。

桜が春を超えて咲き続けたとしたら、それは造花です。

【2024/05/04の気持ち】

【2024/05/04の気持ち】

愛しき日々を思いましながら詩を作っている。

痛みと快感が同時に心に鬩ぎ合う。

これこそまさに魂のリストカットだ。

痛くても引きちぎってしまうささくれのように

痛くても噛み潰してしまう口内炎のように

破壊的な創造の中心部に夕焼けの哀愁を宿している。

死というやつが驚愕して逃げ出したくなるほどに生命の炎を燃やし尽くしてヤツの方へと向かってやる。

お前に僕が殺せるか?

死は何もしなくても遠方から徐々に近づいてきているのに

それに向かって全速力で駆け抜けて最高に強烈な全身全霊の拳をぶち込んでやろうとしてる。


そうしたら自分と死の相対速度は当然速くなるものだから、長い人生は歩めないだろうけど、そういう自分の生き方は反逆的かつ情熱的で大好きだ。

今日の朝に少女の詩を書いていたら

「時よ止まれ、お前は美しい」

という言葉が自然と脳内に響き渡った!

速ければ速いほどに美しいということを知ってはいたけれども瞬間的に体感してしまった。

やはり、我ながら少女の美しさは桜の美しさと同質であるという持論は正しかったようだ。

安居酒屋のような文学が好きだ。

焼き鳥の煙とビールの香りが漂ってくるような文学が好きだ。

つまり寅さんのような文学である。

安居酒屋のような文学は、孤独な人の肩を叩いてくれる優しさがある


その優しさは天爵であり、心から湧き起こるお人好しの文学だ

僕はそんな人でありたい

僕は純文学の人でありたい。

つまり、僕の解釈を他者に委ねる余地のある人でありたいということだ。

100の人がショパンを聴けば、100のショパンがそこにある。

芸術とはそういうものだ。

僕には僕の内浦穂高があり

読み手の数だけ僕がある。

空より広く 詩は羽ばたく。

快楽の果てに命があり

かなしみの果てに美がある。

僕は昔から、少女の気持ちを想うのが好きだ。


儚くて健気な純白の想いに身を焦がす瞬間こそが、この上なく物悲しく、そして耽美に感じるのだ。

だから今日も大いに酒を飲んで、今も僕の中に残る少女性に語りかける。


日本人の美しさは桜の美しさであり

桜の美しさは少女の美しさだ。

僕は中学生の頃から明確に自分の人生を『作品』として認識したように思う。

だから僕は13.14歳くらいから常に自分を客体として捉え、こうあるべきという美的観念の上に自分を演じ、創り、過ごしてきたのだろう。


主観の情熱を芸術に注ぎ、自らの人生を客体として創る

これからもそうだ