中高少し特殊な環境にいた私は、教師の方々や学校にしばしば話しに来る方々から、大きな目標を設定することの重要性を説かれたことがある。無論当時は、その重要性がありあ…
のっぺらぼう
2023年10月11日 11:28
中高少し特殊な環境にいた私は、教師の方々や学校にしばしば話しに来る方々から、大きな目標を設定することの重要性を説かれたことがある。無論当時は、その重要性がありありとしたかたちで私に感じられたわけではない。それどころか思春期の懐疑主義=懐疑趣味にとって、それは疑いの格好の対象だった。しかし最近、一つの望んでいた目標を達成して、私はそれの真意をつかみかけているような気がする。というのも、私が最近達
2024年5月8日 21:27
ノンポリといってしまうと、無責任に思えないこともないので、ノンノンポリを自称しておこう。
2024年5月7日 21:15
自由の実質なるものがあるのなら、それには常に私の想定を超え出てほしいものだ。
2024年5月4日 17:49
芸術は倫理の表現ではなかろうか。
2024年4月25日 20:11
われわれは遺体安置所に生まれてきたのだ。
2024年4月15日 16:12
Films are to reality what the countable infinite is to the uncountable infinite.
2024年4月10日 21:27
逃げ癖がついてしまうことを恐れて現状にとどまることは、やはり相応のリスクを伴う。
2024年4月4日 17:53
のどが硬直するような緊張は、一度は経験しておくべきものなのだろうか。
2024年3月30日 11:00
「マイクロアグレッション」より、「クリプトアグレッション」の方が正確ではないだろうか。
2024年3月26日 16:38
溝は深まるばかりである。
2024年3月23日 17:52
10分たりとも同じことを考え続けられない人間にとって、ダブスタなどというものは存在しない。
2024年3月11日 15:22
悟りはけっして彼岸にあるわけではない。
2024年3月4日 14:55
あらゆる連関の最中で生起するあることに対して、我々が評価を下すとき、そのあることは連関から切り離されがちであり、幸か不幸か、それなしに我々は価値について語りえない。
2024年2月27日 11:03
近接原因への過剰なこだわりが、現代である。
2024年2月20日 14:19
誤謬とは、その場に適さない論理と考えられるべきである。
2024年2月17日 14:06
道徳的な人とはつまり、罪を背負うことを忌避する人である。