中高少し特殊な環境にいた私は、教師の方々や学校にしばしば話しに来る方々から、大きな目標を設定することの重要性を説かれたことがある。無論当時は、その重要性がありあ…
のっぺらぼう
2023年10月11日 11:28
中高少し特殊な環境にいた私は、教師の方々や学校にしばしば話しに来る方々から、大きな目標を設定することの重要性を説かれたことがある。無論当時は、その重要性がありありとしたかたちで私に感じられたわけではない。それどころか思春期の懐疑主義=懐疑趣味にとって、それは疑いの格好の対象だった。しかし最近、一つの望んでいた目標を達成して、私はそれの真意をつかみかけているような気がする。というのも、私が最近達
2024年7月20日 15:58
The unbridgeable gap is all the more apparent.
2024年7月15日 13:14
社会に対して自分が無害であることを示すには、マナーを体得すればよい。
2024年7月12日 13:40
自己責任の条件が自己の所有であるなら、自己を所有したくなくなることは存外普通の気分であろう。
2024年7月7日 19:21
現代科学において知覚が意味するところは、われわれの常識をかなり超え出ている。
2024年6月30日 21:27
現実の肯定は逆説的にも、あらかじめ肯定される理想が彼岸にあることを認識することで可能になるのだ。
2024年6月23日 16:39
あらゆる科学は理論的実践とみることができる。
2024年6月14日 20:16
治療的哲学はやはり必要なのだ。
2024年6月8日 21:38
徹底された都会だけでなく、徹底された自然もどこか疲れるところがあるなら、やはりその間をとるべきだろう。
2024年5月29日 20:10
我々は可能性に縛られることもしばしばあるのだ。
2024年5月24日 20:58
The neighbourhood is always green until I step into it.
2024年5月18日 21:04
Oblivion of the life-world is prevalent in the 21st century.
2024年5月8日 21:27
ノンポリといってしまうと、無責任に思えないこともないので、ノンノンポリを自称しておこう。
2024年5月7日 21:15
自由の実質なるものがあるのなら、それには常に私の想定を超え出てほしいものだ。
2024年5月4日 17:49
芸術は倫理の表現ではなかろうか。
2024年4月25日 20:11
われわれは遺体安置所に生まれてきたのだ。