文系大学生

江藤淳と柄谷行人、石原慎太郎と大江健三郎が好きです。アイコンは文豪っぽい宮本浩次、背景…

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江藤淳と柄谷行人、石原慎太郎と大江健三郎が好きです。アイコンは文豪っぽい宮本浩次、背景は若き日の石原慎太郎。読書記録など。

記事一覧

「All Summer Long」(1964)のメモ

 ビーチボーイズは、商業的には失敗した後期の「Sunflower」――「All I Wanna Do」を私は何度聴き、これからも聴くことだろうか――が好きである。しかし最近は、「All S…

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「ぼくが死んだらさびしいよ?」 佐久間文子『ツボちゃんの話』

 本書(2021)は、ツボちゃん=坪内祐三の妻である佐久間文子が、彼らの二十五年に及ぶ夫婦生活を綴った書物である。佐久間氏は、彼の急逝後すぐに執筆を依頼されて一度は…

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圓生の「三年目」 メモ

 六代目三遊亭圓生の「三年目」をきく。この噺は、五代目圓生の十八番であり六代目圓生はそれを踏襲した。なにより素晴らしいのは、幽霊として現れる妻の描写。相思相愛の…

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喜劇の時代 小林信彦『日本の喜劇人』

 小林信彦『日本の喜劇人』は、昭和期の芸能史を語るうえで最も重要なテクストである。1972年に最初のバージョンが刊行されて以来、時代によって適宜編集されてこんにちま…

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12日前
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日本を越えろ! 福田和也・宮崎哲弥「愛と幻想の日本主義」

 福田和也と宮崎哲弥による対談本「愛と幻想の日本主義」は1999年に刊行された。当然、扱われている時事は時代を感じさせるものだが(福田のゼミ生が皆カラオケで小沢健二…

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2週間前
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現実と「現実」 河野多恵子『不意の声』

 河野多恵子『不意の声』は、奇妙なリアリスティを持った小説である。  印象的な書き出しではじまる本書は、まず父と吁希子との、あるいは母と吁希子との関係が丹念に描…

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3週間前
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「ワイルド・アット・ハート」のメモ

 デイヴィット・リンチの傑作。バイオレンスとシュールレアリズム、そして音楽が不均衡な調和をしている。ニコラス・ケイジの演技も素晴らしい。北野武は公開当初、連載し…

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3週間前
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批評家になるということ 江藤淳『小林秀雄』

 先ごろ、作家の高橋源一郎氏と話をする機会があった。それは、あるトークショーに私が行き、その質疑応答で私が質問をしたからである。そのやりとりについては、別の機会…

文系大学生
3週間前
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「雨月物語」についてのメモ

 溝口健二「雨月物語」を見た。  此岸と彼岸の中間にあるような、幻想的な世界を描いた一大傑作である。たとえば、マーティン・スコセッシが「好きな映画」としてこの作…

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1か月前

父性の文学 庄野潤三「夕べの雲」

 庄野潤三『夕べの雲』は、昭和三十九年九月から翌年一月まで日本経済新聞に連載された「新聞小説」である。読者はまずこの事実に驚嘆するにちがいない。なぜならこの小説…

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1か月前
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死屍累々とメダカは… 吉行淳之介「暗室」

 吉行淳之介の小説を読むとき、私はいつもスラスラと、滞りなく読んでいる。いい換えると、私はいつも「考える」ことなしに読んでいる。そして、読後に残っているのは、幾…

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1か月前
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「批評家」の青春 伊藤整「若い詩人の肖像」

 伊藤整「若い詩人の肖像」は、題の元となったであろうジョイスの「若き芸術家の肖像」がそうであるような、自伝的長編小説である。「あとがき」に、「新たにフィクション…

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2か月前
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近代の超克は可能か? 富岡幸一郎「内村鑑三」

 内村鑑三は、自身の生涯には「三度大変化が臨んだ」といっている。一度目は札幌でのキリスト教入信、ニ度目は「道徳家たるを止めて信仰家」となった時ーー余の義を余の心…

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2か月前
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個人を越えて 宇野千代「雨の音」

 宇野千代「雨の音」は「私小説」であるが、これは宇野氏自身の「人生」を語ったり、告白したものではない。むしろ、宇野氏は「人生」を語ることへの不審があるように思わ…

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2か月前
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闘う知性 柄谷行人「坂口安吾と中上健次」

 「坂口安吾と中上健次」は、私が好きな柄谷行人の私が最も愛読している書物である。  巻頭に置かれた「『日本文化私観』論」は、柄谷の安吾論のなかでもっとも知られて…

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2か月前
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母の再生 青野聰『母よ』

 江藤淳の「成熟と喪失」における「成熟」の成り立ちはあまりにも有名である。その成り立ちとは、もっとも近しい「他者」たる母からの決別――副題にある「“母”の崩壊」…

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3か月前
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「All Summer Long」(1964)のメモ

「All Summer Long」(1964)のメモ

 ビーチボーイズは、商業的には失敗した後期の「Sunflower」――「All I Wanna Do」を私は何度聴き、これからも聴くことだろうか――が好きである。しかし最近は、「All Summer Long」を好んでいる。このアルバムは、どれも明るいく聴き馴染みのある良曲が揃っているが、THE MYSTICSをカバーした「Hushabye」が特にお気に入り。(この曲がカバーだと知ったのはつい最近

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「ぼくが死んだらさびしいよ?」 佐久間文子『ツボちゃんの話』

「ぼくが死んだらさびしいよ?」 佐久間文子『ツボちゃんの話』

 本書(2021)は、ツボちゃん=坪内祐三の妻である佐久間文子が、彼らの二十五年に及ぶ夫婦生活を綴った書物である。佐久間氏は、彼の急逝後すぐに執筆を依頼されて一度は断ったものの、また思い直して書いたという。なぜなら、《時間がたてば、楽しいことばかりだったと自分の記憶を修正すると思ったから》。そして、「修正」が施されずに描かれたツボちゃんの姿は、「怒りっぽくて優しく、強情で気弱で、面倒だけど面白」く

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圓生の「三年目」 メモ

圓生の「三年目」 メモ

 六代目三遊亭圓生の「三年目」をきく。この噺は、五代目圓生の十八番であり六代目圓生はそれを踏襲した。なにより素晴らしいのは、幽霊として現れる妻の描写。相思相愛の旦那との会話の妙は、何度も味わいたいほどだ。

https://open.spotify.com/album/4h1PkDSJwRPUH3ykWHHrWe?si=SGVlI3c4RsyhlUN37hNS3g

喜劇の時代 小林信彦『日本の喜劇人』

喜劇の時代 小林信彦『日本の喜劇人』

 小林信彦『日本の喜劇人』は、昭和期の芸能史を語るうえで最も重要なテクストである。1972年に最初のバージョンが刊行されて以来、時代によって適宜編集されてこんにちまで読まれ続けている名著で、小林の代表作のひとつだ。今回私が読んだのは、1982年に刊行された新潮文庫版で、この版では新たに「高度成長の影」という章が追加され、オールナイトニッポンが始まったばかりのビートたけしへの期待で終わっている。
 

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日本を越えろ! 福田和也・宮崎哲弥「愛と幻想の日本主義」

日本を越えろ! 福田和也・宮崎哲弥「愛と幻想の日本主義」

 福田和也と宮崎哲弥による対談本「愛と幻想の日本主義」は1999年に刊行された。当然、扱われている時事は時代を感じさせるものだが(福田のゼミ生が皆カラオケで小沢健二を歌っているというのが象徴的だ)、今の読者が読んでも充分な知的刺戟と示唆に満ち溢れている。それは、あまりに多くの事柄が論ぜられているけれども、結局二人の対話はある普遍的な問いかけに収斂しているからではある。その問いとは「日本はどうあるべ

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現実と「現実」 河野多恵子『不意の声』

現実と「現実」 河野多恵子『不意の声』

 河野多恵子『不意の声』は、奇妙なリアリスティを持った小説である。

 印象的な書き出しではじまる本書は、まず父と吁希子との、あるいは母と吁希子との関係が丹念に描かれる。両親との関係の機微ーー両親への感情の変化が丁寧に辿られ、「ありふれた」、しかし一方ではある意味特異な「父子」の姿が浮かび上がるのだ。特異な、といったのは父との死別後も吁希子は時折、父と「対面」するからに他ならない。
 吁希子がはじ

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「ワイルド・アット・ハート」のメモ

「ワイルド・アット・ハート」のメモ

 デイヴィット・リンチの傑作。バイオレンスとシュールレアリズム、そして音楽が不均衡な調和をしている。ニコラス・ケイジの演技も素晴らしい。北野武は公開当初、連載していた映画評で大絶賛したそうだ(「仁義なき映画論」に収録)

批評家になるということ 江藤淳『小林秀雄』

批評家になるということ 江藤淳『小林秀雄』

 先ごろ、作家の高橋源一郎氏と話をする機会があった。それは、あるトークショーに私が行き、その質疑応答で私が質問をしたからである。そのやりとりについては、別の機会に書きたいと思う。また会の終了後もわずかながらお話させていただいた。
 高橋氏がそこでした江藤淳『小林秀雄』についての評が印象にのこっている。この批評があまりにも「エモ」すぎるという評が。つまり、『小林秀雄』はいかにも抒情的なーー作者江藤淳

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「雨月物語」についてのメモ

「雨月物語」についてのメモ

 溝口健二「雨月物語」を見た。
 此岸と彼岸の中間にあるような、幻想的な世界を描いた一大傑作である。たとえば、マーティン・スコセッシが「好きな映画」としてこの作品を選んだように、世界中で評価されているのもむべなるかなといったところだ。
 すべてのショットが「考え抜かれて」、撮られたのだと思う。人は、徹底的に考え抜かれたものにこそ、感動するのではなかろうか。

父性の文学 庄野潤三「夕べの雲」

父性の文学 庄野潤三「夕べの雲」

 庄野潤三『夕べの雲』は、昭和三十九年九月から翌年一月まで日本経済新聞に連載された「新聞小説」である。読者はまずこの事実に驚嘆するにちがいない。なぜならこの小説に描かれているのは、作家と思しき主人公大浦と細君、長女の春子、長男の安雄、次男の正次郎がおりなす「生活」であり、なんらエンターテイメントに満ちた、いい換えれば明日の続きが気になるような事件などではないからである。そしておどろくべきことに、『

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死屍累々とメダカは… 吉行淳之介「暗室」

死屍累々とメダカは… 吉行淳之介「暗室」

 吉行淳之介の小説を読むとき、私はいつもスラスラと、滞りなく読んでいる。いい換えると、私はいつも「考える」ことなしに読んでいる。そして、読後に残っているのは、幾つかのすばらしいディテールである。
 「暗室」は、主人公の「私」と、女たちーーマキ、多加子、夏江との関係が描かれた小説である。そして彼女らとの情事を通して、人間の「性」と「倫理」との対立関係を浮かび上がらせている。「性」というのは、ここでは

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「批評家」の青春 伊藤整「若い詩人の肖像」

「批評家」の青春 伊藤整「若い詩人の肖像」

 伊藤整「若い詩人の肖像」は、題の元となったであろうジョイスの「若き芸術家の肖像」がそうであるような、自伝的長編小説である。「あとがき」に、「新たにフィクションや架空人物を配し」と記されているので、実人生にどれほど忠実であるのかは読者には与り知らぬところであるが、巻末の年譜を見ると時系列や主要な出来事はほとんど忠実であるといってよい。だから、ここでは「私」=伊藤整自身としてこの文章を続けていく。

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近代の超克は可能か? 富岡幸一郎「内村鑑三」

近代の超克は可能か? 富岡幸一郎「内村鑑三」

 内村鑑三は、自身の生涯には「三度大変化が臨んだ」といっている。一度目は札幌でのキリスト教入信、ニ度目は「道徳家たるを止めて信仰家」となった時ーー余の義を余の心に於て見ずして之を十字架上のキリストに於て見たーー、そして三度目はキリストの再臨を確信した時である(133)。このうち、ニ・三度目の「大変化」については、十分に論じられているといってよい。特に、筆者が内村の「思想の、その生涯の頂点」とする「

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個人を越えて 宇野千代「雨の音」

個人を越えて 宇野千代「雨の音」

 宇野千代「雨の音」は「私小説」であるが、これは宇野氏自身の「人生」を語ったり、告白したものではない。むしろ、宇野氏は「人生」を語ることへの不審があるように思われるのである。
 この小説では多くのことが描かれる。主人公の「私」の、従兄との結婚や子どもの死(娘の寵子が生きていたのはたった三時間であった)。雑誌「スタイル」の創刊やその編集をしていた吉村(モデルは北原武夫)との結婚。戦時下での生活や戦後

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闘う知性 柄谷行人「坂口安吾と中上健次」

闘う知性 柄谷行人「坂口安吾と中上健次」

 「坂口安吾と中上健次」は、私が好きな柄谷行人の私が最も愛読している書物である。
 巻頭に置かれた「『日本文化私観』論」は、柄谷の安吾論のなかでもっとも知られている論考であろう。安吾研究の第一人者である関井光男は「安吾研究を一変させたほど影響力が大きった」と語っている(「坂口安吾と中上健次」293頁)。この論考では、自らを突き放すような他者性、柄谷の言葉で言い換えるならば、ある「現実」に文学の「ふ

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母の再生 青野聰『母よ』

母の再生 青野聰『母よ』

 江藤淳の「成熟と喪失」における「成熟」の成り立ちはあまりにも有名である。その成り立ちとは、もっとも近しい「他者」たる母からの決別――副題にある「“母”の崩壊」が成熟をもたらすというものである。ここには、ある前提がある。つまり、子と母とのあいだにどんなかたちであれ意識的な「つながり」があるという前提が。なぜなら、「つながり」がなければ喪失など起こりうるわけがないからである。
 なぜ、江藤は「母」と

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