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日本の国家安全保障90年代

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日本の国家安全保障90年代 105

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

田所昌幸・姫路独協大学法学部助教授の主張

 田所昌幸・姫路独協大学法学部助教授は

1995年12月22日の読売新聞朝刊で

「日米同盟 理念無き反発」

と題し、

「卑屈な対米従属と変わることなく、

 実は精神的従属そのものにほかならない。

 反発と甘えの入

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日本の国家安全保障90年代 95

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

暉峻淑子・埼玉大学名誉教授の主張

暉峻淑子・埼玉大学名誉教授は

1999年5月3日の

朝日新聞「論壇」において、

「『大国』日本が残せるもの」

と題し、

「戦後、『大国』として日本が唯一、

 世界に対して手本となりえたのは平和憲法ゆえであり、

 二十一

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日本の国家安全保障90年代 85

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

五十嵐武士 東京大学教授の主張

 東京大学の五十嵐武士教授は

1994年(平成6年)の雑誌「世界」1994年6月号において、

「日本は二十一世紀をどのようにいきるのか 『平和国家パートⅡ』の提言」

と題し、

日本の進むべき道は

「普通の国」

ではない、

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日本の国家安全保障90年代 84

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

大田昌秀・沖縄県知事の主張

 1997年(平成9年)4月15日に

「戦争の悲劇をじかに知っていることから、

 沖縄県民は平和を維持するために軍事力を持つ必要がない。」

と発言している。

現実に対処できない、意味のないオピニオンである。

日本の国家安全保障90年代 83

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

藤井宏明・外務省官房長、駐英大使の主張

 外務省で官房長を務めたあと駐英大使になった

外務省主流派の藤井宏明氏は

1998年に

財団法人・日本国際フォーラムが主催したシンポジウム、「海洋国家イギリスの知恵から何を学ぶ」において、

「日本の自立は、大英帝国のご

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日本の国家安全保障90年代 82

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

斉藤邦彦・外務省事務次官の主張

 斉藤邦彦・外務省事務次官は

1993年11月12日に

日本記者クラブの講演で、

「小和田・前外務事務次官は以前、

 雑誌の対談で、結論を出さずに

 『無責任国家と普通の何でもやる国家があり、この間、ハンディキャップ外交があ

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日本の国家安全保障90年代 81

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

小和田恒・外務省事務次官の主張

 雑誌「プレジデント」1993年6月号で、

「日本が今後国際社会とどう関わっていくべきかという問題なのですが、

 第一は、終戦直後に多くの日本人が考えたように

 『清く貧しく美しく』

 生きる生き方です。

 国際的な貢献、あ

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日本の国家安全保障90年代 80

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国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

大前研一・評論家の主張

大前研一氏は1990年代後半、

テレビ東京系列で放映された「がらがらニッポン」(司会・飯干景子)

などで、

「もはや超大国の軍事的抑止力による時代は終わった」



超大国の軍事的抑止力は存在し続けているという現実を無視した主張を展開

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日本の国家安全保障90年代 79

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国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

中川昭一・代議士(自由民主党)の主張

中川昭一氏は

「日本の正義 アメリカの正義」(扶桑社、1996年)

において、

外務省主流派が今現在もなお

「吉田ドクトリン」(経済至上主義、外交と安全保障のアメリカ依存、軍備には金をかけない)

を最重視している

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日本の国家安全保障90年代 78

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国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

柴山哲也・京都大学経済学部講師、元朝日新聞記者の主張

柴山哲也・京都大学経済学部講師、元朝日新聞記者は

雑誌「Ronza」1996年(平成8年)12月号において、

「21世紀の国家の枠を超える情報化社会を前に、

 有用な情報の価値はますます高まるが、

 愚鈍

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日本の国家安全保障90年代 77

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

 防衛大学校卒業後、航空自衛隊、外務省を経て杏林大学大学院非常勤講師、野村総合研究所主任研究員となった森本敏氏。

 森本敏氏は防衛大臣にもなった。

 1993年10月5日の読売新聞「論点」で、

「国際政治を動かす要因は結局のところ宝である。国際社会の秩序を確保す

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日本の国家安全保障90年代 76

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

細川護熙・元首相の主張

細川護熙・元首相は

 1998年(平成10年)の「FOREIGN AFFAIRS」3/4月号

「ARE U.S.TROOPS IN JAPAN NEEDED? 米軍の日本駐留は本当に必要か」

において、

北朝鮮、中国の脅威は、

日本

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日本の国家安全保障90年代 75

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国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

鴨武彦・東京大学法学部教授の主張

TBS『報道特集』



日米防衛協力のための指針(ガイドライン)法案

について

日本とアメリカによるダブル・ヘゲモニーになる

と反対していた

鴨武彦・東京大学法学部教授。

鴨武彦・東京大学法学部教授は

  雑誌「Rо

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日本の国家安全保障90年代 74

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

ノーベル文学賞作家・大江健三郎氏の主張

 1995年(平成7年)4月のワシントンでの講演で、

「米国の民主主義を愛する人たちが作った憲法なのだからあくまで擁護すべきだ。

 軍隊(自衛隊)についても、

 前文にある『平和を愛する諸国民の公正に信頼して』とあるよう

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