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ギリシャ, アテネ part γ' 〜 エロースが鎮座する国で「愛のコリーダ」観たり, アクロポリス・リカヴィトス等ぶらついたりの, 1983年7月下旬

1983年4月26日に日本を発ち, ギリシャ入国は同年7月11日

1983年4月26日に横浜港から当時のソ連・ナホトカ行きのフェリー(2泊3日の船旅)で日本を発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, ソ連を旅した後は北欧に出て, その後, 徐々にヨーロッパを南下, 7月10日にイタリア・ブリンディジからフェリー1泊2日の船旅でギリシャ・パトラへと渡り(*1, 第3章以降にそこまでの各国各都市の旅 note へのリンクなどあり), その後, ギリシャには 1ヶ月ほど滞在した(アテネとサントリーニ島)。この note はギリシャ・アテネ note 第3回。ギリシャ・アテネ part α', ギリシャ・アテネ part β'(わざわざギリシャ式の数字にしている, 笑)は以下の *2, *3 note リンク。

*1 イタリアからギリシャに向かった 1983年7月10日 〜 同年4月26日 日本「出国」以降の旅を振り返り(ソ連からイタリアに至る各国各都市の旅 note リンク)

*2 ギリシャ・アテネ part α' 〜 1983年7月11-14日(写真16枚)

*3 ギリシャ・アテネ part β' 〜 1983年7月15-16日(写真14枚)

エロース(ギリシャ神話, 恋愛と性愛を司る神)が鎮座する国で大島渚監督作品「愛のコリーダ」(フランス語タイトル "L'Empire des sens"「官能の帝国」), 完全ノーカット版を観た 〜 1983年7月22日, 猛暑のギリシャ・アテネにて

エロスってもはやカタカナ言葉として日本語化しているけど, 元は「エロース」, ギリシャ神話における恋愛, 恋心, 性愛などを司る神(当初は世界の始まりから存在していた原初神とされ, 後には愛と美と性を司る女神アプロディーテーの子であるとされるようになった神)。ウィキペディアから丸写しすると "ギリシア語で性的な愛や情熱を意味する動詞「ἔραμαι」が普通名詞形に変化、神格化された概念" だそうで(ウィキペディアは「ギリシア」「ギリシャ」と使い分けているが, その辺りのことは過去の note, ギリシャ・アテネ part α', part β' で触れたので今日は割愛, おお「愛」を割ってしまった!)。そして「チン座」, じゃなかった, 「鎮座」とは, これは日本語, 意味は「神霊がそこに鎮まり居ること」。

でも古代ギリシャの哲学者のひとり, プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年: ソクラテスの弟子, アリストテレスの師)の哲学においては, 「エロス」は真善美への憧れからくる純化された衝動, 精神的な愛を意味するものになるんだよなぁ。

と書きつつもそれ以上突っ込まず(笑), ここは愛と美と性を司る女神アプロディーテーの子であり恋愛と性愛の神であるとされるエロースが鎮座するありがたい国ギリシャで, フランス語タイトルの意味は「官能の帝国」, 邦題「愛のコリーダ」を観た, という勿体ぶったオハナシ。副題「ギリシャ話」。

でも「官能の帝国」「愛のコリーダ」完全ノーカット版を観たのはそのギリシャの首都アテネの映画館でのことで, そのアテネの古(いにしえ)の時代, 古代ギリシャのアテナイの守護神はやはりギリシャ神話のアテーナーで, その「知恵と芸術と工芸と戦略を司る女神」アテーナーは処女神 ... ま, いっか(笑)。

さてさて,

1983年から翌84年にかけての「貧乏旅行」バックパッカーの旅, その旅先の街の映画館で何回か映画を観た。シリアでなぜかカンフー映画を観ていて(たぶん知り合ったシリア人, おおシリアったシリア人, おやじギャグ的な駄洒落かよ, それはともかく知り合ったシリア人の誘いだったと思う, 当時の旅日記を捲らないと確かめられないけれど), インドではあの国ではおそらく珍しい方の犯罪モノ系のアクション映画を観た。ヨーロッパでは 2本。フランスとギリシャにて, それが日本映画。と言っても前者は日本, イギリス, オーストラリア, ニュージーランド合作映画で, 後者は日本とフランスの合作映画, 監督は共に大島渚。大島映画の大ファンということではないのだけれど, たまたまたそういうことになった。

フランス・パリで観た, 封切り間もない時期の大島渚監督作品「戦場のメリークリスマス」(英語タイトルは "Merry Christmas, Mr. Lawrence" だが, ヨーロッパでの公開の際のタイトルは "Furyo" だった, 当時パリの映画館で大人気, 満員御礼)

ギリシャ・アテネで観たのは, やはり大島渚監督作品(ただしこちらは 1976年の映画だから封切りから7年経過していた)「愛のコリーダ」, 英語タイトルは "In the Realm of the Senses", フランス語のタイトルは "L'Empire des sens", たぶんアテネでは後者, 日本・フランス合作映画のフランス語タイトルの方が使われていたんじゃないかと思う。

この古くさいポスター写真みたいなものは, 筆者が当時, アテネの映画館で撮ったものではなくて, ネット上から最近とったもの。

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邦題にある「コリーダ」はスペイン語の闘牛 "Corrida de toros" が由来, ということらしい。スペイン語は全く詳しくないけれど, ググって調べると, "corrida" は「走る」を意味する動詞 "correr" の派生語で, "correr" の過去分詞の女性形が名詞化したもの, その主な意味は「闘牛」だと。「闘牛」を正式に言うときは "Corrida de toros", 意味合いは「牛が走り回る」だとか。想像するに「愛のコリーダ」という邦題は, この映画が取り上げている話が 1936年(昭和11年)のいわゆる「阿部定事件」を題材にした物語であるということ, そしてその中の(実際に起きた)出来事が, 何と表現すべきか, 一般には「凄惨な」, 「陰惨な」, 「猟奇的な」といった形容が為されるようなものであるということを踏まえたものなのだろう。

フランス語のタイトル "L'Empire des sens" は日本語にすれば「官能の帝国」といった意味合いになるようで, これはフランスの哲学者ロラン・バルトが日本文化について著した "L'Empire des signes" からとったものということで(邦題は「表徴の帝国」, タイトルは知っていても読んでない!), これはおそらくフランス側の案によるものなのだろうと思う。いや待てよ, 分からない, 日本でも有名な知識人の著作だから, 日本側でも思いつく類かもしれない。英語タイトルの "In the Realm of the Senses" はフランス語タイトル "L'Empire des sens" とほぼ同じ意味といっていいと思う。"Sense" は「感覚」の類の意味で使われることが一番多いのだろうけれど, "Senses" と複数形にすると「官能」「快楽の感覚」といった意味で使うことができる。

主演は藤竜也と松田暎子。観たのは, 流石に日まで記憶しているのではないけれど, 当時の旅日記によると, 1983年7月22日。1976年公開の日本・フランス合作映画だから, リヴァイヴァル上映的なものだったことになるけれど, ギリシャでは初公開となるものだったのか, ギリシャにおいて文字通りリヴァイヴァル上映だったのか, その辺は分からない。いずれにしても, 当時の日本とは全く違い, しかしまぁおそらくあちらでは当然ながら, 完全ノーカット版だった。

たぶん, アテネに滞在して 10日もするうちに, たまたまその時にアテネの街の映画館であの「愛のコリーダ」を上映していることを知り, 「本国」日本では映倫がズタズタにしてしまったあの映画をここではノーカット版で観れるという貴重な機会, 折角だから観ておこうというのが一番の動機だったんだと思う。字幕は当然, ギリシャ語だったんだろうなぁ, でもまぁ全編が日本語なんだから, こちらは字幕が何語でも構わなかったんだけど(笑)。

今でもよく記憶していることは, 観客は地元のギリシャ人カップルたちが多かったということ, そして彼らの少なからぬ部分は最後まで観ないで映画館を退場していったということ。映画の中身としては, 自分の記憶の中で思い出す限りではとにかく延々と万国共通のあの行為のシーンが続くというもの, だからまぁ少なくないカップルたちがいろんな理由, いろんな動機で途中退席したのは, 要するに「分からないわけでもない」。うんざりして観続けることを「我慢できなくなった」人たちもいただろうし, カップルで観ていて盛り上がって(燃え上がって?萌え上がって?)「我慢できなくなって」デートの場所を変えた人たちもいたのかもしれない。人生いろいろ, カップルいろいろ。

冒頭に書いた通りで, 「エロス」ってカタカナ言葉で表記する外来語が日本語の中にあるけれど, エロスは発音が日本語化していて, 元は「エロース」。これはギリシャ神話(ギリシア神話)における恋愛, 恋心, 性愛などを司る神だということで。ウィキペディア丸写しすると "ギリシア語で性的な愛や情熱を意味する動詞「ἔραμαι」が普通名詞形に変化、神格化された概念" だそうで。 https://ja.wikipedia.org/wiki/エロース

映画「愛のコリーダ」に話を戻すと, あの映画, 当時の旅日記を捲ると「愛のコリーダ」を観た事実, それしか書いてない。絶賛も酷評もしてなくて, ただ, それだけ。何故でしょう, 旅の疲れと暑さと両方かな。

なんたって, あの辺りの数日間は旅日記の殴り書きメモ度合いがすごい。完全にただの「メモ」になってしまっている。

と書いておいて, ここでも批評らしい批評は書かない(なぜって, あれ以来「愛のコリーダ」を観てないし, 今から38年前のあの時の印象に関わっては, 映画の中の延々と続くあのシーンと上映途中で映画館から退場していくギリシャ人カップルたちの姿しか思い出せないのだ)。

映画「愛のコリーダ」のタイトルを頂戴した 〜 Ai No Corrida (Chaz Jankel, Quincy Jones, & Uniting Nations) ♫

この曲はクインシー・ジョーンズ(1933年3月14日生まれ, 米寿過ぎて尚お元気!)による 1981年のカヴァーが有名だけど, オリジナルは前年1980年のチャズ・ジャンケル(この人は1952年4月16日生まれ, アメリカ人のクインシーよりだいぶ若いイギリス人)によるもの。タイトルは勿論, 1976年公開, 大島渚監督による日本・フランス合作映画「愛のコリーダ」からとっている。

"Ai No Corrida" by Chaz Jankel (single version) (1980)

"Ai No Corrida" by Chaz Jankel (album version) (1980)

"Ai No Corrida" by by Quincy Jones (1981)

音は同じだけど ♫

"Ai No Corrida" by Uniting Nations (British dance music act) (2005)

さてさて ♫

旅の疲れと暑さと両方かな。なんたって 〜 当時の旅日記・抜粋

前々章の最後から3番目と2番目の二文。

何故でしょう, 旅の疲れと暑さと両方かな。
なんたって, あの辺りの数日間は旅日記の殴り書きメモ度合いがすごい。完全にただの「メモ」になってしまっている。

あの頃の旅日記, 例 1/4

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そう, 宿を変えたんだね, 1983年7月20日。Hostel 2001 という名のスタンリー・キューブリックの映画 "2001: A Space Odyssey" 邦題「2001年宇宙の旅」みたいな名前のホステル, 簡易宿泊所(まぁ Odyssey は古代ギリシャの長編叙事詩 Odysseia, オデュッセイアだし, 笑)。

前の宿もそうだったけれど, この Hostel 2001 もけっこう大勢の旅人が同室になる, 7-8人同部屋, 男女相部屋のドミトリー。それと, 同室にいたシリア人はシリア第2の都市アレッポの出身で, 非常にフレンドリーな人だった(その後, ギリシャの後のトルコを経て旅したシリアでは彼の家を訪ねたりもした)。

あの頃の旅日記, 例 2/4

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前々章の最後から3段落目に, "映画「愛のコリーダ」に話を戻すと, あの映画, 当時の旅日記を捲ると「愛のコリーダ」を観た事実, それしか書いてない。絶賛も酷評もしてなくて, ただ, それだけ。何故でしょう, 旅の疲れと暑さと両方かな" と書いていた通りで, まさしく "映画「愛のコリーダ」" としか書いてない(笑)。

しかしこの時期の旅日記を超絶久しぶりに見返してやや驚きだったのは, あの頃, アテネで自炊してたらしいってこと。いや, 「らしい」じゃなくて, 書いてあるんだから, まぁ自炊してたに違いない。暑いのによく頑張った(笑)。

あの頃の旅日記, 例 3/4

ほんの数日の「メモばかり」期間を過ぎ, また少しずつ書くようになってきた。

同室に(単純に言うと)「嫌な日本人」がいた。彼は他の頁にも登場してるんだけど, 開発途上諸国も含め(当時は「開発途上国」よりも「発展途上国」の方が一般的な呼称だったな)世界を旅しながら, 世界をその眼で見つつも, 思い切り差別主義者の男。旅してるうちに堕ちたのか, 最初から根深いその意識を持っていて, 世界を直に眺めながらますます偏見を増していったのか, どっちだったのかは不明。要するに, 世界を自分の眼で見れば即「世界が分かる」なんてことは有り得なく, そんなことを言う人がいたら, それは間違い。機会があれば直に見た方がいいとは思うけれど, 見なくても(ある意味 見なければ尚のこと)偏見を持たずに世の中を理解しようとする人は幾らもいる。

さて, その「貧乏旅行」バックパッカー用の安宿の部屋は男女相部屋で, 同室の女性に, アテネにもう6年も住んでいるというイギリス人がいた。よく記憶しているのは(流石にこれは憶えてる), 全部服を脱いでしまってスッポンポンになって寝る日が時々あったということ。まぁシーツに包まれて寝るんだけど, 周囲の「何処の馬の骨か知れない」旅人の野郎どもの眼なんか, いやたいてい自己紹介以上の話はするから最低でも何処から来たのかぐらいは分かってるのだが, とにかく周りの眼は気にしてなかった。まぁ実際, 周りもさして気にしてなかったと思うが。と言いつつも, しかし「さして」は「さして」なのだ, 自分の旅日記には「うれしいことに」と正直に書いてある。まぁ当時, 22歳と10ヶ月の若者だからね。そのくらいの「気分」になることぐらいはいいでしょう(笑)。彼女のことはよく記憶しているけれど, 結構もの静かで, かつ感じいい人だったと思う。歳は当時の俺よりちょっとは上だったろうな。ってか今だって「ちょっとは上」ってことになるけれど(笑)。当時たぶん20代後半ってとこだったと思う。

それと, この頁の後半で出てくる日本人も, 同じ宿にいた旅人。

今日は 2021年7月27日だから, 38年前の昨日, アテネのリカヴィトスの丘でフィンランド人女性と談笑してるんだな。だからどうした, ではあるけれど ♫ 

So What 〜 Miles Davis

フィンランドも行ったけれど, ヘルシンキに1泊しただけだったので, ちと寂しい。

あ, 話がギリシャからフィンランドに飛んだ, とわざとらしく呟いてから, その話をギリシャ・アテネ旅日記に戻す。冒頭は宿にいたレイシスト野郎の話。

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あの頃の旅日記, 例 4/4

旅日記, 例 3/4 の写真, 最後の一文にある「タベルナ」は「食べるな」という聞こえ方が日本人には面白いが, これはギリシャ語で(ギリシャ料理を提供する)レストランのこと。

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「クレタに行ってたシリア人学生」というのは, 旅日記の例 1/4 のところで「同室にいたシリア人はシリア第2の都市アレッポの出身で, 非常にフレンドリーな人だった(その後, ギリシャの後のトルコを経て旅したシリアでは彼の家を訪ねたりもした)」と書いた, そのシリア人。

1983年7月27日の冒頭は「朝早く起きて 荷物まとめる」となっているけれど, この日の夜7時半, アテネ首都圏に含まれる港湾都市ピレウスの港からの 1泊2日のフェリーの船旅でエーゲ海の島, サントリーニ島(ティーラ島)に向かったのだった。

地中海の舞踏 〜 Mediterranean Sundance (Al Di Meola & Paco de Lucía) ♫

1983年7月27日の冒頭は「朝早く起きて 荷物まとめる」となっているけれど, この日の夜7時半, アテネ首都圏に含まれる港湾都市ピレウスの港からの 1泊2日のフェリーの船旅でエーゲ海の島, サントリーニ島(ティーラ島)に向かったのだった。

そうだ, 38年前の今日の夜7時半, ピレウス港をフェリーで発って, エーゲ海の島, 地中海 の島, サントリーニ島(ティーラ島)に向かったのだ ♫

地中海の太陽の踊り, 地中海の舞踏, Mediterranean Sundance 〜 Al Di Meola (born July 22, 1954) and Paco de Lucía (December 21, 1947 – February 25, 2014), from Al Di Meola's second album "Elegant Gypsy" released in April 1977

Mediterranean Sundance 〜 Paco de Lucía & Al Di Meola LIVE


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