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小説

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#文学

『きのうの神さま』 西川美和

『きのうの神さま』 西川美和

医者というキーワードで書かれた5編から成る、傑作揃いの短編集だ。

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「1983年のほたる」の主人公は、田舎の小さな村に住む小学6年の少女。
彼女は自ら希望して、村からバスに乗って市内の塾に通っている。

塾の帰りのバスは、いつも同じ運転手が担当している。お互いの存在は認識し合っていると感じつつも、顔見知りというような親しい間柄ではない。
そんな運転手がある日の帰りの車内で、少女に話し

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『ビル・ビリリは歌う』 黒井千次

『ビル・ビリリは歌う』 黒井千次

「内向の世代」を代表する作家であり、サラリーマン小説界の重鎮(そんな界があるならば)、黒井千次の自選短編集『石の話』から、昭和36年発表、著者が20代で書いた『ビル・ビリリは歌う』を紹介したいと思う。

どこかおとぎ話のような語り出しで始まる物語。

13階までのフロアーがあり、何万という人々が日々働いているこのビルで、ある日異変が起こる。かすかに、どこからか赤ん坊の鳴き声が聞こえはじめるのだ。

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『生きものたち』 吉田知子

『生きものたち』 吉田知子

6の掌編から成る短い作品『生きものたち』から、「鳥」という一編を紹介したい。

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サラリーマンの岡と妻の末子は結婚して15年。子供はなく、岡の会社から程近いアパートに2人で暮らしていた。
末子は異常がつくほど繊細な性格で、度を超えた人嫌い。デパートもレストランも映画館も嫌いで、唯一の楽しみは、部屋の隅っこで小さくなって刺繍や編みものをすることだ。

ある日、岡が帰宅すると末子の気配がな

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『息』 小池水音

『息』 小池水音

静謐な悲しみがひたひたと満ちた、美しい小説だ。

「わたし」は、十年の間、列車の夢を繰り返し見続けている。
列車の中で、「わたし」は弟の春彦の姿を見つけたり、または隣に春彦が座っていたりするのだが、春彦の存在はとても儚く、その姿はすぐにかき消えてしまう。。。

春彦は、十年前に、自ら命を絶った。
「わたし」も、父も母も、その喪失を消化し、表面上はつつがなく日々を送っている姿をお互いに見せている。

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『菓子祭』 吉行淳之介

『菓子祭』 吉行淳之介

夏の休日。
冷房の効いた快適な部屋で、たまには吉行淳之介でも、と短編集を手に取った。

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「煙突男」

『ヒトラー』というドキュメント映画を観に行く、麻田という男。
彼はヒトラー及びナチスに関心を持っているようだが、その関心は奇妙にねじれて、過去の日本で起きた二つの殺人事件の方により強い興味があるようにうかがわれる。

一つは阿部定事件、もう一つは、とある青酸カリ殺人事件だ。
二つの事

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『タタド』 小池昌代

『タタド』 小池昌代

小学生の夏、10代の夏、20代の夏、50代の夏。同じ夏でも、それぞれに違う。
今回紹介する作品は、人生の疲れが少しだけ出始めた大人の皆さんの、夏の読書にお勧めしたい一作だ。

舞台は、海辺の家。
その家の主である夫婦とその友人の、計4人の50代の男女が集まって一晩を過ごす。
地方テレビのプロデューサーであるイワモトとその妻スズコ。イワモトの番組に出ている女優タマヨと、スズコの元同僚オカダ。
タマヨ

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『フラワー・ガーデンの一日』 高橋たか子

『フラワー・ガーデンの一日』 高橋たか子

こんな、まったく共感できない独白から始まる。
このかなりの曲者らしき「私」はある真夏の日に、フラワー・ガーデンに行ってみようと思いつくのだが、その理由が、「花もない花木の、おびただしい株が、日照り続きの焦げつくような空気のなかで、正気を失い、熱い息を吐き、だらりと葉を垂らし」ているのを見たいからというのだから、やはりとんでもない曲者である。

そんなに息巻いて出かけたにも関わらず、駅前にあると思っ

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『この人の閾』 保坂和志

『この人の閾』 保坂和志

久しぶりにこんな本が読みたいと思っていた。
力が抜けて気持ちがゆるくなる。
可もなく不可もない日曜日の午後のような小説だ。

お父さんはソファー寝そべってゴルフか競馬かNHKの紀行番組を見ている。中学生の娘は友達との約束もなく部屋にいる。一日中家にいるのもなんだから一緒に買い物に行かないかとお母さんが誘い、娘はどうしようかなと言っている。
そんな何でもない穏やかな時間。
ただそこに実は、誰も気がつ

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『雌犬』 ピラール・キンタナ

『雌犬』 ピラール・キンタナ

怖い小説だ。
コロンビアのワイルドな雨風と、闇深い女性の心が、怖い。

主人公ダマリスは、海辺の断崖の上に住んでいる、もうすぐ40歳になる女性。
村に出るには、急な階段を降りて入江を渡らなければならず、住んでいる小屋も古く不便な生活だ。
ダマリスと夫には子供がなく、不妊は夫婦仲も冷え切らせている。

淡々と感情を抑えた語りが、彼女の半生を語り、波乱に満ちた少女時代から、夫婦で崖の上の管理人小屋に住

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『屋根屋』 村田喜代子

『屋根屋』 村田喜代子

子供の頃、夢中で読んだ本がある。『夢のつづきのそのまたつづきーリッペルのぼうけん』という本だ。
リッペルという少年が、一続きの夢を毎晩見続け、その夢の中で仲間と出会い冒険をして、同時に現実の少年としても成長していくという物語である。

村田喜代子の『屋根屋』を読みながら、懐かしいこの本を思い出した。
『屋根屋』の舞台は2010年前後の北九州。主人公は40代後半の平凡な主婦。
ドイツの少年のお話がど

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『独り舞』 李琴峰

『独り舞』 李琴峰

最初から最後まで、主人公の心がすぐそこに手で触れられそうに近くに感じられた。
ひたむきな主人公を全力で応援したくなる。冷淡な運命に打ちひしがれ、背中を丸める彼女に、大丈夫と励ましたい、上を向けば光があると伝えたい、声が届かないことがもどかしい。そんな気持ちで読み進めた。

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台湾の田舎町で生まれた迎梅(インメー)は、子供の頃に、自分の恋の対象が同性であることに気づく。自分が人と違うこと

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『情事の終り』 グレアム・グリーン

『情事の終り』 グレアム・グリーン

第二次大戦直後の、まだ戦争の傷跡も生々しいロンドン。
「わたし」ことモーリスは、雨の降る街角で見知った男を見かけ、声を掛ける。
男は近所に住む高級官吏ヘンリ。実はモーリスは2年前まで、彼の妻サラァと不倫関係にあった。

久しぶりに会うヘンリは何やら悩んでいる様子。聞くと、サラァがどうやら外に男を作っているようだという。
サラァとの情事はもう終わったものとしていたモーリスだが、その話を聞くと俄然嫉妬

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『そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所』 松浦寿輝

『そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所』 松浦寿輝

インパクト大な題名とおしゃれ怖い装丁のこの一冊。
12の短編を3作品ごとにまとめた4部構成になっているが、その各部には例えば次のようなタイトルがついている。

・黄昏の疲れた光の中では凶事が起こる…
・冷たい深夜の孤独は茴香の馥りがする…

これらを読んで惹かれるものを感じる方ならば、本書を読んできっと満足できるはずだ。
期待通りの不気味、暗澹を心ゆくまで堪能できること請け合いである。
(同時に、

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『ホットミルク』 デボラ・レヴィ

『ホットミルク』 デボラ・レヴィ

塩気を含んだ暑く気だるい空気。
永遠に続くような午後の日差し。
子供が叫んだスペイン語が、風に乗って響く。
作品に満ちているそんな情緒にそぐわず、内容はシビアだ。

25歳のソフィーは、原因不明の脚の不調を抱える母に付き添い、病院のある南スペインに滞在している。
そこでソフィーは母を連れて病院に通い、空いた時間には海で泳ぎ、知り合ったドイツ人女性と恋に落ちる。

舞台は灼熱のビーチサイドなのだが、

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