おいちゃん

主婦で、ばあばで、歴女で、空想家で、ロックもクラッシックも好きで、漫画も映画も歌舞伎も…

おいちゃん

主婦で、ばあばで、歴女で、空想家で、ロックもクラッシックも好きで、漫画も映画も歌舞伎も好きで、趣味にはまり現実逃避しながら百姓、家事しています。

記事一覧

新城歌舞伎「戦国天正合戦絵巻」長篠・設楽原の戦い 第一幕 援軍要請の場

令和6年11月17日(日)新城文化会館で行われる歌舞伎の外題です。 ①いよいよお稽古が始まりました。 この外題は長篠設楽原の戦いで活躍した、地元下級武士「鳥居強…

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高校生の時の・・・

懐かしいアルバムを見ていたら、30年以上前に高校生の頃の思い出を新聞に投稿した時の記事が貼ってあったので、ここにに記録しようと思いました。 くらしの作文 タイトル…

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今出平(こんでびら)砦について

愛知県新城市に今出平(こんでびら)と呼ばれるところがあります。 今出平は平安初期(793年)に健児府がおかれた所であると村史に書いてあります。健児府というのは今…

おいちゃん
4週間前
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心が痛い 飯田線の思い出

私は、小学校一年生から五年生まで飯田線で通う電車通学生だった。 下伊那郡泰阜村にある門島駅から飯田市川路小学校のある川路駅まで毎日通っていた。 そりゃ、五年間も…

おいちゃん
2か月前
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鉄砲隊初めての演武

「嫌だ! 怖い! 家に帰りたい!」 4月29日、設楽原歴史資料館オープン記念日、初めての演武で、甲冑を身に着け鉄砲に火薬を詰めながら私は心の中で叫んでいた。 「何が…

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3か月前
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鳳来湖(宇連ダム)の湖底の話

愛知県新城市にある「鳳来湖」 この湖は人工的に造られた湖です。 昭和33年に豊川用水の水源として宇連ダムが建設され、その時に湖ができたのです。 ダム貯水量2,842万立方…

おいちゃん
3か月前
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「塩瀬(大伴)久勝」が15歳の頃 詠んだ詩

道目記の 岩うつ瀧はいや高に 神をいさむる 古鼓おと 新城市にある千郷中学校の西に流れる野田川には 鼓が滝と言われる滝があります。この滝の東側、千郷中学校の敷地…

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3か月前
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織田信長の側室「生駒 吉乃」の菩提寺

生駒 吉乃(1528年)~(1566年5月31日)は、織田信長の側室で、信忠・信雄・徳姫の母とされる(諸説あり)。法名は久菴桂昌大禅定尼。名は『前野家文書』では吉乃(吉野)…

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3か月前
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源頼朝の母「由良姫」の詠んだ歌

百々目記の 稲荷の山の  ほど近く   つつみが滝の  水のうつ音 これは、由良姫が13歳の時に詠んだ歌と伝えられている 新城市西部地区に野田川という川がある。(…

おいちゃん
4か月前
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弾を込める時・・・

「立射一斉、弾込め!」 この合図で私は銃に火薬を詰め火縄を装着し馬防柵に張り付く。 決戦場祭りでの演武。気の引き締まる瞬間だ。 火蓋を切り息を止め「放て!」で引き…

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4か月前
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歌舞伎シナリオ           戦国天正合戦絵巻 長篠・設楽原の戦い  第一幕 援軍要請の場        

2023年の大河ドラマ「どうする家康」長篠の戦で、全国区になった地元下級武士 鳥居強右衛門を主人公にした歌舞伎が10年程前、新城歌舞伎公演でおこなわれました。外…

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4か月前
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「松御前の碑」のお話(新城)

新城市豊島の座頭崖に、かつて「松御前の碑」がありました。 松御前は熱田神宮大宮司の娘で今から千年ほど前藤原氏(北家)の藤原季兼に嫁ぎ新城(稲木)に来た人です。 息…

おいちゃん
5か月前
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「松御前」は源頼朝の曾祖母だった

奈良時代にできた墾田永年私財法以来、寺院や神社、貴族たちは農民らを雇いせっせと原野を耕し土地を増やしていった。この時代(平安中期)最も勢力をふるっていた藤原氏は…

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5か月前
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思い出の母の味

春だ 春だ  毎年、春になると畑の土手や川沿いの道にフキノトウが出る。早く食べてと言わんばかりに花をつけたものや、つぼみのままで地面から半分顔を出しているものも…

おいちゃん
5か月前
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城ヶ峰に頼朝の座像を安置しよう

城ヶ峰探索2 地元の陶芸家加藤夢堂氏(故)作成の源頼朝座像を、曾祖母「松御前」の塚に安置するべく有志が集まりました。 松御前の塚は、新城市豊栄と稲木の境界「小城…

おいちゃん
6か月前
12

   城ヶ峰に登ってみよう

城ヶ峰散策記 1 地元に住んでいても灯台下暗し・・ならず目の前の山知らず。天気が悪くなると見えなくなる山だとか、三角山だとか、好き勝手に呼んでいる山ですが実はこ…

おいちゃん
6か月前
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新城歌舞伎「戦国天正合戦絵巻」長篠・設楽原の戦い 第一幕 援軍要請の場

新城歌舞伎「戦国天正合戦絵巻」長篠・設楽原の戦い 第一幕 援軍要請の場

令和6年11月17日(日)新城文化会館で行われる歌舞伎の外題です。

①いよいよお稽古が始まりました。

この外題は長篠設楽原の戦いで活躍した、地元下級武士「鳥居強右衛門」を主役に創作した歌舞伎で、来年が長篠・設楽原の戦から450年を迎えるにあたり、今年第一幕(援軍要請の場)、来年第二幕(磔の場)という形で披露する計画です。

第一幕は、鳥居強右衛門が、長篠城城主・奥平九八郎定昌からの命を受け、徳

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高校生の時の・・・

高校生の時の・・・

懐かしいアルバムを見ていたら、30年以上前に高校生の頃の思い出を新聞に投稿した時の記事が貼ってあったので、ここにに記録しようと思いました。

くらしの作文 タイトル  ’’桜’’

桜の花を見ると思い出す。
高校二年の春のこと、咲き始めた桜を見ながら、ふと、入院中の数学の先生のことを思い出し、きっと花が咲いたことも知らずに寝ているんだろうなぁ、と思い、友と二人で部活の帰りに校舎の近くの桜を一枝ずつ

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今出平(こんでびら)砦について

今出平(こんでびら)砦について

愛知県新城市に今出平(こんでびら)と呼ばれるところがあります。

今出平は平安初期(793年)に健児府がおかれた所であると村史に書いてあります。健児府というのは今の徴兵所のことで、20歳から60歳の三分の一が徴兵され軍団となっていたようです。
1027年に健児府が廃止された時に、役人でありこの地に居残った鈴川氏一族が永住する目的で林野を開拓して開村の準備をしていた同時期に、東に数キロ離れた徳定とい

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心が痛い 飯田線の思い出

心が痛い 飯田線の思い出

私は、小学校一年生から五年生まで飯田線で通う電車通学生だった。

下伊那郡泰阜村にある門島駅から飯田市川路小学校のある川路駅まで毎日通っていた。
そりゃ、五年間も通っていたわけだから思い出はたくさんあるでしょう。
そう、本当にたくさんある、が、今回急に書き留めておきたくなった思い出があるので、文章にしてみようと思う。

四年生の頃のこと。
当時私は左手の筋を傷め、学校が終わってから家方向とは反対の

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鉄砲隊初めての演武

鉄砲隊初めての演武

「嫌だ! 怖い! 家に帰りたい!」
4月29日、設楽原歴史資料館オープン記念日、初めての演武で、甲冑を身に着け鉄砲に火薬を詰めながら私は心の中で叫んでいた。

「何が怖いの? 教えられた通り、練習通りやればいいじゃない。大丈夫だって!」
そう言い聞かせるのだが手も足も震えだす。
初めて銃を持ち火薬を使って撃ったのは、一か月前の合同練習だった。作務衣姿で12発、不発時の所作も教えてもらい個人練習を重

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鳳来湖(宇連ダム)の湖底の話

鳳来湖(宇連ダム)の湖底の話

愛知県新城市にある「鳳来湖」
この湖は人工的に造られた湖です。
昭和33年に豊川用水の水源として宇連ダムが建設され、その時に湖ができたのです。
ダム貯水量2,842万立方メートルは名古屋ドーム17杯分に相当し、堤防の長さは245.9m、高さ65mだそうです。

ダムにかかる橋から湖を見ると、遠くには「上臈岩(じょうろういわ)」と呼ばれる大きな岩が見えます。大昔のカルデラ噴火のなごりだそうで、金魚に

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「塩瀬(大伴)久勝」が15歳の頃 詠んだ詩

「塩瀬(大伴)久勝」が15歳の頃 詠んだ詩

道目記の 岩うつ瀧はいや高に 神をいさむる 古鼓おと

新城市にある千郷中学校の西に流れる野田川には 鼓が滝と言われる滝があります。この滝の東側、千郷中学校の敷地内には「稲荷神社」があり、平安末期、源頼朝の母「由良姫」がこの滝を詩にしたという記事を前回書きました。

今回のこの詩は 塩瀬久勝という人が詠んだ詩と伝わっています。
塩瀬久勝ってだれ?・・・・・

塩瀬久勝は、塩瀬甚兵衛の息子。
では塩

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織田信長の側室「生駒 吉乃」の菩提寺

織田信長の側室「生駒 吉乃」の菩提寺

生駒 吉乃(1528年)~(1566年5月31日)は、織田信長の側室で、信忠・信雄・徳姫の母とされる(諸説あり)。法名は久菴桂昌大禅定尼。名は『前野家文書』では吉乃(吉野)とされるが実名ではない。当時の女性の例に漏れず信頼の於ける資料が真偽論争のある前野家文書以外に殆ど残されていない。と、『ウィキペディア(Wikipedia)』に書いてある。

私が彼女のことを知ったのは、山岡荘八の小説「織田信長

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源頼朝の母「由良姫」の詠んだ歌

源頼朝の母「由良姫」の詠んだ歌

百々目記の 稲荷の山の  ほど近く   つつみが滝の  水のうつ音

これは、由良姫が13歳の時に詠んだ歌と伝えられている

新城市西部地区に野田川という川がある。(源流は雁峰山、白滝を下り、臼子川と合流し野田を流れ豊川に入る川)
この川の下流に中央構造線の段差でできた滝「鼓が滝」があり(別名:小雨ヶ滝)滝の東側には、千郷中学校、その敷地内に豊玉稲荷が祀られている小山がある。

この稲荷神社、その

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弾を込める時・・・

弾を込める時・・・

「立射一斉、弾込め!」
この合図で私は銃に火薬を詰め火縄を装着し馬防柵に張り付く。
決戦場祭りでの演武。気の引き締まる瞬間だ。
火蓋を切り息を止め「放て!」で引き金を引く。
右頬から伝わる衝撃と目の前に上がる白煙で発砲を確認。
体制を整え次の合図を待つ。

この僅か数十秒の間・・・色々なことを考える。
調子の良い時、即ち銃、火薬、火縄、足場、天気、体調全てが順調の時は演武を意識し所作に気を配る。足

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歌舞伎シナリオ           戦国天正合戦絵巻 長篠・設楽原の戦い  第一幕 援軍要請の場        

歌舞伎シナリオ           戦国天正合戦絵巻 長篠・設楽原の戦い  第一幕 援軍要請の場        

2023年の大河ドラマ「どうする家康」長篠の戦で、全国区になった地元下級武士 鳥居強右衛門を主人公にした歌舞伎が10年程前、新城歌舞伎公演でおこなわれました。外題は「戦国天正合戦絵巻 長篠・設楽原の戦い 第二幕 強右衛門磔の場」です。
岡崎体育さん演じた「援軍は来るぞ~」の場面が歌舞伎になっています。

今回、2024年 新城歌舞伎では その前段階、鳥居強右衛門が 岡崎城に援軍を頼みに行くという場

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「松御前の碑」のお話(新城)

「松御前の碑」のお話(新城)

新城市豊島の座頭崖に、かつて「松御前の碑」がありました。
松御前は熱田神宮大宮司の娘で今から千年ほど前藤原氏(北家)の藤原季兼に嫁ぎ新城(稲木)に来た人です。
息子(季範)が熱田大宮司を継ぎ、松御前は孫(清季)と一緒に新城で暮らしその生涯を終えました。
その松御前の碑が、豊島というところにあったのです。

稲木に残った藤原(千秋)清季は豊川のほとり千歳野に館を移します。現在の海倉橋(頭首工)付近で

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「松御前」は源頼朝の曾祖母だった

「松御前」は源頼朝の曾祖母だった

奈良時代にできた墾田永年私財法以来、寺院や神社、貴族たちは農民らを雇いせっせと原野を耕し土地を増やしていった。この時代(平安中期)最も勢力をふるっていた藤原氏は藤原氏の都合のいいように国司を任命し、その権力を使い、次々に領地を広げていった。(国司とは今でいう県知事)

藤原季兼は国司を多数輩出した一族に生まれ、父実範が死去すると16歳で目代(国司代理)として今の愛知県豊田に土着し。未開拓地を開拓し

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思い出の母の味

思い出の母の味

春だ 春だ

 毎年、春になると畑の土手や川沿いの道にフキノトウが出る。早く食べてと言わんばかりに花をつけたものや、つぼみのままで地面から半分顔を出しているものもある。母は料理が得意。特に山菜を使った料理は格別においしい。フキノトウの場合は細かく刻み、さっと湯を通し、麴みそ、みりん、酢、砂糖、塩で和え、フキ味噌を作って食卓に出してくれる。それをご飯に載せて食べると口いっぱいに春の香りが広がる。母の

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城ヶ峰に頼朝の座像を安置しよう

城ヶ峰に頼朝の座像を安置しよう

城ヶ峰探索2
地元の陶芸家加藤夢堂氏(故)作成の源頼朝座像を、曾祖母「松御前」の塚に安置するべく有志が集まりました。

松御前の塚は、新城市豊栄と稲木の境界「小城ヶ峰」にあります。この塚の発見は2013年。今回、地元の陶芸家の方の遺作「頼朝座像」をこの塚に鎮座させたらどうかという話があり、有志で安置することになりました。
土地所有者さんの許可もいただき、いざ出発です。

前回、この塚を見つけたとき

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   城ヶ峰に登ってみよう

   城ヶ峰に登ってみよう

城ヶ峰散策記 1

地元に住んでいても灯台下暗し・・ならず目の前の山知らず。天気が悪くなると見えなくなる山だとか、三角山だとか、好き勝手に呼んでいる山ですが実はこの山ちゃんと名前があり、しかも歴史的にかなり興味深い山のようです。
1573年、この山は武田軍の駐屯地として使われたようです。
武田軍は作手の峠から降りてきて大野田城を見下ろせるこの山に駐屯しました。近くの臼子城があったことから「城ヶ峰」

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