織田信長の側室「生駒 吉乃」の菩提寺
生駒 吉乃(1528年)~(1566年5月31日)は、織田信長の側室で、信忠・信雄・徳姫の母とされる(諸説あり)。法名は久菴桂昌大禅定尼。名は『前野家文書』では吉乃(吉野)とされるが実名ではない。当時の女性の例に漏れず信頼の於ける資料が真偽論争のある前野家文書以外に殆ど残されていない。と、『ウィキペディア(Wikipedia)』に書いてある。
私が彼女のことを知ったのは、山岡荘八の小説「織田信長」だったが、名は「お類」だった。ずいぶん昔のことだ。宮下秀樹の漫画では、「吉乃」
印象的なのは、彼女が信長に名を訊かれて、「類」と名乗ると、信長は、
「違う!吉乃だでや!」という。
お類ははにかみ、「吉法師様の者という意味でしょうか?」という場面。
本当の名前は良くわかっていないようだが、私は彼女が何となく好きだ。
令和3年の春、ネットのニュース記事で、このお類の菩提寺が廃寺になることを知り、解体される前に行かなきゃ!!と思い立ち、初めてこの寺に訪れた。もう三年も前のことなのだが・・・・。
スマホの写真を整理していて見つけたこの写真達、ここに記録しておこうと思いアップした。
このお寺、無くなってしまうんだ。残念だな、と思い、ここまで、足を運んだ理由は何だろう?
信長の三人の子供の母親なのに、表舞台にほとんど出なかった人で、病でひっそりと亡くなったという印象・・・。どんな女性だったのだろう?
思わず小説を引っ張り出して読み返してしまった。
お寺は壊された後、跡地は江南市が買い取り公園として整備する、いや、もう公園になっているはず。
どのようになっているのか、またいつか訪れたいと思う。