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心が痛い 飯田線の思い出

私は、小学校一年生から五年生まで飯田線で通う電車通学生だった。

下伊那郡泰阜村にある門島駅から飯田市川路小学校のある川路駅まで毎日通っていた。
そりゃ、五年間も通っていたわけだから思い出はたくさんあるでしょう。
そう、本当にたくさんある、が、今回急に書き留めておきたくなった思い出があるので、文章にしてみようと思う。

四年生の頃のこと。
当時私は左手の筋を傷め、学校が終わってから家方向とは反対の飯田駅に向かって二つ目の駄科駅(だしなえき)にある「ほねつぎ」整骨院に通っていた。電気をかけて膏薬を張り包帯を巻いてもらって帰る。週に二回くらいのペースで、もちろんひとりで。

そこに、同じように男の子が通院していて、何回か通ううちに少し話をするようになった。その男の子は足を傷め、最初は松葉杖だった。

飯田線は単線

ある日、同じタイミングで治療が終わり整骨院を出ることがあった、そしてその子も同じように電車で来ていたことを知る。しかも、帰る方向が私と同じなので一緒に帰ることになった。


その子は、私より一つ学年が上で、降りる駅は「唐笠駅」だという。私が唐笠駅の次の「門島駅」まで行くというと、
「じゃぁ、これからも唐笠までは帰りが一緒だね」
と優しく笑う。

唐笠駅近くの車窓から

唐笠駅の手前で、名前を聞かれた
「名前、なんていうの?」
「みさき」
「みさきちゃんか」
「うん」
わたしはその時、自分の名前ではなく「姉」の名前を名のった。

わたしは 私の 「みつよ」という名前が大嫌いだったのだ。
その男の子に、嫌いな名前で呼ばれるのが嫌だった。
「みさきちゃん、ばいばい」
「ばいばい」

うん!!その子の前では永久的に私は「みさきちゃん」なのだ!!。
よかった!そう思った。

だが、悲劇は次のほねつぎ整骨院で起こった。

白い長椅子の上でその子と並んで仲良く話をしながら、包帯を巻いてもらっていた私に、受付の看護師さん?がカルテをもって話しかけてきたのだ。

「みつよちゃん 今日で診察おしまいだからね」
その子が こっちをみる
「え?・・・みさきちゃん じゃないの?」
わたしは慌てて こうこたえる

「あ、あのさぁ、わたし 時々自分の名前まちがえるんだ」

その後沈黙・・静かに時が流れ、その子は、先に包帯を巻き終え、何も言わず帰ってしまった。

それ以降、その男の子に逢うこともなく、電車通学を終えるまで毎日、唐笠駅を通過するたびに、私は自分のしでかした過ちに チクチクと心を痛めていた。
嫌われたかなぁ…
いや、それ以前の問題だわ…
お父さんお母さん、なんで私に「みさき」という名前をつけてくれなかったの?という逆恨みをこめながら・・・。

※みさき、みつよは仮名です。

門島駅 車窓から

50年以上も前の痛い思い出話です。