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幻想の「私」の特性とは?大和田菜穂「すでに愛の中にある」

幻想の「私」の特性とは?大和田菜穂「すでに愛の中にある」

①常に居心地が悪く、何かを失ったという感覚を抱えている
②探求イコール「私」
③実は継続的ではない
④時間の中にしか存在しない
⑤自由意志と選択というものが存在すると思っている
⑥一つひとつの経験、決断、選択がとても重要
⑦自分が確実に存在すると信じている
⑧希望、目的が必要
⑨すべてを所有する
⑩主体と客体の世界に生きている
⑪すべてを個人的にとらえる
⑫収縮した感覚がある
⑬愛を常に探している
⑭夢の中のストーリーの主人公
⑮知りたがる
⑯いつも何かになろうとしている
⑰「私」は絶望的

本書より

幻想の「私」っていうのは、二元に普通に生きているアナタのことを言う。

何で幻想なの?

ノンデュアリティ(非二元)がナチュラルな現実だからだ。

③実は継続的ではない

これは、寝ることを考えると、わかるでしょ?

たしかに、寝てるときは、「私」はいないよなぁ・・・。

⑤自由意志と選択というものが存在すると思っている

リベットの実験で、意志が生まれる0.3秒前に、脳に「準備電位」が発生するということがわかっている。

つまり、意志が生まれる前に、脳が先に動いてしまっているということだね。

だから、自由意志は存在しないことが、科学的にも証明されているんだ。(注:もっともリベットは、「自由否定」は否定しない。)

なるほど。

仏教では、「因縁生起」(いんねんしょうき)という考え方がある。因は直接的原因で、縁は間接的原因だ。たとえば、種が芽吹くとき、種が因で、土や水や日光や肥料などが縁にあたる。そして、この因と縁は、生まれる前から存在しているんだ。

じゃあ、オレらは、自分で決めたと思っていても、実は、因と縁ですでにそうなることは決まっていた、ということになるね。

だから、自由意志も選択も、ないんだ。すべてが完璧に起こっているんだ。それに委ねるのが、ノンデュアリティなんだ。

⑧希望、目的が必要

幻想の「私」は居心地が悪いから、常に希望・目的がないと生きていけない。

ノンデュアリティでは、希望も目的もないの?なんかやだなぁ。

でも、希望や目的が「体感の次元」で生まれることはある。体感には、六根というものがある。五感+意だ。「意」が付いてるから、希望や目的が湧き上がってくることはある。でも、それは、「思考の次元」とは違うものだ。

⑪すべてを個人的にとらえる

すべて、「私」に向かって起きていることだととらえてしまう。

たとえば?

日光を浴びたら、自分に向かって日光が降り注いでいると感じるでしょ。

そういうことか。

⑫収縮した感覚がある

有身見という誤解・煩悩がある。この身体が私だと思うことだ。皮膚を境目にして、自分があると感じ、その中に自分がいるという感覚を持つ。

身体の中に自分がいるという感覚が、収縮しているということなんだね。

そうだね。

⑰「私」は絶望的

分離が苦しみを生む。だから、「私」は絶望的なんだ。

なんか抽象的だなぁ・・・。

たとえば、人間関係。自分と他人が分離しているから、いつも人間関係に苦しむことになるでしょ?

ノンデュアリティではどうなるわけ?

他人はいないし、自分もいない。たとえば、「そこに座っている人」も居ない。あらゆる存在には境目がないんだ。普通に聞くとクレージーだ。でもそれがナチュラルな現実なんだ。

必要なところだけ注釈を付けた。

あとは、一番上の引用したところを読めば、わかると思うよ。

一つ疑問があるんだけど、なんで、ポリドルフィンさんは、ノンデュアリティのことを、人に話したがるの?

それは、「全体」ないし「命」ないし「存在」ないし・・・、なんと読んでも構わないが、それが希望していることだからだよ。ノンデュアリティのことを話すことは、大きな喜びなんだ。

でも、話していて相手が不快に感じることもあるでしょう。

というか、相手なんていないんだよ。ただ、「語っている」「喜びを感じている」というのがあるだけで、自分もいないんだよ。

クレージーだね。

クレージーに見えるよね。でもこれがナチュラルな現実なんだ。

⇧上のリンクを使わないと、面倒な検索をすることに。活用してみては?大和田菜穂さんは、日本人初のノンデュアリティ・スピーカー。世界中で活躍している。「すでに愛の中にある」は、ミンナ、すでにノンデュアリティに触れているんだけど、気づいていないんだよ、というメッセージ。紙の本にもアクセス可能。古書が安い。

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