幻想の「私」の特性とは?大和田菜穂「すでに愛の中にある」
幻想の「私」の特性とは?大和田菜穂「すでに愛の中にある」
幻想の「私」っていうのは、二元に普通に生きているアナタのことを言う。
何で幻想なの?
ノンデュアリティ(非二元)がナチュラルな現実だからだ。
③実は継続的ではない
これは、寝ることを考えると、わかるでしょ?
たしかに、寝てるときは、「私」はいないよなぁ・・・。
⑤自由意志と選択というものが存在すると思っている
リベットの実験で、意志が生まれる0.3秒前に、脳に「準備電位」が発生するということがわかっている。
つまり、意志が生まれる前に、脳が先に動いてしまっているということだね。
だから、自由意志は存在しないことが、科学的にも証明されているんだ。(注:もっともリベットは、「自由否定」は否定しない。)
なるほど。
仏教では、「因縁生起」(いんねんしょうき)という考え方がある。因は直接的原因で、縁は間接的原因だ。たとえば、種が芽吹くとき、種が因で、土や水や日光や肥料などが縁にあたる。そして、この因と縁は、生まれる前から存在しているんだ。
じゃあ、オレらは、自分で決めたと思っていても、実は、因と縁ですでにそうなることは決まっていた、ということになるね。
だから、自由意志も選択も、ないんだ。すべてが完璧に起こっているんだ。それに委ねるのが、ノンデュアリティなんだ。
⑧希望、目的が必要
幻想の「私」は居心地が悪いから、常に希望・目的がないと生きていけない。
ノンデュアリティでは、希望も目的もないの?なんかやだなぁ。
でも、希望や目的が「体感の次元」で生まれることはある。体感には、六根というものがある。五感+意だ。「意」が付いてるから、希望や目的が湧き上がってくることはある。でも、それは、「思考の次元」とは違うものだ。
⑪すべてを個人的にとらえる
すべて、「私」に向かって起きていることだととらえてしまう。
たとえば?
日光を浴びたら、自分に向かって日光が降り注いでいると感じるでしょ。
そういうことか。
⑫収縮した感覚がある
有身見という誤解・煩悩がある。この身体が私だと思うことだ。皮膚を境目にして、自分があると感じ、その中に自分がいるという感覚を持つ。
身体の中に自分がいるという感覚が、収縮しているということなんだね。
そうだね。
⑰「私」は絶望的
分離が苦しみを生む。だから、「私」は絶望的なんだ。
なんか抽象的だなぁ・・・。
たとえば、人間関係。自分と他人が分離しているから、いつも人間関係に苦しむことになるでしょ?
ノンデュアリティではどうなるわけ?
他人はいないし、自分もいない。たとえば、「そこに座っている人」も居ない。あらゆる存在には境目がないんだ。普通に聞くとクレージーだ。でもそれがナチュラルな現実なんだ。
必要なところだけ注釈を付けた。
あとは、一番上の引用したところを読めば、わかると思うよ。
一つ疑問があるんだけど、なんで、ポリドルフィンさんは、ノンデュアリティのことを、人に話したがるの?
それは、「全体」ないし「命」ないし「存在」ないし・・・、なんと読んでも構わないが、それが希望していることだからだよ。ノンデュアリティのことを話すことは、大きな喜びなんだ。
でも、話していて相手が不快に感じることもあるでしょう。
というか、相手なんていないんだよ。ただ、「語っている」「喜びを感じている」というのがあるだけで、自分もいないんだよ。
クレージーだね。
クレージーに見えるよね。でもこれがナチュラルな現実なんだ。
⇧上のリンクを使わないと、面倒な検索をすることに。活用してみては?大和田菜穂さんは、日本人初のノンデュアリティ・スピーカー。世界中で活躍している。「すでに愛の中にある」は、ミンナ、すでにノンデュアリティに触れているんだけど、気づいていないんだよ、というメッセージ。紙の本にもアクセス可能。古書が安い。
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