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「家に帰るまでがフェス」誰が言ったのだろう


 ライブが趣味でフェスにも行くことがある。
 以前、勤務先の先輩に「ああ、夏の野外だよね」と言われて「それも合ってますけど、実は年中どこかしらで行われてるんですよ、例えば」云々をつい熱く語ってしまい、早口のMC、次第に相手が愛想笑いを浮かべ「はいはい、もう分かったから」で遇らわれ、はっと気付いた頃には冷房の真下でひとりきりだった。


 学生時代は毎年グループで参加しても、就職すれば忙しく予定が調整できなかったり、の知らぬ間に友人AとBが不仲になったりで、一定の距離を置き、そのうち誘ってみると『ロックに対する興味が薄れた』との返事に肩を落とす。チケットの一般発売に挑み、数秒で〈予定枚数終了〉に弾き飛ばされたような感覚。


 挙げ句の果てにSNSで見つけた、自分と音楽の好みがそっくりな男と会場で顔を合わせるも、ステージ間の移動中に酔った勢いとやらの執拗な「ねー、今夜泊まらせて」「にゃにゃさんはぼっちなの寂しくない?」に足を取られ、ぷつりと切れる。
 こうして、単独で特に現地集合もせず、自由気ままなスタイルの旅が始まった。


 春先の出演アーティスト、日割り発表(開催は7月の土日)。2日目を選び、申し込んだ抽選に当たり、喜び勇んで支払ったチケット代+手数料が幾らかは、とうに忘れたが新曲の歌詞は一発で覚えられる。マジック。


 さて。肌触りがマシュマロに似ている、ワイヤレスイヤホンで初期のアルバムを聴きながら、きびきびと駅に向かう。
 キャップとサコッシュは念の為に防水加工、フェスの事前通販で手に入れたヴィンテージ風のTシャツ、首にタオル(の中に冷却シート)、接触冷感を謳う、アームカバーと緩いシルエットのパンツ、履き慣れた軽量スニーカー。Tシャツに描かれたロゴをもとにミントグリーンを使って露出も少なめ、比較的シンプルな装い。


 持ち物リストを作り買い物、小旅行のシミュレーション、天気予報と睨めっこしては雨具を揃え、結果的には晴れのち曇り、只今の気温は24℃。
 階段を上り、ちらっとスマートフォンの画面に視線を移し、人影がまばらな日曜の6時過ぎ、改札を通る。
 通勤とは別の路線、電光掲示板に従って、ホームで電車を待つ。この胸の高鳴りを自分しか知らないような朝が好きだ。


 昔はよく会場近辺の宿を取って前日入り〈徒歩で行けた〉ものの、今は4時に起きて朝食、着替え、スキンケア、寝ぼけ眼で化粧をした。
 新しい日焼け止めが色つきで助かる。眉や睫毛以外を明るく仕上げ、メイクキープミストは必須「だけどもしも」、大量の汗によって崩れたら。瞼をキラキラさせておこう、と思った。
 細かく袋に分けた鞄の中身を再三確認したせいで、伸ばしかけの前髪などにストレートアイロンを通す時間はなくーー計画を立てたにも拘らず、私はいつもそう。
 電車に乗り込むと予想通り、座席は空いており、車窓に映ったショートヘアの毛先が跳ねていた。


『おはよ』『にゃにゃ楽しんできてね』『熱中症に気をつけて』
 約30分ガタンゴトンと揺られて微睡んだところ、友人からメッセージが寄せられる。
 間もなく久しぶりの新幹線に乗り換えて、険しい表情のまま黙々と豪華な弁当を食べるお爺さんの隣に座ってもいいか迷い、試しにぺこりと頭を下げてみた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
思いの外ふわっと心地好く、優しげな声が耳に残る。話さなければ分からなかったこと。   
 軽装。最小限の荷物を見て、本当に旅慣れた印象を受け、将来、自分も彼のようになるのだろうかと考えた。


「しーっ! だよ」
 通路を挟んだ横に親子がいる。初めての新幹線(らしい)に目を輝かせてはしゃぐ子供、腹をこしらえてペットボトルの麦茶を飲むお爺さん。私にとってはどちらも幸せそうで、人に限らず出会いの連続が面白く、あっという間にアナウンスが流れた。
 無事に降りると、ちらほらバンドTシャツ、グッズを身に着けたカラフルな者が現れ、これのおかげでどこへ行っても安心できる。


 次は往復シャトルバス(ここは有料。無料のフェスもアリ)。わざわざ乗り場を地図アプリで調べなくて済むくらいには並んでおり、9時到着では遅かった。暇潰しにSNSを開いてフォロワーのつぶやき『やっぱ入場列もえぐい』『会える人〜?』『暑すぎ』『自宅並みの安定感』と写真を眺める。私の前は男女で後ろは女性ふたり、周囲の話もこっそり聞く。
「こんなんじゃ、開演には間に合わんよな」
「去年もっと空いてた気がする」
 さながらテーマパークのアトラクション待ち、一向に進まない。現在の気温は30℃、ぶわっと汗が吹き出て、透かさず月白の飲料水で喉を潤した。水分と塩分を補給。


 しかし目的地の公園に着くまでがあまりにも遠く、バスに入った途端、涼しさに感動を覚える。
「炎天下だし、普通に危険じゃん。ライブハウスで良くね?」
ふと元恋人の冷静な発言と呆れ顔が浮かんだ。かき氷の如くキーンとくる、が、あのステージに立つ、最も好きなバンドが観たかった。

 はじめは手の届く距離にいて、毎週ライブの予定があり、海の町から着実に夢を叶えていく彼らの存在に励まされ、年齢が近いのでこちらも仕事を頑張ろうと思える。
 サコッシュごと窓側に寄り掛かるようにして(盗難対策)シートベルトを締め、ぐっすり眠り、後に備えた。

夏雲の行方


 入場口付近とフォトスポットが混み合う。
 電子チケットをリストバンドに換えて、各所で写真を撮り、今回は利用しないクローク、たまに吹く温い風、無数の喋り声、色柄豊富なレジャーシートで埋まる木陰、太陽のような笑み、体に響く音楽、涼を感じさせる装飾、冷えたビール、フードエリアやアパレルブランドとのコラボに惹かれ、人気が一目瞭然の物販を横切る。

 まずは12時半からサブステージでのライブを楽しんで、昼食にしよう。クールタイプのボディシートで汗を拭き、衣類用のスプレーをかけて、ついでに日焼け止めを塗り直したい。


 ともかく私の夏と言えば、日常を離れて、生の音を浴び、初対面の誰かしらと歌い、叫ぶ。
 数年前に客として訪れ、メンバーが仲良くなったきっかけはまさに野外フェス、売れてもギターボーカルが必ず「はじめまして」と名乗るスリーピースバンドと共に。


 ドリンクブースは現金払いの方が早かった。自分の体温より高い暑さ、熱中症を防ぐためにアルコールは避ける。
 更に、有名店がこんにちは。
 ご当地グルメは勿論、世界各国の料理も。ワンハンドフード、スイーツ、丼もの、カレー、麺類、等々の屋台を前に、心が踊った。キッズエリアは未知の領域。

 ただでさえ忙しなくタイムテーブルを追い掛けるのにどれも魅力的で困る。
 会社で過ごす1日は永遠のようだけれど、忽ち夕空に照らされ、メインステージのトリまで駆け抜け、移動時間を踏まえると新幹線の終電が迫った。


 という訳でアンコールの曲を聴きつつ帰路に、歩を進める。
 短い髪がパサつき、多少は日に焼けてしまった。今更、周りの視線は気にならない。
 がしかし、先を行く艶やかなロングヘアを束ねた細身の、服装はオーバーサイズの褪せたTシャツに丈が長めのハーフワイドパンツ、と真っ黒の人が不意にふらつき、濡れたペットボトルを首筋に当てて、立ち止まったので体調不良を疑い、さっと声を掛ける。
「お姉さん。蓋、開けましょうか」
 振り返るとアンニュイな切れ長の目、ツンとした鼻、薄い唇の美しい顔立ち。
「親切にありがとね。でもごめん、男……」


 改めてよく見ればミニショルダーポーチ、腕時計、そして体のパーツが。
 居た堪れない沈黙を、彼が徐ろに柔らかくふっと微笑んで破った。そこはかとなく暗がりの道に差し込む月光を思わせる。
「紛らわしいよね。大丈夫、慣れてる」
歩き出すと私に速度を合わせ「2日通しでちょっと疲れたんだ」と、言い添えてゲートを潜る。


 ありのままの話、ひとりだと散策のみで異性が近寄ってきた。
 美人の彼も同じくナンパに遭い酒を奢られ、こちらと違う点はあらゆる場面を
「皆、優しかった。小っちゃい子がさ、ご飯食べる時シートに入れてくれたり。俺なんか目立つ? みたいで待ち合わせの目印、あと撮影係頼まれて、協力したら塩飴とかエナジードリンク貰えた」
プラスに捉える。

 昼の興奮と曇りの予報はどこへやら、猛暑を侮るなかれ。
 時が経つにつれ、私は何もかもが煩わしく、無表情を貫いて独特のオーラを放った。
 他に、邪魔されたくなかったから。彼とて健康なら良し、用はない筈が、ぽんぽんと会話が弾み、ふたりでバスに乗る。

宵とシルエット

 
 久留須
さんは同い年・26歳で、私のスマートフォンケースに挟んだステッカーを「かわいい」と頻りに褒めた(加えて、あちらのヘアゴムは例のバンドがさりげなく昨年に販売していた物で、つまりはファン)。
「友達誘って『相手が無理だったらいいや』じゃなく、全国ツアーわりと平気。理由をはっきり言うと、いつ死ぬか分かんないでしょ。但し、ソロキャンプは厳しいかも、まだ」
「うん、俺も大体そんな感じ。ちなみに来月のワンマン行く?」
 互いに共感と質問を繰り返し、自然と距離が縮まる。彼のボタニカルな香りを嗅ぎ、癒され、こんなことが起こるとは、密かな後悔、せめて着替えを持って来れば良かった。


 SNSのアカウントを教え合い「本名ななちゃん?」「ううん。高校の修学旅行だっけ、えーっと。何でか子猫に囲まれる夢見て、寝言がやばかったっぽい」「だから、にゃにゃ。正直で好き」に、くらっとする。
 偶然、店で流れたBGMが忘れられず、未開拓のジャンルにのめり込むかの如く、可能ならばもっと話したくとも、渋滞ナシで駅前に送られた。運転手さんに感謝。


 土産を買う余裕さえありそう、久留須さんは電車移動だと語る。心なしか夜のロータリーはネオンカラーに染まり、さよならの言葉を探してダブルアンコール。
「朝並んでた時に。後ろの人達が、住んでるとこはすっごく離れてて、でも、年に一度あそこで会うって決めてるの。聞こえた」
「わあ、素敵な関係」
解いた髪がみぞおちの辺りに垂れる彼、やや下から顔を躊躇いがちに覗くと「俺は。にゃにゃと、また来月会いたい。迷惑?」尋ねられて花火があがった(脳内で)。


「嬉しい。肩身狭くて、思い出に縋らなきゃ生きてけなかった数年を。更新していこ」
 どう頑張っても抗えない、あんみつみたいな甘いときめきに「じゃあね」と手を振って新幹線の改札方面に走り去る。
 努めて平静を装ったが、長たらしい髪の毛が1本、私のTシャツに落ちており、クラゲの触手が絡まった。


 銘菓をまとめ買いして、ホームでひとり、くたびれた体に沁みるサイダーを飲み干す。
 スーパー銭湯に寄って夜行バスで車中泊といった、かつてのコースは変わり、私が思うに。

 フェスは複数アーティストを自由に観ることができ(自分はこれを機に『ライブハウスにも遊びに行こうかな』と考えるような収穫を得た)、ステージ以外でも様々な楽しみ方がある。
 仮に目当てがひとつなら割高だが、初見客の反応を知り、誰かが音と恋に落ちる瞬間に立ち会い、素晴らしいパフォーマンス(と、爆笑必至のMCだとか、琴線に触れるカッコいいメッセージ)によりファンが増えるのを見たい人にはおすすめ。


『本日はありがとうございました!初出演の〇〇 ROCK FESTIVAL……』
 バンド公式の通知。扉が開くも満席、続いてメンバーの発信、熱気に満ちたフォトギャラリー、悩んだであろうセットリスト、魂が込められたライブレポート、ハッシュタグ検索で感想を読み、再生される記憶、歓声と拍手に包まれ、目頭が熱くなった。


「涙ぐんでる?」
「メイクだよ」
 流石は終電、通路すらぎゅうぎゅう詰めの車内に久留須さんとのやり取りが挟まれるや否や、まさかの本人からダイレクトメッセージが届く。
『こんばんは。お家に帰るまでが心配なので連絡ください』『いや、お父さんか』
ーーずうっと続けば良い、なんて余韻に浸ったままの真夜中に私の最高な旅が幕を閉じる。   

 明日(正確には今日)は仕事、洗濯物の山、筋肉痛、言わずもがなの事後〈特典〉が待ち受けるとしても。


★行く前も行った後も含めてフェス、の物語でした。主人公と一緒にいるような気分になればと思います。


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