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【社会】情報過多な時代を生きる~何が真実で何が嘘か~

始めに

20世紀と21世紀で社会は大きく異なりますが、その一つとして近年、人々が触れることの出来る情報量が飛躍的に増えたということが挙げられると思います。その要因の一つに、スマートフォンを多くの人が手に入れ、SNSを通じて自分の考えなどを外部に発信できるようになったからだと思います。それによって便利になり、情報を受け取るまでのスピードはとても早くなりましたが、その情報量と確実性・信憑性には大いに疑問が湧いています。

戦時において情報は錯綜するもの

ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが連日のように報道されています。子供や女性が街を追われ、美しい街並みは瓦礫の山となっています。それを見る度に心が苦しくなります。一方で全体としての状況が正直掴みとれていないのも事実です。断片的に入ってくる情報は、あくまでも他にもある被害のピースであり、全体像がわからないでいます。

ロシアによる住民虐殺があったのか、またその規模はどうであるのか。恐らくあったのだろうとは思いますが、ロシアがそれらの証拠を隠蔽ているとも言われており、正直その全容はよくわかりません。とにかく非常事態における情報は錯綜するものだということを痛感しています。目撃したことと、全体像というのはそれが一つのパズルとして完成するまでに時間がかかると思います。

非常事態における情報の信憑性

戦争ではなくとも、日本において情報が錯綜した例としては近年だと東日本大震災があったと思います。人々がSNSを本格的に活用し出した時期が2010年くらいであり、今でも被害の情報が画像や動画で数多く記録されています。全体像を掴むのに時間がかかり、対応の遅れにつながったことは事実であると思います。

戦争と言わず、自然災害なども含めた「非常事態」や「緊急事態」において、真実を掴むことは極めて難しくなります。また「真実」と云われるものは様々な情報によって解読されていくものであると考える時、その情報量あ多くなり過ぎると理解するのが難解になると思います。

どんな時情報が錯綜するのか

ではどういった時に情報が錯綜するのかといえば、

1、非常事態である

である時だと思います。「日常」の反対が「非常」であることはわかりますが、その違いは自分が今までに経験したことの内なる事象か、それともその外に当たる部分になるのかということではないでしょうか。もっとわかりやすくいえば、キャパオーバーであるかということでしょう。

2、その被害が広範囲である

被害が広範囲であれば、それを確認するのには時間も労力もかかると思います。例えば、裏山が崩れてきたとして、その被害が一軒であるのか、それとも数軒が巻き込まれてた災害なのかによって事実確認にはかかる時間が異なると思います。今回のロシアによるウクライナ侵攻も、一つの地域ではなく複数の地域で戦闘が続いており、面積的に広範囲であるからこそ事実確認が極めて難しくなっています。

3、自分よりも遠くの出来事

自分が住んでいるところから遠くであればあるほど難しいことです。日本国内で日本社会で起こっている事象であってもそれを理解するにはそれなりに時間がかかります。ということは、国境を超えた、また人種も違う者同士の対立というのは、理解するまでにそれ相当の時間と労力はかかることだと思います。

終わりに

Tik tokだったと思いますが「何が真実で何が嘘か。目に見えていることが真実とは限らない」というのが流行っています。もうピークは過ぎたでしょうか。確かにその通りだなとしみじみと感じています。ということは実際に目で見ていないことは尚更その真偽を見分けることは難しいということになります。

SNSによって情報量は飛躍的に増えました。その中で何が真実で嘘かを見極める能力はとても重要でしょう。まずは疑ってかかり、しっかりと勉強をすることは、いつの時代も変わらない普遍的な生き抜く力の一つということでしょうか。。。



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辛いことも苦しいことも、それはきっと成長している証拠。

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