PTSD=心的外傷後ストレス障害
今日は「なにもしない」をした一日だった。
なんとなく文学的に書いてみたが要はダラダラしていただけだ。でもなんだか心も体も回復した。GWが始まってすぐは、しばらくPTSDがひどく寝る前に怯えながら泣いていたのだが、それもおさまり良い形で明日を迎えられそうだ。
私の持つPTSD=心的外傷後ストレス障害は、10年間いた環境の中で受けてきた暴言、暴力などのドメスティックバイオレンスが原因で、今でも男性の大きな声が苦手なままだ。怒鳴り声となるとパニックを起こしてしまい、具合が悪くなりうずくまってしまうこともある。
このようなことを行った相手とは、これから闘うのだが、1日前に殴ったことを次の日には「過去のことをしつこく言うな」と言い放うような人間だった。私にとっては数年前の殴られた記憶さえ、昨日のことのように思い出せるのに、危害を加えた相手は24時間経つと「過去」になるようだった。
その時間線の違いの不気味さは、私を混乱させた。その環境下から逃げる選択に至るまで10年間もの時間がかかったのは、色々な事情があるが、思考が完全に停止してしまうという点に大きく要因があったように思う。
具体的なことを書くと、同じような境遇の方がショッキングな感情を起こしてしまうかもしれないので書かないのだが、壮絶な思いをしてきた記憶は「過去の事」として片付くには難しく、こうやって安全な場所に来た今でも何度も蘇っては、怖いと泣き叫びながら寝付けない日があるのだ。
それらが既に過去になっている当の加害者は、過去だからとこんなことをしたことは忘れ、毎日を送っているのだろう。
私はあの日の痛みも、夜の静かな部屋で暴行を加えうずくまる私を上から睨みつけてきた目も、割られたお気に入りの茶碗も、蹴とばされたゴミ袋も、今でも鮮明に覚えている。
憎いという感情は、本来持ってはいけないというが、心身を脅かした相手にそう思うのは生物として当然の本能的な思考なのではないだろうか。
憎しみをバネに這い上がってきたわけではない。憎しみと「闘いながら」私はどん底から這い上がってきて今もなお、闘っている最中だ。
逃げたことで私を批判する人は多かった。けれどそんな中で私は、頭を撫でられたことがあった。
「よく逃げた。生きててくれて本当によかった。」と。
ああ私はまだ、この世に生きててよかったと、そんなことを言ってもらっていい人間だったのか。「しんでしまえ」という暴言や暴力を受け、自分にはそんな価値がないと心のどこかにまだ残っていたけれど、そんなことはなくて。
私はここにいても、いいんだ。
今は安全に暮らしている。あとは幸せになるだけなんだ。だからこの憎しみの欠片であるPTSDという症状と、私は本気で向き合っていかなければならない。
山口葵
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