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一番の「自己表現」とは何か

自己表現をするにあたって、私は間違いなくこの高校時代から書き続けてきた「文章」が最適だと思っている。その次に絵や、写真など、自分自身を見せること。そういったものが挙げられるが私の中での文章は、なくてはならないもので、書き続けていないと息が苦しくなってしまうほどだ。

自転車を乗っていると頭によく文章が浮かぶ。途中で停めて思わずスマホにメモしておかないと、なんだかむずむずして気持ちが悪い。

一度頭に浮かんだ言葉があると、「早く書き留めないと」と気持ちが自宅のパソコンに向かう。それほど、私の中で溢れた言葉のアウトプットというものは、必要不可欠な代物なのだ。

他の表現ではそのようなことは起きない。それらはこちらから「やろう」と思ってすることばかりで、文章とは少し違う。意図的なのだ。しかしこの今書いている文章も溢れんばかりに脳裏に浮かんだ言葉をどんどんと打っていて、意図的なようで意図的でない。

溢れて来てむず痒いから「仕方なく」外に出すことで発散させている。そんな感じだ。

恣意的と言えばなんだか堅苦しく感じるが要は指から踊り出るありのままの思考達を大人しくさせるためにする行為、それが私の中での文章だ。

このnoteをはじめて、このことをどこかに書いたかもしれない。わからない。私は投稿する前に一度声に出し、投稿後誤字がないか再度確認し、それきり自分の書いたnoteを読むことはほとんどない。

だから自分が繰り返し同じことを言っている可能性もあるだろう。だけどそれを知る由もない。

ここを読み続けてくれている人は「ああまた、この話をしている」と思いながらも読んでくれているのだろうか。20年追っている人からしたら何度も何度も聞いた話もあるだろうに、それでも私の文章を読みに来てくれる。

私の頭の中には揺るがない何かがあって、それは何年経っても色褪せなくて、まるで選手宣誓のように、何度も何度も書き続けることで、自分に言い聞かせている…のかもしれない。

文章をマインドマップなどを使い作っている人とは、全く違う文章の構成だということが最近身に染みてわかる。意図的に何かを作り上げる文章がプライベートではとても難しく感じる。ライターとしての仕事ではできるが、自分を表現する時にそれをすることは私にはできない。

そうこう書いているうちに今日もまた1000文字に到達する。いつも真っ白な画面を見つめて深呼吸してから、指が動き出すのをただ見つめるだけのこのアートのような文章が、今日もこうやって生み出された。

これが私のありのままであり、私の一番の自己表現だ。

山口葵

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