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もやもやを安易に吐かないつよさ


20190801

ざんねんだけど、わたしもあなたとおなじ人間だから、
ひょんなことで苛つくことがある。

朝から苛ついてしまった日なんて、最悪だ。
あたまの先からやる気が失せてくんだよ。
手足もだらーんとしちゃってさ。

体調が万全じゃないのにあやかって、
仕事も休んでしまおうかとまでおもった。

胸くそがわるい。

苛ついているとき、わたしはたいてい傷ついている。
傷ついてなにかがあふれる。とまらない。

そう、ちょうどそれは、生卵の黄身。

あんなにしっかりとふくんでいるものだから、ちょっとした衝突や、傷で、いともかんたんにあふれてしまう。割ける膜が、プツン、と鳴るのがわかる。

同時に、どろっとしたきもちのわるいあれが、胃のうえをねっとりと這うのだ。「胸くそわるい」って、そんなかんじ。

そいつらが這うのをやめると、もやもやでいっぱいになる。もやもやはそうかんたんに消えてはくれない。ぬぐってもぬぐっても、ぬぐい切れないねばっこさがうっとおしい。かんたんに傷つくくせに、じぶんではどうしようもできなくなる。

そういうとき、吐き出したくなるのが人間。

ずいぶんとおてごろに、ことばを投じることができる現代は安易に吐きだしてしまいがちだ。感情のたかぶりをそのまま、安っぽいことばにのせて、じぶんを守ってしまいたくなる。「こんなにかなしい」と主張したくなる。

けれど、そんなことばは、わたしの盾にも鎧にもならない。

ぺらっぺらなことばでじぶんの立場を取り繕うのが、どれだけ滑稽かしっている。しらなかったけど、いまはしっている。ものすごく滑稽だ。

吐きだしたって、ぜんぜんかまわない。むしろ、吐きだしたほうがいい。

でもわたしはもうあんな稚拙な吐きだしかたをしたくないし、見せたくない。それはもう、よわいところをわざわざ見せなくても大丈夫なわたしになったからで、あとは、「いわなくてもわかってくれる人がいる」ってしんじているから。

朝、あの瞬間にことばにせずとも、夜、ここでちゃんと考えた文章にしたほうが、いくぶんか滑稽じゃない気もするし。

「こんなにかなしいわたし」ではなく、もうちょっとハッピーなわたしでありたい。そのほうがなにかとうまくいく。せめて、多くの目がつくところではそうでありたいから、そうする。

じぶんが原因のもやもやはぎゅっと抱きしめてたくさん愛してあげたいけれど、他人から受けてしまうわるいそれまで愛している場合ではないんだよいま。

わたし目のまえにあるたのしさとわくわくで、こころいっぱいにしたい。

ぶわっと広がってしまったもやもやを安易に吐きださないために、ぐっと力をこめて、とにかく電車にのってみた。

あんなどうでもいいことであのまま仕事をやすんでいたら、きっと夕方まで寝ておわりだった今日。あたらしい仕事を任されることのなかった今日。会社ちかくの書店へ通えなかった今日。ほしかった本を手にしなかった今日。

「いまは吐きださない。大丈夫。」って決めた朝のわたしが、そうじゃない今日をぜんぶちゃんと連れてきてくれた。

だってほらもう、
「あんなどうでもいいこと」って言えてしまったよ。

ハハハ!わたしはわたし!
すこしつよくなった!イエーイ!

しっかり寝よっと、おやすみなさい。


aoiasa

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最後までありがとうございました。 〈ねむれない夜を越え、何度もむかえた青い朝〉 そんな忘れぬ朝のため、文章を書き続けています。わたしのために並べたことばが、誰かの、ちょっとした救いや、安らぎになればうれしい。 なんでもない日々の生活を、どうか愛せますように。 aoiasa