青い朝
短くて身近なちょっとしたこと
つまらぬものですが(つまらなくはない)
詩みたいなことばたちです
写真のポートフォリオ
でざいんしたものと写真のポートフォリオ
僕らには、忘れられない夜がある。 今日をやり切れなかった夜 猫を撫でていた夜 必死で机に向かう夜 タクシーを走らせた夜 人生に絶望した夜 不安でどうしようもない夜 最終電車を蹴った夜 ソファで寝ていた夜 映画に救われた夜 考えても答えは出ない夜 風呂の湯が冷めた夜 意味もないのに呟く夜 コンビニへだらだら歩いた夜 小説を読みふけった夜 好きだった人との夜 誰にも言えないような夜 僕らには、忘れられない夜がある。 そういう夜を越えたとき 決まって、朝は青かった。 -
20240903 今日、夏の間ずっとつけっぱなしにしていたクーラーを消した。この私が夏の終わりを決めたみたいに。ここから冬がくるまでしばらくは、跳ねあがる光熱費にびくびくしなくていい。それだけで日々のストレスがいくらか軽くなる。 このごろは年々と暑さが増し、もう道端にヤシの木でも生えていないと許せない気候になってきた。ドバイより暑い日があった。マレーシアからやって来た同級生が「Region:Japan, Temp:Malaysia」と言う。なら、そうなのだろう。異様な雨も
眠れない夜がつづいている。わけもわからないまま空が青くなる朝を何度も迎えているうちに、いつのまにか冷房のいらない季節になった。どうりで、猫が毛布にはいりたがるわけだ。このアカウントの最後の更新は、6月。この3ヶ月、がらんどうに思える。それを言えば、年を明けてからだってそう。時間は確かにずんずんと進んでいるのに、ぽつんと暗いところに立ち尽くしているような、そんな日々だ。 ひさびさに、きもちが落ちに落ちまくっている。原因もよくわからない。休めばいいなんて承知の上。むしろ、休みす
ひさびさに音楽でグっときた。 天気雨 / 荒井由実 深夜ラジオで流れてきて、鳥肌立つくらい「うわ、いいな」と思っちゃったな。 なにがいいって、ピアノ。ピアノのライン良すぎてつらい。 荒井由実の曲は高校生のころに何度か弾き語りなどした思い出がある。映画「風立ちぬ」の影響で「ひこうき雲」にも一時期はまっていた。最近だと、掃除してるときとかに荒井由実オンリーのプレイリスト流したり。 絶対に聴いたことあるはずだけど、どうして今まで気づかなかったんだろう。ただBGMの一部とし
どうしても居場所が必要だった。実家は居ごこちがあまりよくなくって、自分だけの、自分のためのキッチンが欲しくてたまらなかった。 それで、いまの家に住みはじめたのが20歳。 誕生日を飛び越えたとたん、印鑑を押してお金を払えばなんでもできてしまった。成人式には出なかったけれど、成人であることをなにより実感した瞬間である。貯金していたお金をぜんぶはたいて家出した時、いまよりもっと自由だったと思う。 (これは鍵を受けとって部屋の掃除をしにいった日。ひとりで雑巾がけをしたり。と
人間が生きるにはなんだかしんどい暑さになってきた。 いや、わたしが老いただけか。 小学生の時なんかは、もっとカラッとした暑さのなか走りまわっていたような気がする。 カラカラと鳴る水筒から飲むポカリスエットが、あるいは帰り道に食らいつくガリガリ君ソーダ味が、なによりおいしかった気も、する。はたまた、氷と一緒に盛られた大量のそうめんなどは最高そのものであった。 今もおなじように味わえるだろうか。 やっぱわたし、老いたのだろう。 今年もきっかり、夏バテはじめました。 冷や
べつになんてこったない、ありふれた夜だ。 だいだい色のテーブルライトだけが天井を照らしている。化粧を落とす気力無くそのままベッドに横たわっていて、足もとには猫。 聞こえるのは、おもての車道をゆくトラックの音と、扇風機が風をゆらす音。それからやっぱり、ぷすーぷすーという猫のいびきも。 いつもどおりの夜である。 わたしは最近、なんでもない。ほんとうになんでもないのだ。 昔みたいにひどくたかぶることはないし、消えてしまいたくなるほど自棄になることもない。あったとしても、大
夏休みのなかにいるみたい。わたし21歳でもうまるきり学生ではないけれど、突然やってきた夏休みみたいな生活にすこし戸惑っていた。昨日今日でようやく身体が慣れてきたところ、です。 いやいやもちろんね、実際にはやらなくちゃあいけない仕事ってのはあるよ。それに家のことも自分でやらなくちゃ。だから当然、小学生の夏休みみたいにはいかないんだけど、それでもなんだか夏休み気分。 概念としての夏休み。 要因はみなさんもご存知、世界をおびやかしてるコロナちゃん。そのせいで、というべきか、あ
冬がだめなことなんかもすっかりわすれてしまって。わすれるくらいに過ぎ去ってくれるほうがよっぽどいいです。あと少し、あと少しと言い聞かせたり、「よし」と気合いをいれなければいけない時もあるけれど。春のかるーい空気をはやくすいたい。
うれしかったことだけをなるべくおもいだす、ともだちが、香水に気づいていいねいいねって言ってくれたこととか、好きなひとと一緒に生きてたときのこととか
2020ねん1がつ27にち よふけ 撮ったよ!雪の写真 こういうのなんか見たことあるなんだっけ、あれだ、サンゴの産卵 これはわたしのあんよですが。 なんでもない植物一生好き 先の尖った 革靴だねきっと 写真のことも、カメラのこともなにもわからないけど お、いいなって思う写真とれるとうれしい 白いの全部オーブてことで まとめ また降って aoiasa
20190826 ◯ 「じぶんの嫌いなところを好きになれるよう、日々正しく生きていきましょう」と、誰かが言ったような気がする。 じぶんの嫌いなところはあるだろうか。わたしにはあるし、あなたにもある。愚問。生きていれば、誰だって。 何不自由なく見えるあの子にも、きらきらと輝いて生きているように見える大人にも、じぶんを嫌う部分はきっとあって、しかし、そうは見させないなにかがある。それはとても強みだ。 嫌いなところ。わたしには、いくつかのはっきりとしたものと、とくべつに意
2019/08/25 21:24 随所、いまの日本の死刑・裁判制度など、わたしが日々おもう違和感を、つよい意思によって代弁してくれるかのようで、前半は特にうなずきの連鎖が起きた。そしてまた、真下のノートのなかでは、わたしの感じていることがそのままかきうつされているみたいで、こわかった。わたしにも、真下のような気持ち悪さが、あると、認めなくてはいけないような気がした。しかし、わたしが真下のように死を選択しないのは、施設長や主人公が推奨するように、文学や芸術などに触れ、すばらし
からだとこころが ずうんと重いので、ほんじつはゆっくりおやすみします。今日やろうと思ってたことがひとつかふたつくらいしかこなせなくて、もどかしい。飽きもせず、まいつきまいつき きまった頃合いに、うっとおしい。とっぱしたい。あれ、わたしまた、うまくやすめなくなってる
文章をかいているとわかる。その文章を書くのがどれだけ大変か。そのことばが出てくるのに至るまでにどれだけの経験が必要か。無条件に愛されるためにどれだけの条件をそろえなくてはいけないのか、とか。だからほんとうにずるい、ずるくてずるくて仕方ない。余計なこと考えてしまうまえによくねむる。
20190731 ◯ 血のつながった弟がひとりいる。 しかし、わたしと弟は確実にことなっていて、真逆で、とてもかたよってしまっている。 もっかいごちゃまぜにして、きれいに分割したらつぎこそちょうどいいかんじになるような気もするけれど、産まれてしまったからにはもうどうしようもなく、このこころとからだでふたりとも生きてきた。 弟とわたしはとてもなかよしだ。 それは、いっしょの家に住んだり、いっしょのごはんを食べたり、いっしょのおやに育てられていないからだとおもう。こん