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書くことがないときに僕の書くこと2024

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読むこと、書くこと、教えること、生きることについて
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記事一覧

20240715 電車で教会に出会う/『ゴジラ-1.0』微妙

電車の中で白人のモルモン教の「長老」(と書かれたバッジを胸に付けていた)が、(盗み聞きした限り)たまたま居合わせたらしい日本語のモルモン書を読む日本人らしい青年に英語で話しかけ、英語で会話していた。それで、いわゆるモルモン教の教会が近所にも結構あるということを知り、だから何ということでもないのだが、教義は違えど、かつて一時期ながら通った教会の人間のコミュニケーションを懐かしく思い出した。良くも悪く

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20240704 Homme Qui Marche, Les Cartes

トマス・エスペダル『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』にジャコメッティのエピソードがあって、ジャコメッティ「Homme Qui Marche」の小さなレプリカが無償に欲しくなる。誕生日プレゼントにねだるとしたら、これか……。

かつて何気なく「Roland Barthes card」と検索したところ、ロラン・バルトの遺したカードの写真が何枚か表示され、それを度々見返す。気持ちが

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20240623 Twin Peaksを見終える

ここしばらく、アメリカのテレビドラマ"Twin Peaks"をU-NEXTで見ていた。1990-91の2シーズンを見て、ドラマはここでは打ち切られ、その後、25年後の物語が2017年に撮られているだが、1話を見て、もういいかと思ってしまった。古い、自然の暗さを残すアメリカのイメージが良かったのだなぁ。金持ちと肉体労働者の、フットボーラーとチアリーダーの、コーヒーとドーナツの国……。

20240620 若さよ

駅のホームで電車を待ちつつ本を読んでいたところ、女子生徒が表紙を覗き込みタイトルを読み上げながら通り過ぎていき、いくらか気持ちが晴れた。男子校に通っていた頃の私だったら、惚れていたのではなかろうか。教育実習に来ている学生が涙を流していて、自分の授業に納得がいかないのだと話していた。納得という言葉が、妥協と同義になって久しい私には、この涙も衝撃だった。こうした、瑞々しい、若さよ……。

高校生の作文

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20240613 すなおに、ずばりと、大胆に率直に

岡崎裕美子『発芽/わたくしが樹木であれば』の粉飾された赤裸々さの感じが嫌になって手に取った『啄木歌集』だが、寡聞にして存じなかった薮野椋十なる人物の序文が、(当時の感覚はわからないが)軽快でおもしろく、そこに「こんな事をすなおに、ずばりと、大胆に率直に詠んだ歌というものは一向にこれない。」とある。「すなおに、ずばりと、大胆に率直に」! まるで岡崎裕美子ではないか……などと思って、そういえば岡崎の歌

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20240612 毎日書くような気持ちでいないと

毎日書くよりも、書くことがあるときにしっかり書いた方が多少読めるものができあがるようには思うのだが、毎日書くような気持ちでいないと、書くことは現れてこない。

ストレスが溜まっている。結局、すべて仕事に関わることがストレスになっている。仕事に関わらない習慣だけが……読むことであり、書くことであり、語学であり、百人一首であり……だけが、一時的にせよ解放である。

岡崎裕美子『発芽/わたくしが樹木であ

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20240605 歩きつかれる

よく働いたものだ。教育実習に行ったとき、指導してくださった先生が「教員は肉体労働だよ」と教えてくださったが、なるほど、教員とはそれなりに肉体労働である。

キルケゴールが「歩きたいという欲求だけは失うな。私は毎日、歩くことで、健康になっていき、あらゆる病が縁遠くなっていった。」と書いているらしい(エスペダル『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』)が、俺は毎日数万歩歩き、健康は損な

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5/28 2つの赤裸々さ

岡崎裕美子『発芽/わたくしが樹木であれば』を読んでいるが……嫌な言い方をすれば「赤裸々系」とでも呼べようか、鋭さと呼べそうなものはあるのだが、深さ、と呼べそうなものを感じない。私が深く読めていないのだ、というのはそのとおりなのだが、深く読もうという気にならない、気がする。うーむ。

妻がNHK「理想的本棚」を録画したものを見ていて、笹井宏之の『えーえんとくちから』が紹介されており、やはり良い歌集だ

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5/26 『MANICAL』な休日

教え子?の芝居を観に早稲田へ。昼は「ワセメシ」でも食うかぁ!と思っていたが、家でダラダラしていることを選んだ。芝居を観たら村上春樹ライブラリーに行ってみるかぁ!とも思っていたが、家でダラダラすることを選んだ。持つべきものは体力、気合い、元気がなければ何もできないのである。

観たのは、劇団くるめるシアター『MANICAL』。「魔法使い」の世界に迷い込んだ「人間」の少年と「魔法使い」の少女の物語なの

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5/25 現代文を教えるということ

休みの日は、落ち着いて仕事ができる。

現代文の授業の準備をしながら、精読の方法を教えるということの難しさを改めて感じる。言語化はできる。文と文の繋がりが、並列か、論を進めたものか、比較したものか。前提としての語彙や知識。どれが段落の要点で、この段落はこの結論を補強する事例であり……あるいは、二項対立であったり、共時的と通時的の十字の図式だったり、そういった論理の型を捉えたりと、そうした文章の解析

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5/23 やいやい

埼玉県に暑いことで名高い「熊谷」という地名があり、「くまがや」と読むが、この地を拠点とした武将の一族「熊谷」は「くまがい」であり、こちらの方が古いのではないかと思うのだが、しかし、「や」とか「い」って何だろうと、ふと不思議に思った。調べると、「谷」の字を「や」と読むのは関東の読み方らしく、「い」というのは「や行」の「い」だろうから、そういう音の変化が起きるのは想像しやすいが、つまりは関東方言、のよ

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5/21 歌集が読めない

岡崎裕美子『歌集 発芽/わたくしが樹木であれば』を読んでいる。この文庫が出るまで単行本が手に入れにくい状態で、雑誌や短歌の本などに載った幾首かを読んで「これはすごい!」と思っていた時期もあったのだが、こうして歌集で続けて読んでいると、何というか、映画のワンシーンとかの方がよほど詩だなぁという気持ちになってしまった(ここで映画が思い浮かぶのは、世に評判の「したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤

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5/20 性活

主人公の「日記」という体で書かれている。だからだろうか、わかりやすいようでいて、つまりどういうことか、と考えると、なかなか掴みがたい。生活……ってなんだ?

『ヰタ・セクスアリス』もそうだが、森鴎外の私小説敵なもの(ライフ=アート)との距離感は考える価値のありそうな問題である。いわゆる自然主義・私小説・告白から一定の距離をおこうとしているように見える一方で、森鴎外においては、間違いなく、性欲がまた

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5/19 日記/Memento Mori 2

日記は流行っているのだろうか? だとすればそれは、日記のような形式(質と量)でしか物事を考えることのできない人々の間でのことなのではないか(勿論、能力だけのことを言っているのではない)。

昨日は病院に行き、今日は少しばかり仕事をして、あとは赤子とだらだら過ごしてしまった。土曜が休みのときはだいたい通院である。毎月毎月、死ぬまで病に時間と金を取られ続けるんだなぁと暗澹たる思いになる。私にとってのM

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