5/20 性活

 一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。
 現在は過去と未来との間に劃した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。

森鴎外『青年』

主人公の「日記」という体で書かれている。だからだろうか、わかりやすいようでいて、つまりどういうことか、と考えると、なかなか掴みがたい。生活……ってなんだ?

『ヰタ・セクスアリス』もそうだが、森鴎外の私小説敵なもの(ライフ=アート)との距離感は考える価値のありそうな問題である。いわゆる自然主義・私小説・告白から一定の距離をおこうとしているように見える一方で、森鴎外においては、間違いなく、性欲がまた問題であったはずで、あるいは、彼が取ろうとする私小説との距離とは、そのまま、性欲の抑圧であるようにも思える。

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