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クローバーと風の唄

きみは、覚えているだろうか?

二十一年前の冬の日、今日のように風が強かった日があったよね。

午前中産婦人科に妊婦健診に行き、大きなお腹を優しく撫でながら、きみはいつものようにニコニコ笑ってぼくのところへやって来た。

ぼくは病院の近くの公園をぶらぶら歩いたり、いろんな冬の花や野草なんかを眺めながら、ワクワクして待っていた。
老夫婦がお揃いのダウンジャケットを羽織り、愛らしいコーギー犬を散歩させていた。

「もうそろそろ準備と心構えをしっかりしてた方がいいね」

先生にそう言われたんだよと、大きく目を開いて高い声で話してくれるきみの姿は、もう一人前のママだったね。

ぼくも、

「きみの出産準備や入院に備えるため、仕事の調節を行いながら毎日そばにいるからね」

と伝えると、

「ほんとに?ってことはしばらくお休みとかもらえそう?」

と、今度は子供のように無邪気な表情になったから、頼もしいやら可愛らしいやら、ぼくも頷いて思わず笑ってしまった。

おなかの赤ん坊は、ベテランの助産師さんもびっくりするほどにとにかく元気がよく、中から小さな手でつついてみたり、幼い足で遊んで蹴ってみたりと、とても順調に大きくなっていると聞いて、二人で安心しながら胸を撫で下ろしていた。

きみは毎日つけている日記の中に、こう記していた。

『食生活とかあまり考えてなくて、赤ちゃんが欲しがっている栄養を充分に送れていないかも知れないのに、こんなに元気にすくすく育ってくれて、いつもママを安心させてくれて、パパとママを毎日たくさんの笑顔で結んでくれてありがとう。ママは早くあなたに会いたいです。元気な声を聞いて抱っこして、産まれて来てくれてありがとうって言ってあげたいな』

と。

だから病院に行く度、不安になったり安心したり、過ぎ去った秋の空にも似た万華鏡の様に、いつも二人で安堵のため息を漏らしていたのを今でもはっきりと覚えているよ。

その日の病院の帰り道、まだ晩御飯には少しだけ早い時間だったけれど、二人ともお昼を食べてなかったこともあって久しぶりに外食をしたね。

いい気分転換になるからと、きみもすごく喜んでくれた。

赤ちゃんが無事に産まれてくれるように、そして赤ちゃんが少し大きくなって家族で行けるように予行練習をしておこうと話し合い、いつも二人で出かける居酒屋ではなく、もっと広いレストランに向かった。

明るい雰囲気のお店で家族連れも多く、メニューもたくさんあってきみも目をくりくりさせながら選んでいた。

ぼくはトイレに行って手を洗い、席に戻る途中でベビーカーの中で口を開け手を振っている赤ちゃんと目が合ったから、真似をして口をぱくぱくさせてバイバイをすると、その天使のような赤ちゃんも笑ってくれた。

まではよかったが、二人で注文したチキン南蛮も唐揚げも、ポテトフライまでもがどう言う訳か中が冷たくて、二人して意気消沈してしまった。

「やっぱりいつものお店に行けばよかったね、店員さん呼んで温め直してもらう?」

「いや、もういいよ。忙しそうだしさ、ちょっと食べてもう帰ろう。今日は運が悪い日なんだよ。そんな日は長居したくないから。」

もったいないじゃん、というきみの意見もまるで聞かず、ぼくはきみの手も握らずにさっさとレジへ向かい、ぶっきらぼうな態度で会計を済ませて外へ出ようとした。ふと振り向くと、大きなおなかをかばいながらゆっくりきみが歩いていたので、ぼくは急に我に返りきみを迎えに行ったよね。

大人気の無い行動をしてしまい、心の中では何度もごめんねと謝っていたのだけれど、なぜかその日は素直になれず、また変な自尊心が頑なに邪魔をしてしまい、やめたはずのタバコを買って帰るからと、少し冷たい口調をきみに投げかけてしまった。

「やめたんじゃないの?肺を手術したのにまた悪化しちゃうよ!」

「大丈夫だよ!ちょっとした息抜きだし、もちろん家の中とかでは絶対に吸わないから」

結局そのタバコを吸う機会はなかったんだけど、言葉遣いとか態度だとか、子供じみた振る舞いをしてしまい、せっかくの大切な時間を険悪なムードにしてしまって、本当に後悔しているよ。

いつも美味しい料理を作ってくれたり、ぼくが仕事から帰る時間になると家の前まで出てくれていて、「おかえり!」と微笑んでくれて、本当にありがとう。仕事がたとえ辛くても、満員電車が苦手で冬でも汗びっしょりになったとしても、きみとおなかの赤ちゃんに会えることが何よりも楽しくて待ち遠しくて、毎日の当たり前の日々がぼくにはかけがえのない珠玉の時間だったよ。心配かけたりたまに喧嘩をしてしまったり、いろいろとごめんね。

きみは一月下旬に、珠のような、それはそれは元気溢れる男の子を産んでくれた。病室の窓から、深々と降り続く粉雪が朝から見えていた。

たくさんの赤ちゃんの中から、自分の赤ん坊が沐浴指導のモデルに選べれたことが、きみの何よりの自慢だったね。

「たくさんの人達に囲まれても泣くこともなく、気持ち良さそうにお風呂に浸かって拍手をいっぱいもらったよ!」

と、自分の全てを称賛されたかのように、とびっきりの笑顔できみは誇らしげにその話を何度も何度もしてくれた。
それを聞くのが、ぼくも何より楽しく幸せで、いつかこの子が大きくなった時、ママはこんなにも愛してくれていたんだよと伝えてあげたいと、その都度心に誓ったものだ。

しゅんが生まれた年、日韓ワールドカップが開催され、日本中、世界中が熱気の渦に包まれていたね。

しゅんにはサッカーのユニフォームをあしらったベビー服を着せ、おもちゃのサッカーボールを持たせてあぐらの上に座らせ、一緒に手を叩きながらテレビの前で応援していたね。

もちろんまだ何も理解してはいないしゅんの頭を撫でながら、この子もサッカーするようになるかな?と、ふたりで希望や夢を語り合い、汗を拭いながらテレビを観ていた初夏の日々が、今となってはとても懐かしいな。


きみが天国へ旅たってから、間もなく二十年になるよ。

しゅんはね、心も身体もずいぶんとまぁ立派に成長し、ふたりで食が細いことをいつも心配していたのが雲のように消え去り、きみがそうなってほしいと心から願っていた、逞しく優しい大人に育った。

きみに似てラーメンが大好きで、カフェラテを美味しそうに飲み、まぁこれはあまり褒められることじゃないが一人前にタバコを吹かし、今、隣で夜食のおでんをつつきながら、あの頃と同じようにワールドカップに夢中だよ。

しゅんはサッカーが大好きで、世界中のチームや選手の情報に誰より詳しくて、ぼくの先生でもある。

あの日夢を語り合ったようなサッカー選手にはならなかったけれど、小学校ではソフトボールとサッカー部を掛け持ちして、二軍だけれどキャプテンとして後輩を引っ張っていたよ。中学校では陸上部の短距離選手として日が暮れるまで走り回り、高校では吹奏楽部の一員として、サッカー部の試合ではサックスやトロンボーンの演奏を頑張っていたよ。

だから、一応はさ、サッカーに関わるという夢を叶えたって、きみならきっと笑って言うだろうとぼくは思っている。

朝、しゅんとふたりで公園を散歩していると、あの日きみを待っている間に見かけたワンちゃんとそっくりなコーギー犬が散歩をしていたから、ぼくはふとあの日の出来事なんかを思い出し、こうやって日記に綴っているという訳なんだ。

あの日、きみが産婦人科で検診をしている間、広場をぶらぶら歩いている時に、ぼくは四つ葉のクローバーを偶然見つけた。
いろいろな言い伝えがあるが、ぼくはやっぱり四つ葉のクローバーは幸運の印であると、おばあちゃんに教えてもらって子供の頃から信じていたから、優しく摘んでハンカチで包みポケットに入れていた。

レストランできみにプレゼントして喜ばせてあげようと計画していたんだけれど、いざトイレでこっそり確認すると、そのクローバーは無惨にも葉がちぎれ、ぐちゃぐちゃになってしまっていたんだ。

それが何よりショックで、ぼくは唐揚げやチキン南蛮なんかを食べる元気を無くし、少し料理が冷たかったというダメ押しの現実が決め手となってしまい、きみに素っ気なくし、あたってしまっていたんだと思う。

あの時、ほんとうにごめんね。
世界一大切な、きみなのに。

世の中に偶然と必然が混在しているとするならば、おそらく今日は偶然に恵まれた素晴らしい一日だったのかも知れない。

なんとしゅんがさ、公園の道路脇で四つ葉のクローバーを見つけてくれた。

「パパがママのとこに行ったらさ、このクローバーの話を聞かせてあげたらいいんじゃない?多分許してくれると思うよ」

そう言って笑ってくれた。

あの日も、こんな感じで風の強い一日だったね。

きみも、覚えているかい?

いつかその日がやってきたら、

今度こそ幸せの四つ葉のクローバーを、

ぼくたち小さな四人の家族みたいな四つ葉のクローバーを、

きみに渡したいと思っている。

だからその日が来るまで、

あったかいカフェラテでも飲みながら、

気長に、楽しみに、

待っていてくれないか?









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