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僕らを救うためだけの言葉
2018年11月16日。 武道館で行われたamazarashiのライブ「新言語秩序」は、言葉のディストピアというストーリーを下敷きにしていた。テーマは「言葉を取り戻せ」。http://ww…
日記:20230414
大きなトラウマ反応に襲われてから2週間あまり。思考はまとまらず、感情の制御は不安定で、ひどい偏頭痛をはじめとした身体症状もおさまる気配がない。
その間も着々と時間だけは過ぎていく。
そのことにひたすら焦っている。
実現したいことが自分にはある。そのために3月あたまからかなり無理をして色々と動いてきたが、どうにもうまくいかない。体調不良ももはや恒常化してしまったように感じる。
仕事外で自主的に
名前のないライターたち。キャリア形成の格差とWebのトレンド
文章を書くということは、いささか安く見積もられすぎやしないか。最近ずっとそんなことを考えている。
基本的に書くことはクオリティやインパクト、専門性を度外視すれば誰にでもできることだ。このnoteというプラットフォームがまさにそれを体現しているように。それ自体は全く自然なことだが、大変悲しいことに、この社会において「誰にでもできること」には価値が見いだされにくい。
それで割りを食うのは誰か。われ
追想、令和2年「心が生まれる日」
この記事は2020年12月31日にブログで書いたものです。
大晦日、朝方から強い不安発作に襲われている。これがクリスマスに続いての記念日反応というやつなのか。ともかく、残り少ない気力をもって今年の記録を残したい。
社会がどう変わったか、何が起こったか、そういうことを総括するにはまだ早く、今は語る言葉を持たない。だが壊れていく社会とともにあったことを、なかったことにはできない。
年明け、子ども
12/21_2021 pm
本当に久しぶりに、仕事以外の話で人と会った。ようやく色々なことを話せたし、互いに似た領域で活動するがゆえの刺激もあった。
印象に残っているのは、みんな大好きBe(ing)とDo(ing)の話。発達心理学ではBeがDoの土台になるというのが定説だが、実は両者はそんなにはっきりとわかれて独立するものなのだろうか?という話になった。
酔いが残っているので適当に。
DoからBeが補強されることはある
12/11_2021 pm
ここ数週間、寝起きの不安発作を中心に随分と調子が悪く、1週間先の受診日を待たずに病院に行ってきた。結構予約ギチギチのクリニックだから、昨日電話して今日行けたのはラッキーだった。
今回は100%仕事周辺のストレスが原因。数週間前にあったトラブルを土台に、子どもの死亡統計や要対協・児相の対応事例なんかを調査取材のさなかで見続けていた負担がここにきて顕在化した。
とりあえず薬を二種追加。来週はカウン
12/9pm_2021
作業がてら話すつもりで弟とDiscordを繋いだら、どういう話の流れかInternet Archivesで昔の自分のサイトを見るみたいな会になってしまった。
正直、僕のように記憶や現実感が曖昧になる病態でこれをやると「いま自分はいつにいるのか」がわからなくなって混乱してしまうという副作用があるけれども、記憶が断片化されているからこそ、思い出せない過去の中で自分が何を感じていたかを知りたいという気
「ただいま」を言えなかったから
帰る場所は、いつだって記憶の中にしかなかった。
実家を出てから初めての帰省。慣れ親しんだはずの実家のドアを開けたとき、心の中にあったのは「ただいま」ではなく「おじゃまします」だった。僕はもうそこを自分の家だとは思えなくなっていた。
寂しさもあった。裏切ったような後ろめたさもあった。しかし同時に不思議な解放感もあった。ようやく自由になれたという解放感。家とそこに紐づく家族という場は、あの頃の僕に
僕らを救うためだけの言葉
2018年11月16日。
武道館で行われたamazarashiのライブ「新言語秩序」は、言葉のディストピアというストーリーを下敷きにしていた。テーマは「言葉を取り戻せ」。http://www.amazarashi.com/newlogosorder/
2018年12月8日
NPO法人soarの年に1回のカンファレンス。テーマは「語り」。べてるの家の向谷地さんは当事者研究の役割の一つは、あるいは回