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ハワイ島海外出産 体験記

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2016年夏 ハワイ島での海外出産の記録 日本人家族の海外出産奮闘記 2016年夏、ハワイ島 アカカフォールズという滝の近くにある助産院で海外出産した記録を記事にしました。文化の… もっと読む
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#実話

私の海外出産ものがたり Part 2 蓋した想い

私の海外出産ものがたり Part 2 蓋した想い

初めてのハワイは2014年の秋
私と主人、そして、当時4歳の娘と
ハワイ島の緑豊かな場所を旅したのが、
ハワイとの出会いであり、
家族で初めての海外旅行でもあった。

日本での暮らしのループから、抜け出して、
世界を見たかったのかもしれない。

そこで、ある出会いがあった。

ハワイ島のジャングルの中に生きる日本人

その女性が、私に話した話の中に、
大自然の山の中で、ふたりの娘を出産し、

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私の出産ものがたり。 Part 3 娘の話

私の出産ものがたり。 Part 3 娘の話

日本に帰り、またループの日々に戻る私たち。
けれど、初めてハワイ島に行く前とは明らかに何かが違っていた。
ハワイ島から帰ってきた私たちに、じわりじわりと変化が起こり始めていた。
それまで、心の奥に秘めていたものが隠せなくなり始めたのだ。

そんな私たち家族にまた変化をもたらすきっかけをくれたのは、娘だった。
彼女は昔から、不思議な話をする子だった。
過去世や未来の話。おばけの話。体内記憶の話。

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私の海外出産ものがたり。Part 4 旅、旅、新しい命、そしてまた、旅。

私の海外出産ものがたり。Part 4 旅、旅、新しい命、そしてまた、旅。

娘の話から、さらに半年。
2015年の秋。
私たちは兼ねてから、
家族で世界をみる旅を計画していて、
秋から冬にかけて、その旅に出た。

2ヶ月間。
ポートランド、セドナ、ハワイ島、カウアイ島、マウイ島、オアフ島。
主人は仕事をやめ、私たち家族は娘を連れて旅に出た。

この旅では、様々な出会いがあり、
その後につながる出会いがたくさんあった。
ハワイ島の大自然ともまた新たな出会いがあり、
すば

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私の海外出産ものがたり。Part 8 日本の産婦人科

私の海外出産ものがたり。Part 8 日本の産婦人科

2人目の我が子を海外で出産することを、
決めた時、
娘は6歳になっていた。

ここで1人目の日本での出産を振り返ってみようと思う。

2009年11月

彼女を産んだ時は里帰り出産で
実家の近くの小さな産院で産む予定だった。

しかし、予定日より1か月早い早産で、
結局、近くの大きな病院で出産した。

その時、娘はNICU に入り、生後20日程病院で過ごした。

この時から、
現代の出産に

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私の海外出産ものがたり。 Part 9 なんの疑問も持たず信じていた

私の海外出産ものがたり。 Part 9 なんの疑問も持たず信じていた

そんな長女の出産の時の経験もあり、
その後の私は世の中の当たり前とされている
すべてのことに疑問を持ち生きてきた。

けれど、海外で出産することに対しては、
不安もあったが、
それ以上に何か新しい体験ができるようなワクワクと
今回は絶対大丈夫!という妙な自信もあった。

この根拠のない自信は言葉では説明がつかない。

今でも、説明することは出来ない。

そして、娘の出産の頃とは違い、
この

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私の海外出産ものがたり。

Part 14 葛藤とホノムヘの移動

私の海外出産ものがたり。 Part 14 葛藤とホノムヘの移動

水中で自然分娩、
家族全員で赤ちゃんの誕生を迎えることが出来るなんて...。

娘の子育てで育児ノイローゼになり、
自己改善をするために、精神世界の勉強を始め、
体調面でも、自然派思考になっていた、
当時の私にとっては、夢のような展開だった。

しかも、大好きな滝の近くにあり、大自然の中。
夢のような環境だった。

しかし、今まで詳しくは書いていなかったが、
私たちはほとんど英語が話せない。

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私の海外出産ものがたり。 Part 15 ホノムでの生活

私の海外出産ものがたり。 Part 15 ホノムでの生活

マラは友だちの日本人を2人、私たちに紹介してくれた。
通訳として紹介してくれたが、
いざとなったら、助けを求められる人がいることを
私たちに知らせて、安心させてくれたのかもしれない。
1人はカーディーラーのご婦人、
1人は二児の母でサーファーのママだった。

マラは、マウナケアの儀式に連れて行ってくれたり、
マーケットや地元の観光地へと私たちを案内してくれた。

毎日、検診だと部屋に来てくれて

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私の海外出産ものがたり。 Part 17 いよいよ出産

私の海外出産ものがたり。 Part 17 いよいよ出産

ホノムヘ移動して、1週間ほど経ったある日。
いつものように、夕方のんびり過ごしていたら、
下腹部に違和感を感じ、急に破水した。

前の日のマラの検診では、
もうそろそろかもしれないけど、
もう2、3日は大丈夫だろうと言われていた。

予定日より、2週間早かった。
陣痛より先に破水したのは、娘の時と同じ。

同じパターン。
けれど、あの時は日本の病院。
今はハワイ島の森の中。

同じだったのは

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私の海外出産ものがたり。 Part 18 嵐の夜

私の海外出産ものがたり。 Part 18 嵐の夜

陣痛が強くなっていくに連れて、
娘の出産の時は、
陣痛がとにかく痛くて泣きそうだったのを思い出した。
言葉に出来ない痛みに涙を流した....。

2度目の出産なので、
骨盤の開いていく陣痛の痛みはさほどでもなく、
耐えられる痛みだった。
しかし、やっぱり時間が進んでいくと、
腰にあのなんとも言えない違和感を感じ始めた。

この頃、外は大雨が降っていて、
風の音も強くなっていた。
マラの住むホノ

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私の海外出産ものがたり。 Part 22 眠り王子

私の海外出産ものがたり。 Part 22 眠り王子

出産から3日、4日と時間が経っても、
赤ちゃんの息子は眠っている時間が長かった。

胎盤を丸一日つないでいたとはいえ、
そろそろおっぱいを吸い始めないとおかしいと
マラは心配していた。

おっぱいに口を持っていっても、
少し吸っては寝てしまう。

2週間早く産まれたし、
自分で吸えるようになるまでは
時間がかかってもしょうがないし、
いざとなれば、娘の時みたいに哺乳瓶の先に
切り込みを入れて

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私の海外出産ものがたり。 Part 23 伝わらない想い

私の海外出産ものがたり。 Part 23 伝わらない想い

産後、日本食を食べる私たちを見て、
マラは私が産後太るのを気にして、
ダイエットをしていると勘違いをしたようだった。

そうではないと説明してみても、
あまりにも違う食文化に、
なかなか理解出来なかったようだ。

産後デューラーのティファニーがやってきた。
彼女はキッチンにおいてあるものに目を通し、
私がダイエットしようとしているのではないことを
察してくれた。
また、何か必要なものはないか

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私の海外出産ものがたり。 Part 24 混乱

私の海外出産ものがたり。 Part 24 混乱

私はどうにか心が落ち着くようにと
自分自身の気持ちと寄り添ってみたけど、
なかなかストレスは消えていかなかった。

辛抱強く自分自身と向き合ったけど、
私の中から、”とにかく静かに休みたい”その考えは
消えていかなかった。
私は”ただ休みたい”その一心で、
ジャングルのおかみさんに相談していた。
私は彼女に頼んだ。

私たちが心から身体を休めるため、
プライベートが守られる部屋を
貸してくれない

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私の海外出産ものがたり。

Part 26 優しさと正義の助産師 ロクサーヌ

私の海外出産ものがたり。 Part 26 優しさと正義の助産師 ロクサーヌ

ホノムから1時間半
私たちの大好きなプナ地区にあるパホアという町に
新しい宿泊先はあった。

宿泊先バースセンターに到着したら、
すぐに助産師のロクサーヌと
通訳をしてくれることになった
ジャングルのおかみさんが迎えてくれた。
すぐにベッドに横にならせてもらって、
診察が始まった。

ロクサーヌは出産の様子、
赤ちゃんの生まれてからの様子、
産後の体の様子を事細かに尋ねてきた。

血圧

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私の海外出産ものがたり。

Part 27 根拠のない強い自信

私の海外出産ものがたり。 Part 27 根拠のない強い自信

ロクサーヌは毎朝
時間を決めて私たちを尋ね、
手短に診察をした。
また必要な時は
パホアの町にあるクリニックで、
赤ちゃんと私に必要な検査をした。

検査結果、
私は血圧が高く、
血圧を下げる必要があると
ロクサーヌは言った。
とにかく高くて、危険だと。
私は普段は血圧は驚くほど低く、
根っからの低血圧。

しかし、この時はとても高くなっていた。

顔色も白くよくないと....。
息子の体重も思う

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