仕事をやめてフリーランスになったときのこと
先日の人生シェア会でもらった質問にお答えしたいと思っていたら、すっかり2週間も経ってしまいました!
何回かに分けて答えていきます。質問をくださった方に届いたら嬉しいです☺️写真は有休消化中に韓国に移り住んだ頃、コロナ禍2年目の頃の私です。
退職を決めたきっかけ2つ
自分を愛するという概念を知った
#SHElikes でスキルを学ぶ
と思いきやコーチングに出会い #THECOACH で学ぶ
順調とはいかない退職までの道のり
不要な「らしさ」へ自分を押し込めていた
退職してからのこと
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コーチとクライアント編②
4/26(金)21:00-22:30
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#人生シェア会 でもらった質問
こんにちは、ベルリンに住んでいるライフコーチのあいみです。今日も話していこうと思います。
私が不定期で開催しているイベントで、私の人生を皆さんとシェアしますというものがあるのですが、そこでもらった質問に今日はお答えしていこうと思います。
次はこの4月の末、4月26日の金曜日夜9時から開催します。前回は3月26日に開催して、今日はこのときにいただいた質問をテーマにします。
質問はいくつかあって、今日はこちら。「仕事を辞めて、フリーランスになった時のこと」。私がフリーランスになっていった過程のことをお話ししてみます。
▼次回の人生シェア会
私に何があったか
これを語るには、私がなぜ会社を辞めようと思ったか? というところが必要だと思うので、そこから話してみます。
私が会社を辞めようと思ったのは、コロナの1年目の終わり頃です。2021年の2月でした。
当時は職場大きな障害が起きて、社内もすごく大変だったし、それを使ってくださっているお客さんにも迷惑をかけてしまった時期でした。
プライベートで言えば、これを私はいろんなところで語ったり語らなかったりしてるんですけど、大きな失恋をしました。この2つの大きな出来事のために、変化を起こそうと思った結果が退職でした。
自分を愛するという概念との出会い
この失恋という話でいえば、私のまず1つ目の大きな変化は、「自分を愛する」という概念との出会いです。
私は今でこそライフコーチングというものに出会ってお仕事にしているけれど、昔の私はもう全然いまとは違いました。
例えばそうだな、私自身の価値として、ごはんに一緒に行ってくれる男性が複数人いるとか。自分の価値を男性の存在というものに委ねてしまっていて、もちろん自分を愛するという概念も持っていなかった。
自分の自信とか愛のようなものは、誰かに埋めてもらうものだと無意識に思っていたと思います。
それから当時大きな失恋を経験して、愛とは誰かに埋めてもらうんじゃダメなんだとやっと気づいたし、自分を愛するという概念に出会いました。
そういう本ありましたよね、たしか。私読み切れてないんですけど、難しくて。当時そんな本を買って読もうとしていた記憶もあります。
コーチングとの出会いから退職
大きな失恋をしたあと、すぐに行動を始めました。私の場合は、会社を辞めるならそのまま海外に移り住もうと思ったんですね。
コロナ禍だったので、ビザとか難しいところもありました。でもコロナ禍でしばらく海外旅行に行けないなら、私は海外に行くのが生きがいだったので、旅行に行けないなら住んじゃおうということで調べ始めました。
その当時の私は、キャリアとしては営業職とマネジメント職という経験しかありませんでした。
海外にはフリーランスになっていこうと思っていたので、何か手に職をつけねばと思ったのと、当時の私は広告企業に勤めていて文章を書いていた経験があり、文章を書くのは好きだったので、ライティングというスキルを学ぼうと思い #SHElikes というスクールに入りました。
そこでスキルを学ぼうと思ったのですが、そのスクール内で、いまお仕事にしているコーチングに出会いました。
#シーライクス でグループセッションを受けて、コーチングってすごくいいなと思って。当時の私はまだ自分に余裕がなかったので、私がライフコーチになるなんて全然思わなかったのですが。
SHEで学ぶうちにコーチになる人もいますよって教えてもらったけど、私には心の余裕がないので、そっちではないですと思ったんです。
でも、何ヶ月か学んでいるうちに、最初に目指したライターというのは、あれ、私この仕事に興味がないなと。実際に業務委託もいただいたりしたんですが、興味がないなって気づきました。
と同時に、コーチングというものへの興味がすごく湧いて、コーチングを学べるスクールを探して出会ったのが #THECOACH でした。
説明会に行くときには、私はもうライフコーチになるぞと決心をしていました。だから説明会には雰囲気を確かめに行くだけのような感じだったのと、もうライフコーチになろうと決めていたので、全コースを一括で申し込み学びました。
時間軸でいえば、退職しようと思ったのが2月、コーチングスクールに申し込んだのが6月の末とかだったかな。7月からはコーチングを学び始めて、その頃にはもう有給消化や退職のタイミングもたしかもう決まっていて。
というのも、私が当時すこし役職をもらっていたから、後任をどうするか問題があるだろうと思ったので、半年前には上司に言おうと思って言ってたんですね。
退職は正式には12月の末で、有給が結構たくさんあったので、10月20日あたりから有給消化に入り、まずは韓国に半年間の留学をしました。
人間関係と適応障害
退職が決まってから退職まで、辞めることも決まってるし、順調に行くかと思いきや、退職直前に私は適応障害になりました。
当時は適応障害だと名前をもらってたわけではなく、後から診断書を書いてもらいに行ったら、適応障害という形になりますねと名前をもらいました。何があったかっていうと、人間関係ですね。
退職の大きい理由の1つが人間関係と言われることがあると思うのですが、私の場合はもう退職が決まってたけれど、人間関係で問題が起きました。
いま思えば、それがなぜ起きたかっていうと、当時の私は、必要のない私らしさを本当にガチッと握りしめていたという感じがするんですよね。ガチッと自分で握りしめていたし、不要な私らしさにすごく囚われていたなと。
どういうことかといえば、私は当時マネジメント側の仕事をしていて、同じグループ内で同じ役職の同僚と自分を比較していました。
誰々さんはこういうところがすごい長けてるよね。こういうふうに自分のメンバーをマネジメントするよね。で、こっちの誰々さんはこういうところがすごいよね、と。
定例のミーティングで、同じ役職の人たちが何をやっているか見せてもらえるけど、私は「いや私はまだその器じゃないから」とか、「みんなは私より早くこの部署に来ているから」とか、社会人歴や入社歴、マネジメント歴が短い、部署に来てからも短い、一番若いみたいな、私には同じことをする権利はない、みたいな自認ですね。
あと純粋にプライドみたいなものですよね。なんか真似っこになってしまう気がしたし、「これは私はやるべきじゃない」「私はその器じゃない」と、逆の私らしさみたいなものを作ってしまいました。
そんなわけで、「らしくないからこれはしない」みたいなことをしていた結果、自分のチームのメンバーたちと近い距離で一緒にお仕事をすることができず。結果的に一番最後、私の退職直前にそれが浮き彫りになった。
人間関係という問題でいえば、相手の方がいることだと思いますけど、相手の方がAさんだとしたら、そのAさんに問題があったのではなく、私がみんなと関係性を築けていなかったから、偶然Aさんとの間に問題が起きたということだなと思っています。
フリーランスになった私
そういうわけで、退職してからの私は、会社員にまた戻ったり、マネジメントやチームを持つみたいなことはしたくないと思いました。会社にいると、結局キャリアのゴールは、マネジメントになってしまうと思うからです。
そういうわけで、私はフリーランスで働いています。
でも気づいてみたら、今自分で作っている商品って、コミュニティのようなものになっていて、なんだか不思議だなとも思います。それは今回は置いといて。
今回もらった質問は、「仕事を辞めてフリーになった時のこと」。
まとめれば、最初のきっかけは職場での大きな障害とプライベートでの失恋。そこから自分を愛するという概念に出会い、自分を愛せる場所としての海外への移住。
海外移住のためにスキルを学ぼうと思ったら、スキルではなくコーチングに出会い、コーチになろうとした過程では適応障害に。
だけど全部、私を変化させてくれるために起きたイベントだったのだろうと思っています。
私は過去に性被害に遭って、その時のこととコーチングで向き合った期間もありました。そんなふうに、コーチとしての体験を積み重ねての今かなというのがお答えになります。
ということで、今日も聞いてくださってありがとうございます。何でもいつでも質問があったら、私にいただければこんな感じでお答えしていきます。今日もありがとうございます。