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家族やパートナーでも愛の形は同じじゃない

「私はこんなに家事をしているのに、彼は全然やってくれない」というのは、少し前に私と恋人の間で勃発した大ゲンカの原因でした。

みなさんは、この状況をどう思いますか?「それもいい、問題ない」というタイプなのか、「ぜったい許せない」と思うタイプなのか。

今回の配信は、特に「ぜったい許せない」と思う方に聞いてみてほしいお話です。


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人生のテーマ

みなさんこんにちは、ベルリンに住んでいるライフコーチのあいみです。今日も話していこうと思います。

ということで、今日はテーマを置いて話していこうと思っていまして、テーマはですね、愛の形みたいな、ちょっとあの言葉にすると照れちゃうような感じがするんですけど。そんな話をしていこうと思います。

私は今ライフコーチっていう働き方・生き方をしていて、その中で私の人生のテーマ…っていうと大げさかもしれないんですけど、私が持っているテーマっていうのは愛なんだなぁっていうのを、少しずつ気づいてきたんですね。

そんな話もちょっと前にしていたりとか、noteにも書いていたりするんですけど、私自身もコーチングを受けながら、私のテーマはこういうものなんだなっていうふうに気づいてきています。

みなさんに質問です

それで、「愛」みたいなものは日常でずっと考えたりとかしてるんですが、特に最近気がついた、あーそういうことかー!って気がついたものとして、「愛の形」とかなんかそういう話をしていこうかなと、今日は思っています。

まずはみなさんに聞いてみたいんですよね。でもあんまり私はそういうの上手くないので、どうやって聞こうかなーって思いながら今話してるんですけど。そうだなぁ、じゃあまずはそうですね、パートナーとか家族とかが、ご自身と同じぐらいに家事をしてくれない時って、みなさんどんなふうに思いますか。

まあそれでも別にいいやっていう感じに思うのか、いや同じぐらいしてくれないともうイライラしちゃいます!みたいな感じなのか。ちょっとよかったら、どんなふうに思うかなーって聞いてみたいです。

私はどうかというと、すごいイライラしちゃう方なんですよ。ライフコーチっていう生き方をしているので、そういうイライラみたいなものとは無縁なんじゃないか、みたいに思われる方もいらっしゃるかもしれないですけど、ありのままのそのままの私っていうのは普通にイライラもするし、なんなら感情っていうのがどんどん豊かになってきている、解放されてきてるなーって思うので、プライベートの私はもう泣いたり笑ったり怒ったりみたいな感じなんです。

パートナーシップと愛の形

私の場合はいま一緒にいる恋人がですね、私と同じぐらい家事をしてくれない、例えばお皿洗ってくれない料理作ってくれないみたいなことに結構イライラしてたんですよね。

そこから今回のテーマである「愛の形」みたいなものに気づいたっていうところで、みなさんはこれどう思うかな?っていうのを聞いてみたいなと思いました。

もうちょっと詳しく話をしていくと、私がこうハッと気づいたっていうのが、恋人と私っていうのは、もうもちろんもともと違う人間ですよね。育った場所・家庭だけじゃなくて、国も違うし言語も違うし。もう全然違うところで暮らしてきて、今は一緒にいるっていう感じなんですけど。

それで、まったく同じ人だったとしたら、私と恋人が全くもう全部同じだったとしたら、多分そんなに私たちは惹かれ合ってなかったり、面白くなかったりすると思うんですよ。

でもお互いが違うから、お互いのことを尊敬することもあれば、好きだなーって思うこともあれば、魅力的に感じるっていうことだと思ってるんですけど。

ということは、愛の形っていうのはお互いに違うんだなーってことに、最近ちょっとずつ納得をしてきたんですよね。

愛の形はそれぞれ違う

私の場合は、私から恋人に渡したい愛っていうのは、例えば私が家事をする・料理をするとか、恋人に健康的なものを食べてほしいとか、そういう形の愛なんだなーって分かってきたんです。

じゃあ恋人が私に渡したい愛は何かっていうと、どちらかと言うと家事とか料理をするとかいうことではなく、例えば私の話をより聞くとかですね、私のことを理解するとか、私から出てくる感情を受け止めたりみたいな愛の渡し方、愛の形なのかなっていうふうに思ってるんですね。

そうそう、私はライフコーチというもの、ライフコーチという働き方をしているし、ライフコーチングってものにも出会っているし、だから昔よりは人の話を聞くっていうことの本質みたいなところが分かってきてるなぁとか思うんですけど、私にとっては彼の方がもともとそういうやり方で生きてきたんじゃないかって思うぐらい。

私の話を本当に自然に聞いてくれたり、急に泣き始めて泣き続ける私の側にもずっといてくれたりするんです。

それってすごくありがたいなぁとか、愛されてるなぁって私も受け取るんだけど、それが彼の私に渡したい愛の形だ、みたいなところまで、逆にいえば私が彼に渡したい愛の形が、例えば美味しい料理を作ることだとかっていうところまでは、あんまり結びついてなかった感じがあって。それが最近やっと言葉になったなぁなんて思っています。

なので、家事してくれない、私と同じぐらい家のことやってくれない、みたいにイライラすることもできるんですけど、そうじゃない見方もできるなぁとか。

愛っていうのは本当はそこにもうあって、ただ自分が受け取れていないだけだ、みたいなことが起きるっていうのは、私も過去に読んだ本の中で学んで、そうなんだなって自分の中に納得をしてきているものなんですが。その一つが私たちの場合はこういうことだったのかなぁとか今思っています。

テイカーはまた別の話

でもこのテーマで私が一つ足しておきたいのが、じゃあ例えばぜんぜん何もしてくれない、テイカーみたいな人ですよね。

私たちから何かを奪っていくみたいな、相手がやってくれて当たり前だと思っているとかで、愛を差し出してくれないって表現すると、なんかちょっと違うような、難しいんですけど。

そういう人たちのそばにいて、ここにも愛はあるんだよな、愛を見なきゃいけないなと思っていなきゃいけないかっていうと、それは違うと思っていて。

まず何が違うかっていうと、私たちが愛はあるんだよなと思う、そもそも自分の中に自己愛みたいなものが満たせていけると……

ちょっとこのテーマ、私も話すの難しくてうまく言語化ができているかどうかと思いながらお話をさせてもらってるんですが、ご自身の中に愛が足りてきたりとかすると、そもそも誰かから愛をもらわなきゃいけないみたいなことがなくなって、ご自身にとっての不要な人……っていうと変ですけど、テイカーでこちらからどんどん愛を差し出さなきゃいけない、そうじゃないと愛してくれない、みたいな人とは、一緒にいる必要がなくなるんですよね。

その意味で、そこにどうも愛を感じられないのに、自分ばかり差し出して苦しいみたいな状況にも関わらず、そこにも必ず愛はあるはずだ、みたいなふうに見ながらそこに居続けるっていうことは、必要ないんじゃないかなと私は思います。

愛を受けとる

でもそういう状況ではない、相手も差し出してくれるものがあるんだけど、例えば私みたいに家事だけを取り上げて、「私はこんなに家のことをやっているのに彼はやってくれない」みたいなふうに怒ったり、関係性を明かさせてしまうみたいなことは必要ないんじゃないかなと。

本当はそこにある愛っていうのを、もしかしたら自分のフィルターで見れなくしている、みたいなこともあるかなと思っていて。

その一つがこういうことで、私の場合は「愛とは同じ形で相手から返ってくるものだ」と捉えていたから、そこに愛があるのだと見れなかった。

私たちの場合は、彼は私の話をすごく聞いてくれる、感情を受け止めてくれるっていう愛の渡し方なのかなと、いまは納得をしているという感じです。

ということで、大丈夫かな、私の言葉、うまく話せたかなどうかなという感じもありますが、今日も聞いてくださってありがとうございます。

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7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️