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三十一提督の軍艦小話(さわ)

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海軍・軍艦に関する記事をまとめました
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#イギリス

英国軍艦ドレッドノート4代

英国軍艦ドレッドノート4代

 日本海軍や自衛隊ではほとんど例がないのですけれど、欧米の軍艦では抽象的な一般名詞や形容詞を艦名にすることがけっこうあります。表題のドレッドノート Dreadnought もそのひとつで、もともとは「恐れを知らない」といった意味だそうです。
 ふつう、イギリス軍艦ドレッドノートと言えばまず 1906年に進水した革新的な戦艦を思い浮かべますが、その艦名自体は特に限定されない形容詞にすぎないため、長い

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嘉永七年のクリミア戦争

嘉永七年のクリミア戦争

 クリミア戦争はロシアと英仏の戦争ですがちょうど日本では幕末になります。ヨーロッパだけでなく太平洋でも戦闘がありました。

クリミア戦争 ペリーが浦賀にやってきた嘉永6(1853)年は、クリミア戦争が始まった年でもあった。ロシアとトルコの間で始まった戦争には、翌年早々にイギリスとフランスがトルコ側に立って参戦し、主に黒海沿岸のクリミア半島で激しく戦い、それがクリミア戦争という呼び名の由来になったの

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ビング提督の最期 Fate of Admiral Byng

ビング提督の最期 Fate of Admiral Byng

 栄光に満ちたイギリス海軍の歴史のなかでもいくつかの汚点はありました。そのひとつをご紹介します。

ジョン・ビング ジョン・ビング John Byng (1704-1757) はイギリス海軍少将ジョージ George Byng, 1st Viscount Torrington (1663-1733) の四男として生まれた。13歳で海軍に入隊し海軍士官の道を歩き始める。当時、海軍士官になるためにはま

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フッド家の提督たち Admirals of Hood

フッド家の提督たち Admirals of Hood

 「フッド提督」と聞くと誰を思い浮かべるでしょうか。自分はとりあえず3人ほど思い付きます。

サミュエル・フッド ウェールズに近いイングランド南西部の町バトレーで牧師の息子としてサミュエル・フッド Samuel Hood (1724-1816) は生まれた。2年後には弟アレクサンダー Alexander Hood (1726-1814) も生まれる。1740年、イギリス海軍大佐スミス Thomas

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百年前の「イラク戦争」

百年前の「イラク戦争」

 3月20日はイラク戦争の開戦から二十周年だそうですが、今から百年ちょっと前にも第一次大戦の一部としてイラク地域で大規模な戦闘がありました。

開戦とバスラ 現在のイラクの領域は、第一次大戦まではオスマントルコ帝国領でメソポタミア地方と呼ばれていた。一方で東に隣接するペルシャ(自称イラン)では、イギリスとロシアのあいだで勢力圏に関する協定が成立しており南部ではイギリスが石油開発を始めていた。当時イ

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トラファルガーキャンペーン - Road to Trafalgar

トラファルガーキャンペーン - Road to Trafalgar

トラファルガー海戦は世界史の教科書にも載っている(たぶん)有名な海戦ですが、そこにいたるまでの経緯は意外に複雑です。
自分が理解した範囲ですがまとめてみました。

ブローニュの大陸軍 1803年、アミアンの和約が破れて後世ナポレオン戦争と呼ばれることになる戦争が始まった。陸戦では圧倒的に強さを誇るナポレオンは陸続きのオーストリアやプロシアを恐れてはいなかった。問題はドーバー海峡を隔てたイギリスだっ

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栄光の6月1日 - Glorious First of June

栄光の6月1日 - Glorious First of June

 タイトルだけでなにかわかる人はかなりのマニアです。帆船時代のバトルオブアトランチックと言えましょう。

フランス革命戦争 1789年に始まったフランス革命のひとつの転換点がヴァレンス逃亡事件だった。王妃の実家オーストリアに向けて逃亡をはかった王室だったが国境直前で露見し捕らえられる。国王の権威は失墜し、翌1792年4月には対オーストリア宣戦布告を余儀なくされる。フランス革命戦争である。8月には王

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海の狼コクラン - “Almirante Cochrane”

海の狼コクラン - “Almirante Cochrane”

 コクランは日本ではあまり馴染みがありませんが、かのホーンブロワーのモデルになっているという話もあります。

イギリス海軍へ トマス・コクラン Thomas Cochrane, 10th Earl of Dundonald は1775年12月14日スコットランドで生まれた。父アーチボルト Archibald Cochrane, 9th Earl of Dundonald (1748-1831) は

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19世紀軍艦の艦載砲と装甲

19世紀軍艦の艦載砲と装甲

 以前、下のような記事を書いたときに砲と装甲についてはいずれまたと書いてしまったので、まとめてみました。

前装・後装砲、滑腔・施条砲 最初に砲の種類について説明しておこう。まず弾丸の装填方法で前装砲 muzzle loader (ML) と後装砲 breech loader (BL) に分けられる。前装砲は砲弾を砲身の発射口(砲口)から装填するもので、戦国時代の火縄銃を想像してもらえればいい。後

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フリゲートってどんなフネ

フリゲートってどんなフネ

 この質問は海軍クラスタがもっとも答えに困る質問のひとつでしょう。ウィキペディアの冒頭の説明を見た時は思わず笑ってしまいました。過去の話はぜんぶ置いて「今はね」と単純化してしまうこともできなくはありませんが、しかしそれもそれほど昔からのことではないのです(世代にもよるでしょうが)。
 なおこちらの記事とすこし内容がかぶります。あらかじめご了承ください。

艦種類別と等級制 旧日本海軍では艦艇類別標

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大英帝国自治領海軍 - Navies of Dominion in the British Empire

大英帝国自治領海軍 - Navies of Dominion in the British Empire

 かつて「七つの海を支配する」と称されたイギリス海軍にはその名称など特有の慣習があります。その同じ慣習をもつ海軍がイギリスの他にもいくつかあるのですが、それらはもともとイギリスの植民地から自治領となり、自治領の時代に海軍を創設したその末裔なのです。
 なお文中にあらわれる組織名には定訳がないものがあります。本稿中かぎりの私訳であることをご了承ください。

パクスブリタニカ のちに「長い18世紀」と

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巡洋艦ドレスデンの冒険

巡洋艦ドレスデンの冒険

 第一次大戦でのドイツ巡洋艦といえばまずエムデン SMS Emden の名前が挙がりついでケーニヒスベルク SMS Königsberg が有名ですが、それほど知られてはいないもののドレスデン SMS Dresden の行動もけっこう波瀾万丈といえるのでできれば多くの方に知って欲しいと思います。

巡洋艦ドレスデン ドレスデンは1908年に就役した軽巡洋艦でその艦名はドイツ帝国の構成国のひとつであ

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英リバー級フリゲート

英リバー級フリゲート

 第二次世界大戦が始まると同時にドイツは無制限潜水艦戦を宣言した。イギリスは先の大戦で父の世代が血をもって贖った教訓である「船団護衛に必要なのはとにかく数」に従い帝国中の造船能力を総動員して護衛艦艇の量産にとりかかる。しかし国内の造船所の多くは軍艦の建造に不慣れだった。また精密なタービン機関はより高速を必要とする軍艦に装備する分を製造するので手一杯だった。

 こうして事情からうまれたのが艦名に花

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イギリス戦艦の黎明 1873-1892

イギリス戦艦の黎明 1873-1892

はじめに 近代戦艦の歴史を振り返ってみるといくつかのエポックが見受けられる。1861年の装甲艦の登場と1906年の弩級艦の誕生がその最たるものだが、最初の戦艦と呼ばれるロイヤル・ソブリン Royal Sovereign の就役 (1892年) と、戦艦の原形とされるデバステーション Devastation の就役 (1873年) も大きな契機とみていいだろう。

 しかしこれはあくまでも後世になっ

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