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揃いすぎている男たち

私は良い条件が揃いすぎている男たちに気後れしてしまう。気兼ねなく一緒にいることができないのだ。日々のちょっとした言動で常に100%の自分を求められているようで気が気ではない。70%の完璧ではない自分でも受け入れてくれる、そんなパートナーが理想なのだ。ちょっとお腹が出ていても、箸の持ち方が完璧ではなくても、方言が抜けていなくても、そんな私を愛でてほしいのだ。その分、ここぞと言うときに100%の自分を出す所存である。贅沢に5つ星ではなく3.5星な男を選ぶことで自分らしくいられるのだが、それは決して妥協しているというわけではない。居心地の良さ、フィーリングの相性を重視するということなのだ。

以前、マッチングアプリで「同年代」「イケメン」「医者」「高身長」「高収入」「高学歴」
という正に5つ星な条件の男性とマッチングした。それだけ揃っていれば中身も良いわけで、一切文句の付けようのない素敵な男性であった。しかし、そんな完璧な男性を受け入れられるキャパシティは私にはなかったのだ。すなわち、それ程、私は見た目も中身も教養も完璧ではないと自負していたということである。もちろん、自分磨きに対する努力を怠っていたというわけではない。現在も人並みには努力し、各サロン(美容院、ネイル、アイラッシュ、アイブロウ、エステ)には必ず月1で通っている。でも、そんな素敵な男性と付き合えるのは、港区女子やモデルやインフルエンサーに違いないと思っていた。きっと、彼と付き合うと体型を気にして食べたい物も緑に食べれず、言葉遣いや所作も自分に似つかわないように矯正しなければいけないのだろうと思っていた。そして、致し方なく私は交際前に彼に別れを告げたのである。彼とパートナーになれば誰よりも勝ち組になれ、羨望の眼差しを向けられるのは問違いなかった。しかし、それでも私が彼に別れを告げたのは、やはりパートナーに対して居心地の良さ、フィーリングの相性を重視していたからである。決して、彼に何かを指摘されて自信をなくしたと言うわけではない。

それから1年が経ち、自己肯定感の在り方が私の心のストッパーになっていたのだと気付いた。見た目や教養を高めるよりも先に、自己肯定感を高めると、どんな男性も受け入れられるのではないだろうかと思った。パートナーに居心地の良さやフィーリングの相性を求めていたのも、どこか無意識に自己肯定感を維持しようとしていたからなのかもしれない。そして、自己肯定感を高めるのは己のポテンシャルで、維持するのはパートナー頼りでもいいのだと気付いた。自分が100%ではない分、必要以上に期待したり頼ってはいけないと思っていたのだ。見た目や教養で甘える分、自己肯定感でもパートナーに甘えていいんだな。そう思わせてくれた、5つ星な彼との出逢いであった。それを踏まえた上で、3.5星な素敵なパートナーを見つけたい所存である。