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マッチングアプリという歪な空間

プラネタリウムの語尾に付くのでお馴染みの「リウム」とは、ラテン語で「空間」と言うそうだな。それ故、早速エッセイのタイトルに採用させて貰った。

そして、マッチングアプリとはなんて歪な空間なのだろうと日に日に感じてしまう。なんだか、最近の20代の男女たちの自己肯定感を上げるのも下げるのも、マッチングアプリ有りきのような気がする。それは、マッチングアプリという特殊な空間がネジれているからなのだろうか?それとも、その空間に侵食された若者たちの心がネジれすぎてしまったのか?

頻繁に見かける突発性自己肯定感爆上がり男について。貰ったいいね数が表示されている部分のスクショを人気指数アピールのために、わざわざプロフィールの写真欄に載せてみたり。更にプロフィールの文を「ありがたいことにたくさんメッセージ頂いてるので気になった人にだけいいねしてます!!」から書き出す。そんな、突発性自己肯定感爆上がり男は、大体よく分からないオブジェに寄りかかって撮った写真を載せがちなのだ。あの、お台場の「ガンダム」でも新宿の「LOVE」でもない。本当によく分からないオブジェの前でだ。この人は何をアピールしたくて、どう好んでほしいのだろうと切に思ってしまうことがある。

これってなんか、歌舞伎町の区役所通りや渋谷のセンター街で急にナンパされだしたのをモテると勘違いしている、中の下の女と同じなような気がしてきた。マッチングアプリによって「いいね数」の上限における機能が違うため、当たりのマッチングアプリを使うと、男女共に「疑似モテ」体験ができてしまう。この「疑似モテ」に沼りすぎて客観視できないアラサー独身女には、なってはいけないと肝に命じている。

本当にモテる男女は、そんなよく分からないオブジェの前で撮った写真なんて載せない。表参道や銀座などで突如となく催される、外資系ハイブランドの「○○カフェ」でのワンショットを載せるのだ。大体が、黒のトップスにブランドのロゴのラテアートが描かれたコーヒーを片手に。彼らは、自分たちを本当の「モテ」に魅せるには、どんな付属品が必要かを重々に承知している。そんな港区女子・男子よろしく、そっちの属性になりたい気持ちもあるが、足立区女子の私はまだまだ振り切れないといったところだ。

突発性自己肯定感爆上がり男に当たるのも嫌だし、陽キャで遊び慣れている男に当たるのも困る。そして、そんな男たちに当たらないようにフィルターをかける名目で、プロフィール欄には「好きなタイプ」を書くよりも「苦手なタイプ」を書くようにしている。どちらにせよ、好きなタイプを聞かれても、いつも抽象的にしか答えられないからだ。これも性格上の問題かもしれないが、私は苦手なタイプを聞かれた方が揚々と答えることができる。そしたら、気付くと「苦手なタイプリスト」なんてのが出来上がったこともある。それも度を超えると、見ている側は「とっつきにくそうな女だな」と思っているに違いない。実際に「芯があって素敵な方ですね!」と言う男や、やり取りが上手くいかなかった腹癒せに「なんか気難しそうですね」なんてわざわざ言う男もいた。やはり、三者三様なのである。そして、私の長所でもあり、短所でもある部分が垣間見えた瞬間でもあった。

マッチングアプリというネジれた空間に迷い込んだ私たちの出逢いは簡略的且つ秀逸、そして儚くもある。己の価値を測ったり、自己肯定感を維持したり、上げようとしたり。そんなモダンテクノロジーに操られるのも、なんだかな。御加護を受けられる面はあっても、そうならなかった時の精神的ダメージも大きい。そう思うと一昔前の若者たちは、どこでどう異性と上手く関わり、自己肯定感やらのバロメーターをコントロールしていたのだろう。奇々怪々な男に遊ばれそうになった時は、どうしていたのだろう。まるで、検討もつかない。そう考えを巡らせているうちに、ネジレタリウムのブラックホールに吸い込まれないようにしないとだな。