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A Course in Miracles について

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『A Course in Miracles』(奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?についてもりGの経験的な視点からみたnoteコラム
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#霊性の道

私たちはどのようにして本当の喜びを見つけられるのでしょう

私たちはどのようにして本当の喜びを見つけられるのでしょう

喜びのない場所コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は私たちに何を教えてくれているのか?

というなら、

この世界には喜びも幸せも希望もないということ、
そして、
本当の喜びや幸せはどこにあるのか?

ということについて教えてくれていると言うことができます。

例えば、コースのテキストでは、この世界について「喜びのない場所」というふうに表現しています。

それと同時に、そこで述べられているの

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私たちがしていく実践は、神、愛、光、喜び、平安、静けさにフォーカスしていくというものではない

私たちがしていく実践は、神、愛、光、喜び、平安、静けさにフォーカスしていくというものではない


コースという霊性の道の特徴的なところコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で、私たちが知っておかなければならないのは、コースは非二元の霊性の道ではありますが、愛や真理について学んでいくようなスピリチュアリティではないということです。

そのことについては、コースのテキストの序文ではっきりと述べられています。

それはどういうことかというなら、私たちがしていく実践は、いわゆる、神

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コースは従来のスピリチュアルとは一線を画するものである

コースは従来のスピリチュアルとは一線を画するものである

コースは心理学であるコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は純粋な非二元あるいは一元論のスピリチュアリティであるわけですが、そのようなスピリチュアリティは特に東洋に多く見受けることができます。

それらのスピリチュアリティと比べてコースは何がどうちがうのか?というならば、そのもっとも特徴的といえるのが、コースは心理学的な側面から述べられているということが挙げられます。

コースが教えていること

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帰り道が分からなかったら、帰り道について学ぶほかにありません

帰り道が分からなかったら、帰り道について学ぶほかにありません


わが家を忘れた迷子あるとき、ふいに、わが家の記憶を思い出す者たちがいます。

実相(ワンネス)であるわが家を一瞬だけ垣間見る体験をした人たちです。

それを、「一瞥体験」「見性体験」と呼んだり、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では「啓示体験」などと呼んだりします。

ただし、知っておかなければならないのは、それでわが家に帰ったわけではないということです。

コースの観点からいうならば、

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なぜ生きてるのか。何のために生きているのか。生きるとは何なのか。

なぜ生きてるのか。何のために生きているのか。生きるとは何なのか。

自分が本当に求めているのは何なのか?もう20年以上も前のことです。

2001年の当時、私はバッグパック一つでアジアを旅していました。

その旅は期限もなければ、行く当てもない旅でした。

自分の居場所がどこにもないと感じて、それゆえ、日本を離れることがその目的だったのです。

流浪の一人旅として日本を離れてから半年が過ぎようとしていた頃のことです。

私はインド北部の山奥のダラムサラという町にい

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自己紹介

自己紹介

私は、2008年からコース(ア・コース・イン・ミラクルズ/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいます。

厳密に申しますならば、『ア・コース・イン・ミラクルズ』という霊性の道を通して一元論のスピリチュアリティを学んでいると言った方が正確かもしれません。

というのも、コースでなければならないというふに、コースに固執しているわけではないからです。

さまざまにある一元論(非二元)のスピリチュアリティの中

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スピリチュアルの探究に疲れ果てた者たちのための霊性の道

スピリチュアルの探究に疲れ果てた者たちのための霊性の道


コースは大衆向けではないコース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の学びが深まっていくにつれて、このコースという霊性の道は、一般向け、大衆向け、万人向けのスピリチュアリティではないということがますます実感させられます。

コースを学ぼうと思うのだけど、でも気が進まない、あるいは、いったんコースを手に取ったもののやっぱりやめた、あきらめた、興味が消え失せてコースから離れた、という方々を私はたくさん

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ノンデュアリティのスピリチュアリティと『奇跡のコース』のちがいについて

ノンデュアリティのスピリチュアリティと『奇跡のコース』のちがいについて

ノンデュアリティ・スピーカーさんたちが語る非二元の教えと、コース(奇跡のコース/奇跡講座)が語っている教えは、本来どちらも同じ非二元の教えであるわけですが、

実際に、コースが教えていることを真に理解するようになるなら、それらは似て非なるものであるということが分かってくるといえるでしょう。

なにせ、コースの教えがとても難解であるがゆえに、その「ちがい」というものが理解されにくい面があるのは事実で

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闇を通り抜けていかないかぎり、光に到達することはできない

闇を通り抜けていかないかぎり、光に到達することはできない


ラディカルな霊性の道コース(奇跡のコース/奇跡講座)がどういうものであるか?

その内容を真に理解するならば、コースを喜んで学ぼうとする者はほとんどいないと分かるでしょう。

ようするに、このコースは誰もが歩むような霊性の道ではないと分かってくるということです。

というのも、このコースは、罪悪感、恐れといった無意識に隠された心の闇の部分と向き合っていくことが求められているからです。

私たちは

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すべての旅はいずれにせよ必ずここに戻ってくる

すべての旅はいずれにせよ必ずここに戻ってくる

生きるとは?人生とは?という根本的命題に対するその答えを求めて私にとってのスピリチュアルの旅のはじまりは20代前半の頃だったといえます。

なぜ生まれてきたのだろう?

何のために生きているのだろう?

そして、どこへ向かおうとしているのだろう?

いつか死ぬとわかっていながら、なぜ人は生きるのだろう?

なぜ人はそのことに疑問を持たないのだろう?

なぜ幸せじゃないのだろう?

なぜ人生はうまく

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コースは心理学者のチャネリングによって口述されたものであるということ

コースは心理学者のチャネリングによって口述されたものであるということ

このコースは、もともと心理学的なコースなのですコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?

ということについて一言で言えば、

コースは、一元論(非二元)のスピリチュアリティであると言うことができます。

そして、コースの特徴のもう一つの側面として知っておくべきことは、コースは心理学(フロイト及びその学派の人々による洞察を土台とした高度な心理学)であるということです。
(参

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コースを学んでいようがいまいが、スピリチュアルであろうがなかろうが

コースを学んでいようがいまいが、スピリチュアルであろうがなかろうが

誰もが自分に合った道を歩んでいる自分は誰で、自分はどこからきて、どこに向かうのか?

人生の本質に関わるその疑問は、誰もの内側に共通してあるものです。

私たちは、その答えを探して、その同じゴールに向かって、この世界の中をさまよっていると言うことができます。

自分の本性、つまりは、私たちの本性を思い出すまで、その答え探しの旅をし続けているのが、私たちです。

そんな私たちがコース(ACIM/奇跡

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