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コースを学んでいようがいまいが、スピリチュアルであろうがなかろうが

誰もが自分に合った道を歩んでいる

自分は誰で、自分はどこからきて、どこに向かうのか?

人生の本質に関わるその疑問は、誰もの内側に共通してあるものです。

私たちは、その答えを探して、その同じゴールに向かって、この世界の中をさまよっていると言うことができます。

自分の本性、つまりは、私たちの本性を思い出すまで、その答え探しの旅をし続けているのが、私たちです。

そんな私たちがコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)という霊性の道を歩んでいくとき、その学びと実践を通して正しい心(正気/聖霊)の視点に戻っていく訓練を重ねていくことによって、その答えがもたらされていくことになります。

そして言えるのは、正しい心(正気/聖霊)の視点から見るならば、そのプロセスはさまざまであれ、誰もがそれぞれ同じゴールに向かって歩んでいるということが分かります。

たとえこの世界でどのように生きようとも、そこには何の違いもないということが分かるということです。

そのように見ることができるようになるとき、この世界を、この人生を、そのゴールに向かうための「教室」として捉えるようになります。

つまり、正しい心(正気/聖霊)の視点から見るとき、この「教室」において、誰もにそれぞれの道(カリキュラム)が用意されているということです。

それがスピリチュアルであれ、あるいは、スピリチュアルではなかろうと、誰もが自分に合った道(人生)を歩んでいます。

コースの教えに惹かれる人もいれば、まったくコースに興味も抱かない人だっているわけです。

コースだけが唯一のスピリチュアリティということではけっしてありませんし、コース以外のスピリチュアリティだとしても、誰もが自分に合った道(カリキュラム)を歩んでいるにすぎないことが理解されるようになっていきます。

それがスピリチュアルであろうとなかろうと、それがコースであろうとなかろうと、それぞれが同じゴールに向かって歩んでいることには変わりないわけです。

そして、イエス、聖霊はそのように見ていると言うことができます。

それは、それぞれがそれぞれのカリキュラムを与えられていると言うことができます。

ですから、それぞれが己の人生と真摯に向き合っていくほかないのです。

自分が経験しているその人生を受け入れていくほかないということです。

でも、コース学習者であるならば、この人生を目覚めていくための学びの場、つまり、「教室」としていくことができるのだということを覚えておきましょう。


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