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なぜ生きてるのか。何のために生きているのか。生きるとは何なのか。
自分が本当に求めているのは何なのか?
もう20年以上も前のことです。
2001年の当時、私はバッグパック一つでアジアを旅していました。
その旅は期限もなければ、行く当てもない旅でした。
自分の居場所がどこにもないと感じて、それゆえ、日本を離れることがその目的だったのです。
流浪の一人旅として日本を離れてから半年が過ぎようとしていた頃のことです。
私はインド北部の山奥のダラムサラという町にいました。
それは、ある日の夕暮れ時でした。
私は一人、雄大なヒマラヤの自然の夕景に包まれながら、東の空にぽっかりと浮かぶ満月をただ眺めていました。
それはとても孤独はひとときでした。
次第に闇へと変わっていく静寂な時間でした。
まん丸い満月の月明かりを一人で眺めていました。
これからどこへ行こうか?この人生は向かうのだろうか?
なぜ生きてるのか。
何のために生きているのか。
生きるとは何なのか。
そんなことを一人、自分自身に尋ねていました。
その瞬間でした。
ふと、内なる声が返ってきたのです。
それは声ではない声でした。
その声は、いきなり私の思考の中に飛び込んできたのです。
その声の言葉は、
生きろ!生きなさい!
というものでした。
「生きるのだ。生きなさい。生きてみればいい。そうすれば、いつかその答えが分かるだろう・・・」
内なる声がそんなふうに自分に語りかけてきたのでした。
まさにそれは、「なんで生きてるのか?なんのために生きているのか?生きるとは何なのか?」という問いに対する内なる返答だったのです。
当時の私にとって、それは救いの言葉でもあり、叡智なる光でした。
生きる。
それが答えだったのです。
実際は、一年近くの放浪の旅を終えて日本に戻ったわけですが、だからといって、その後の人生がうまくいったというわけではありません。
むしろ、紆余曲折しながらも、探究の旅は続いたのでした。
それから数年が経ち、私はコース(奇跡のコース/奇跡講座)と出会うことになるわけです。
コースには、当時に抱いていたすべての疑問に対する答えがありました。
そして、今このようにしてコースを学んでいるわけです。
コースがすべてだとは言いませんが、もし私がコースに出会うことがなかったなら、この今も探究の旅の名のもとにさまよい続けていたと思います。
というのも、今ではもはや目的が揺らぐことがないからです。
求め続けること、探し続けることは大事なのかもしれません。
ただし、
自分が本当に求めているのは何なのか?
それがとても重要なポイントであるというのは言うまでもありません。
私たちは誰もが「幸せ」を探しています。
でも、私たちは幸せとは何なのか?何が自分を幸せにするのか?が分かっていません。
それゆえに、私たちは終わりのない探究の旅を続けることになるわけです。
コースは、その探究の旅に疲れた者たちにとって、もたらされた霊性の道であるといえましょう。
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