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A Course in Miracles 形而上学

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『A Course in Miracles』((奇跡のコース/奇跡講座)から抜粋した引用文にちなんたnoteコラム
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#自覚

自分とは何者か?を思い出すことが目的なのだということ

自分とは何者か?を思い出すことが目的なのだということ

自分は誰か?と問うていきなさい私たちは何を目的にコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいるのか?

というなら、真の自己(真のアイデンティティー)を思い出すことが目的であるということは言うまでもありません。

自分とは何者か?

私たちはその真実をまったく忘れているわけです。

それどころか、自分ででっち上げたニセモノの自分のほうを自分だと信じ込んでいる状態になっています。

だからこ

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「無知の知」こそが、私とは何か?を知るためのその第一歩である

「無知の知」こそが、私とは何か?を知るためのその第一歩である

自分は何も分かっていないことを悟る自分は何も分かっていない。

そのことを受け入れることは自分を知るために大事なことだといえます。

いにしえの賢者ソクラテスは、それを「無知の知」と表現しました。

この私自身、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)についてあたかも分かったふうなところから物申しておりますが、真実を知れば知るほど、自分は何も分かっていない、ということが分かってくる次第です。

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あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではない

あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではない

愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で、まず私たちが理解/認識しなければならないのは、私たちはすでに神の愛を拒絶している、ということです。

それゆえに、私たちはこの世界にいるのであり、それゆえに、個人の自分として存在しているのだということです。

つまり、個人の自分が存在していることそれ自体が、=神の愛を拒絶している、ということなわ

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問題があるところに答えあり、闇があるところに光あり

問題があるところに答えあり、闇があるところに光あり

自我があるところに聖霊あり自我が問題なのではありません。

なぜなら、自我そのものには何のパワーもないからです。

問題なのは、自我を信じているということであり、つまり、自我にパワーを与えているということが問題なわけです。

そう、私たちが直視(フォーカス)すべきところはそこなわけです。

つまり、自我を信じているというところです。

私たちが覚えておかなければならないのは、問題があるところにフォ

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テキスト第30章「決断のためのルール」についての考察

テキスト第30章「決断のためのルール」についての考察

イエスは私たちに何を教えてくれているのか?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)のイエスは私たちに何を教えてくれているのか?

というなら、

「あなたは間違っていますよ。あなたは嘘(狂った思考体系)を信じているだけですよ。そのことを自覚/認識しなさい。ただ夢を見ているだけということに気づきなさい!」

ということを私たちに教えてくれているということです。

そして、そのことを私たちがはっきり

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夢の中の主人公の自分についての物語

夢の中の主人公の自分についての物語


この世界の夢の奴隷となってしまっている自分たちこれは私たちみんなに共通する自作自演の奴隷の物語です。

私は生まれながらにして奴隷の身である。

奴隷である私にはまるで自由がない。

むしろ、奴隷としていつも虐げられてばかりだ。

それでも奴隷である私は主人(支配人)に仕えていくしか生きる術がないのだ。

主人(支配人)に反逆したとして、さらにひどい仕打ちを受けるだけだ。

主人(支配人)から逃

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心を開いていくその方法について

心を開いていくその方法について


「自分は正気じゃない」という狂気の自覚コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることの理解が深まっていくとどうなるのか?

というと、ますますコースの思考体系(正気の思考体系)を学ぶ必要性と重要性を認識するようになると言うことができます。

いわゆる、コースを学んでいこう、コースを実践していこう、というモチベーションがますます高まっていくということです。

というのも、「自分は自我で

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「真理の否定」を否定する

「真理の否定」を否定する

このコースは肯定の道ではなく、”not no”(否定の否定)の道であるワークブックでは、以下のようなレッスンがあります。

そして、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びが浅い段階においては、コース学習者の私たちは誰もが「私は神の平安を望んでいる」という言葉をまるでアファメーションを唱えるようなレッスンをすることでしょう。

ただし、ここで私たちが学ばなければならないのは、私たちの無意識

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私たちはなぜリラックスして心安らがでいることができないのでしょう?

私たちはなぜリラックスして心安らがでいることができないのでしょう?

平安よりもストレスがあるほうが安心でいられる???自分自身の内側を観察するならば、いつも心安らかではないことが認識されます。

その思考は常に巡り巡っていて、心はいつもざわついています。

つまり、私たちはいつもストレス(緊張)状態にあるといえます。

私たちはなぜリラックスして心安らかでいることができないのでしょう?

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいくならば、その答えが明ら

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