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ケネス・ワプニック博士の語録

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『A Course in Miracles』をもっとも理解していたその第一人者であるケネス・ワプニック博士の言葉を引用したnoteコラム
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#ワプニック博士

バイロンケイティと癌患者パムとの対話

バイロンケイティと癌患者パムとの対話


一元論のスピリチュアリティとは、純粋な非二元のスピリチュアリティのことコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)とはどのようなスピリチュアリティなのか?

というなら、

純粋な非二元のスピリチュアリティであると言うことができます。

もしくは、一元論のスピリチュアリティと言い換えることもできます。

では、そのスピリチュアリティを学んでいくことによって私たちはどうなっていくのか?

というなら

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学びの階梯の一番下に留まったままにならないように!

学びの階梯の一番下に留まったままにならないように!

日々の実践に応用されていなければ何の意味もないコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいけばいくほど、あるいは、コース学習歴が長ければ長いほど、コースが教えていることの知識が豊富なものになっていくのは当然のことだといえます。

ただし、コース学習者の私たちが覚えておかなければならないのは、その知識だけが増えていったとしても、それが日々の実践に応用されていなければ何の意味もないということで

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この世界のすべては子どもの砂場遊びのようなもの

この世界のすべては子どもの砂場遊びのようなもの


攻撃することなく、裁くことなく見なさいワプニック博士は、こう云います。

「この世界のすべては子どもの砂場遊びのようなものです」と。

そして、こう云います。

「そして、砂場で遊んでいる子どもたちを攻撃することなく、裁くことなく見なさい、それが私たちがしていくことです」と。

「彼らが何をしているのか?それを(聖霊と共に)見なさい」と。

さらに、こう云います。

「そして、(一緒に)遊ぶこと

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自分はコース学習者としては良き学習者ではなく、悪玉の学習者である

自分はコース学習者としては良き学習者ではなく、悪玉の学習者である

何がコースを難しくさせているのか?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学ぼうとするとき、誰もがその教えの難解さにぶつかるといえます。

では、何がコースを難しくさせているのでしょう?

そのことついて、ワプニック博士はこう述べています。

「コースが教えている内容が難しいのではない」と。

そうではなく、

「私たちの無意識の領域で突き動かしている自我の精神力動による真理への抵抗がコースの

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神聖になろうとするのではなく、神聖さはそこにただ在るものです

神聖になろうとするのではなく、神聖さはそこにただ在るものです

コースをスピリチュアライズすることについてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいこうとしたとしても、なにせ、コースが教えている内容がとても難解なわけです。

それゆえに、コースの学びのプロセスにおいて、何のためにコースを学んでいるのか?その目的を見失って迷走しまうことはよくあることだといえましょう。

特に、自分は真面目なコース学習者であり、神聖なコース学習者だと思っているコース学習

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私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない

私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない

幻想を真理のもとに運ぶとはコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践で私たちは、

幻想を信じない、
この世界を信じない、
自我(の思考体系)を信じない、

というような実践をしてしまいがちですが、

私たちに求められている実践はそのようなものではないということを知っておくと良いでしょう。

というのも、自分の内側に正直になって観察するならば、

むしろ、幻想を信じています。

この世界を信

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形而上学は、所詮、形而上学でしかなく、形而上学があなたを目覚めさせるわけではない

形而上学は、所詮、形而上学でしかなく、形而上学があなたを目覚めさせるわけではない

コースが教えている内容のシンプルさが見えてくるときコース(奇跡のコース/奇跡講座)の形而上学を理解することはコースを実践していく上で必要不可欠であるということは言うまでもありません。

ただし、私たちがわきまえておかなければならないのは、形而上学は、所詮、形而上学でしかないということです。

形而上学をいくら理解していったとしても、それが自分の人生のすべてに適用されていないならば、もしくは体現され

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ワプニック博士のインタビュー記事より

ワプニック博士のインタビュー記事より

しっかり地に着いた覚者ワプニック博士のとあるインタビュー記事がとても印象的です。

インタビュアーがワプニック博士に、

「日常の実践で、普段、ワプニック博士が心掛けていることは何ですか?」

と質問した際に、ワプニック博士はこう答えたのです。

「自我と同一化しないようにすることです」と。

ここで、ワプニック博士は、「聖霊と共にいることです」というふうには回答しなかったということに注目すべきだ

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風の時代!?

風の時代!?

土の時代から風の時代へそれは、去年(2020年)のことでした。

「土の時代から風の時代へ」という言葉がスピリチュアル界隈で話題になっていたように思います。

「これから物質主義の時代からスピリチュアルな時代へ移行していく」というようなことを謳っていたと思います。

それは、「時代が変わる!時代の変換期!だから、その時代の変化の流れに乗っかっていきましょう!」ということなのでしょう。

たしかに、

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「自我を咎めずに見る」という訓練について

「自我を咎めずに見る」という訓練について


親切でいなさい「親切でいなさい」とワプニック博士は云います。

ちなみに、これは行動レベルでのことを云っているのではないということを覚えておかなければなりません。

もちろん、行動レベルでそうあることに越したことはありません。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、あくまでも心のレベルにおける訓練なのだということを忘れてはなりません。

というのも、もしコースの教えを行動レベルのものと

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本当に目覚めたいのか?それとも夢を見続けたいのか?

本当に目覚めたいのか?それとも夢を見続けたいのか?

何のためにコースを学ぶのか?その目的は?コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学ぶ目的は何か?
何の目的でコースを学んでいるのか?

それを明確にしておくことは、コースを学んでいく上ではとても重要です。

なぜなら、その目的がちがったものであるなら、その学びもその実践もまったくちがったものになってしまうからです。

コースを道を歩んでいく途上において、ときに退屈さだとか、つまらなさ、虚無感、

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『ア・コース・イン・ミラクルズ』のイエス、聖霊について

『ア・コース・イン・ミラクルズ』のイエス、聖霊について


コースの教えを通して言葉を超えていくコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくと、つまり、コースが教えていることの内容を真に理解するようになると、コースそのものがすべて比喩で書かれてあるということが分かってきます。

コースはキリスト教用語や心理学用語を使って書かれてあるわけですが、その内容は純粋な非二元の教えであり、つまりは、この世を超えたもの、言葉を超えたものであるということです。

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「兄弟の中に愛を見る、兄弟の中のキリストを見る」ということについて

「兄弟の中に愛を見る、兄弟の中のキリストを見る」ということについて

自我/幻想を看過して見るコース(奇跡のコース/奇跡講座)では、「兄弟の中に愛を見なさい、兄弟の中のキリストを見みなさい」というふうに述べられています。

なので、私たちはついその言葉通りに、「相手の中に愛を見る、相手の中のキリストを見る」というような実践をしてしまうことになります。

ここで私たちがよくよく理解しておかなければならないことは、相手を自分とは異なる他者として知覚しているなら、他者の中

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自我そして自我がしていることに対して「イッツ・ノット・OK」と言いなさい!

自我そして自我がしていることに対して「イッツ・ノット・OK」と言いなさい!

真理を否定していることをOKとはしないコース(奇跡のコース/奇跡講座)の実践で私たちは何をしていくのか?

というと、「赦し」の実践を通して自我を咎めずに見るということをしていくということです。

その自我とは、まさに私たちのことです。

それというのも、私たちは、今や自我と同一化してしまって、もはや自我となってしまっているからです。

その自分(自我)は、毎瞬のように、攻撃、裁き(ジャッジメント

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